第9話

文字数 6,283文字

 四月になり中学三年生になった春喜はこの町から新しい学校へ通うことになった。といっても、この山間部の中学校はとうの昔に廃校となっていたので、山を下りた市街地の学校へ、バスで一時間かけて通うことになっている。同様に通っている子供は、小学生の弟と、ひとつ下の中二が二人だけ。同学年の子供はいない。ちなみに、小学校も今年で廃校になった。
 春喜は、休みの間に町中を自転車で探検し、信夫とアキラも通っていた、廃校となった小学校を見て驚いた。朝ドラに出てきそうな木造校舎だったからだ。横に長い二階建てで、正面の入り口は太い柱と綺麗な緑色の三角屋根。生でこんな趣のある学校を見るのは初めてで、物珍しそうに眺めていると、今年卒業となった少年が寄ってきて、いろいろ話してくれた。
「すごいだろ、この学校。大正時代からあるんだ。授業中にさあ、コツコツって音がするときがあってね。ほら、壁に小さな穴がいくつか開いてるだろ。あれ、キツツキの仕業なんだ」
「え?うそだろ」
 そう言ってるそばから、破線模様の羽をしたスズメくらいのサイズの小鳥が飛んできて、壁に垂直に止まり、コツコツやりだした。
「うわ、ホントだ」
「あれはコゲラ、日本で一番小さいキツツキなんだ。ほかにも頭の赤いアカゲラや、身体が緑っぽいアオゲラなんかもやって来た。最後にもう一度見れて、よかったよ」
 少年は、この春から遠く離れた都市部の私立中学校に入学するため、寮生活になるという。この木造校舎は、耐震や防火の問題で、補修するには高額な金がかかるうえ、そもそも補修したところで使い道などないという大人の事情から、近々、取り壊されることになるという。だから、今日が、見納めになるだろうと言った。さみしそうな少年の背中を見ながら、なんで大人はなんでもかんでも、大事なものを潰してしまうんだろうと、春喜は思った。
 こちらに来てからほとんど山を下りることがなかった春喜は、麓の市街地を見て、案外街だなと思った。それでも商業施設などが集まっているのは一部の地域だけで、そこをはずれれば、田んぼと馬鹿でかい家が建ち並ぶ田舎には違いない。春喜が行く学校も田んぼの中にぽつんと建っていた。けれど、この辺りで暮らす他のクラスメイトたちは、山から通ってくる春喜をものすごく珍しがった。田舎者に田舎者扱いされることは、なんだか納得がいかなかったが、親父が犯罪者だとは誰も知らない中にいられるのはほっとできたので、適当に相手をしていた。みんな気のいい連中だったし、本来、陽気な性格の春喜はすぐに打ち解けることが出来た。
 しかしながら、驚かされた学校行事があった。
 自然学習という名目で、日帰りキャンプがあるという。ゴールデンウイーク目前の平日で、受験勉強が本格的になる前の、息抜きの意味もあるようだ。
 それはそれでいいのだけれど、目的地に不満があった。自分の家から歩いて三十分ほどの山の中なのだ。「日常とは違う、自然にふれあいましょう」なんて教師は言ったが、通学より近い、近所でキャンプなんて、なんだか間抜けな話である。しかも、朝七時に学校に集合してバスで出発なのだとか。思わず「先生、俺、現地集合でいいですか」と言ってみたが、冗談だと思われ、却下された。学校とは、まったく、融通のきかないところである。
 当日、始発のバスでは七時の集合に間に合わないので、母に車で送ってもらい、無事、バスに乗って、また家の近所までみんなと一緒に戻ってきた。
 キャンプは林道を少し抜けた、河原で行われる。なんてことはない、春喜が道に迷ったとき、信夫がおにぎりを食べていたところだった。
 クラスメイト五~六人が一組になり、テントを張ったり、火をおこしたり、河原で水遊びをしたりして過ごすのは、案外、楽しい時間だった。
 バーベキューの昼食が終わり、後片付けをしているとき、ふと、気付いた。春喜のグループの一人が見当たらない。顔は覚えてるけど、なんて奴だっけと春喜が首をひねっていると、同様に気付いた他の友人が言った。
「谷村がいない、あいつ、片付けさぼって逃げたな」
 そうそう、谷村だ。背が低い春喜と似たり寄ったりの体型だが、性格はこずるい奴だ。親が県議会議員をしているとかで、いつも自分勝手なことばっかり言ってるから、どちらかといえば嫌われモノだ。どこに言ったのかなあと辺りを見回していると、他のグループの一人が言った。
「先生、山下がいませ~ん」
 山下は、谷村とつるんで掃除をさぼったりしている奴だ。あの二人が一緒だと、他のやつらに迷惑がかかるからと、先生が引き離したのだが、隙を見て示し合わせて逃げたらしい。
「まったく、あいつらは、どうしようもない奴らだな。帰ってきたら説教だ。お前たち、あいつらのことは放っといて、さっさと片付けろ」
 若い男の教師は憤慨しながらも、二人に関わるのは面倒なようで、そのまま放置した。
 火の始末も終わり、テントをたたんで帰り支度を始める頃、山下がひょっこり帰ってきた。教師はすかさず山下の耳を引っ張り「お前ら、たいがいにしろ」と怒鳴りつけ、「おい、谷村は、どこに隠れてる」と詰め寄ったが、山下はきょとんとした顔で首をかしげた。
「林道から外れて、山道に入ったところで、谷村とはぐれたんだけど、まだ、帰ってないの」
 悪びれる様子もなく山下は言った。そこで、教師は少し、不安になったようだ。
「それ、いつのことだ」
「だいぶ、前。俺、ここに戻るのに迷ったし」
 若い教師は、急いで年配の男性教師に駆け寄った。彼らは怒ったような困ったような顔をして話し合い、結局、若い教師が谷村を探しに行くことになった。
 年配の教師は、他の生徒たちを点呼し、谷村以外全員いることを確認すると「しばらくここを動くな」と念を押した。
 河原で三角座りしながら、若い教師と谷村の帰りを待った。陽はすでに傾きかけている。さっきまで半袖、短パンでも汗ばむくらいの陽気だったのが、急にひんやりとした風が吹き始め、子供たちはみんな、寒そうに手足をさすったり、準備のいい子供は用意していた上着を羽織ったりしている。春喜もリュックに入れておいたジャンパーを引っ張り出して袖を通した。
予定ではそろそろバスに乗って帰る時間なのだが、二人が戻らないことにはどうすることもできず、ただただ時間が過ぎた。
 遭難したんじゃないだろうな…
 春喜は自分が道に迷ったときのことを思い出す。知らない山では、ほんの少し道を外れただけで、どっちから来たのかわからなくなる。そんな不安な気持ちになっていたとき、不意に、緊張感のない声が聞こえた。
「お~い、ハルちゃ~ん、迎えに来てやったぞ~。帰りは直帰できるように、俺が先生と談判してやるよ」
 信夫が空気を読まずに現れた。
「ノブさん、そんなこと言ってる場合じゃねえ、一人、山に入ったみたいで帰ってこなくて、先生が探しに行ったけど、やっぱり帰ってこないんだ」
 途端に信夫の表情がこわばった。
「なんだって、おい、センコーは。探しに行った奴以外に、いねえのか」
 腰に手を当てて不安げに行ったり来たりしている年配の教師を指さすと、信夫は左足を引きずりながら駆け寄った。
「おい、生徒と教師、遭難したんじゃねえのか、消防に連絡したか」
 突然、ガタイのいい男に詰め寄られて、教師は後ずさった。
「あ、あんた、誰だ」
「そんなことより、生徒と探しに行った教師が戻らねえんだろ。あっという間に陽がくれるぞ」
 教師はうろたえたが、すぐにぱっと明るい表情になった。信夫の肩越しに目を向け、手を振る。
「先生、遅かったですね、さあ、帰りましょう」
 信夫が振り向くと、若い教師が疲れ切った顔で歩いてきた。しかし、谷村の姿はない。
「先生、谷村は?」
 年配教師に尋ねられ、若い教師は力なく首を振った。それを見て、信夫は「バカヤロー」と叫び、スマホを取り出してアキラに電話を入れた。アキラは地域の消防団員だ。状況と、今いる場所を説明し、すぐに人数を集めて来てくれと頼んだ。電話を切ると、恐ろしい形相で二人の教師を睨み付けて言った。
「お前らな、山を、自然を、なめんじゃねえ。この辺りは陽が落ちれば、今の時期、気温は零度近くなる。早く見つけないと、命にかかわるんだよ。とにかく、俺が先発で探しに行く。お前らは消防団が来たら、事情を説明しとけ。勝手に動くんじゃねえぞ」
 青ざめて立ちすくむ教師たちを後に、信夫は林道に止めてある軽トラへ向かうと、荷台に積んであったロープの束を肩に担いだ。それを、後ろから追ってきた春喜が受け取る。
「ノブさん、俺も一緒に行くよ」
 信夫は振り返り、一旦、断ろうとしたが、春喜が自分の足を心配しているのだと悟り、にんまり笑って頷いた。信夫のジャンパーのポケットから、二匹のオハギが顔を出し、チチと鳴いた。それを見つけた春喜が「あっ」と声を上げた。自分が遭難しかけたとき、オハギが道案内をしてくれたのを思い出した。
「オハギ、谷村の居所、お前たちならわかるんじゃないか」
 二匹のオハギは顔を見合わせ、首をかしげる。センパイが春喜に向かって言った。
「そいつ、自分勝手な奴なんだろ、自業自得だもん、助ける値打ちはないよ」
 コウハイも同意するようにコクコクと頷いた。春喜はちょっと驚いた。オハギは案外、厳しい。けれども、人の世は、そういうわけにはいかない。
「センパイ、そうかもしれないけど、俺、今、あいつを見捨てたら、一生後悔する。なあ、頼むよ」
 二匹のオハギはまた顔を見合わせ、しばらくチチチと鳴いた。何か話し合っているのだろう。しばらくして、センパイが「はあ」と小さくため息をつき、春喜に目を向けた。
「しょうがないなあ。そいつの持ち物、何か持ってきて。言っとくけど、そいつのためじゃないよ、ハルちゃんのためだから」
「ありがとう」
 春喜はニコリと笑みを浮かべて、すぐに河原に引き返し、谷村のリュックを持ってきた。オハギたちはその匂いをクンクン嗅いで、顔をしかめた。
「汗くさ~い」
「我慢して、覚えた?」
「当分、忘れられないよう」
 情けない声のセンパイに「後でうまいもん食わせてやる」と言って、二人と二匹は谷村の捜索に向かった。
 野に放たれたオハギたちは、時折立ち止まり、辺りをクンクン嗅ぎながら、森の中をちょこまか進んだ。辺りが薄暗くなってきたので、見失わないよう、信夫が懐中電灯を照らしている。しばらく行くと、木々が低くなり、ゴツゴツとした岩が目立つようになってきた。遠くから水の音が聞こえる。
「この先は滝があるんだ。やばいな、滝に落ちてたら、まず助からねえ」
 信夫の不安をよそに、オハギたちは滝には見向きもせずに突き進んだ。まずは最悪の事態は免れたようだ。
 林道を出発して一時間近く歩いた。オハギたちは谷村の足取りを正確にたどっているらしく、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、ときにはまた引き返したりしている。彼が完全に道に迷っているということなのだろう。
 不安な面持ちでしばらく歩くと、見上げるほどの大きな岩が見えた。その岩を通り過ぎ、しばらく行くとすぐ尾根道に出た。その中ほどでオハギたちは止まり、斜面をのぞき込んだ。
「あらら、こっから落ちたみたいだよ」
 二人は慌ててオハギたちが立ち止まった地点に駆け寄り、斜面をのぞき込んだ。傾斜のきつい斜面で、辺りが薄暗いため、底が見えない。かなりの高さがあることだけは容易に想像できる。もし、下まで落ちていたら大変な事態だ。
 春喜は地面に四つん這いになり叫んだ。
「谷村~、いるのか~、お~い」
 暗闇の中に春喜の声が吸い込まれていく。ツツドリのポッポー、ポッポーという陰気な鳴き声がもの悲しく響くばかりだ。春喜が絶望しかけたとき、コウハイがチチと鳴いて、前足を斜面に向かって指し示した。目をこらしてその先を見ると、斜面を五メートルほど下がった辺りに突き出た岩場があり、そこに、うつ伏せで引っかかるように倒れた人の姿があった。懐中電灯で照らしてみて、谷村だと確認できた。春喜は慌てて手を筒にして口元にあてて叫んだ。
「お~い、谷村~、生きてるか~、お~い」
 必死の呼びかけにも、谷村はピクリとも動かない。
「どうしよう、ノブさん、谷村、死んでるのか…」
 青ざめた春喜の問いには答えず、信夫はスマホを取り出し、電話をかけた。
「もしもし、アキラか。遭難者を発見した。林道東側、天狗岩から百メートルほど山頂寄りの尾根の斜面、滑落して途中で引っかかってる。ああ、そうだ、すぐに頼む、じゃあ」
 通話を切ると信夫は春喜からロープの束を受け取った。ロープは二種類あり、長さが違う。長い方を、谷村が倒れる斜面と反対側から突き出た太い木にくくりつけてから自分の身体にもくくりつけた。そして短い方のロープを腰のベルトに挟み込んだ。
「ノブさん、どうするの」
「決まってるだろ」
「だって、ノブさん、左足、動かないじゃないか。そんなんでこんな斜面、降りれるのかよ」
「アキラたちが到着するには、どんだけ早くても三十分以上はかかる。今の状況だと、その時間が命取りになるかもしれねえ」
「待ってよ、じゃあ、俺が行くよ」
「バカヤロー」
 信夫に怒鳴りつけられて春喜はびくついた。
「片足の俺の方が、お前なんかより確実だ、なめんじゃねえ」
 そう言って、信夫はロープを伝って斜面に降りた。左足はぶらんと下ろしたまま、右足で斜面を蹴り、するすると降りていく。春喜は慌てて、信夫の足場を懐中電灯で照らした。
 すぐに岩場へ降り立つと、倒れる谷村に声をかけ、身体を軽く起こした。ひんやりと冷たいが、死んだ人間の冷たさではない。
「おい、大丈夫か、しっかりしろ」
 信夫が根気よく声をかけると、谷村はうっすらと目を開け、口をかすかに動かしたが、話が出来る状態ではないようだ。手足を触り、痛む様子がないことから骨折などはなさそうだ。しかし、斜面を滑り落ちたらしく、半袖半ズボンからむきだした手足には擦り傷が多数見られる。信夫は自分が着ていたジャンパーを谷村に着せて「動くなよ」と声をかけてからひょいと背中に負うと、腰にぶら下げた短いロープで固定した。そして、ぐいっと木に結びつけたロープを掴み、身体を引き上げた。
「ノブさん、大丈夫」
 春喜の呼びかけには答えず、ひたすら両腕と右足を使い、少しずつ、少しずつ、谷村を背負った身体を持ち上げていく。ゆっくりだが、確実に斜面を登ってくる信夫の姿を固唾をのんで見守った。
 いよいよ尾根の縁に出っ張った岩に右足をかけ、踏み込んだとき、その岩がぐらりと揺れて態勢を崩した。
「ノブさん、危ない」
 春喜は思わず身を乗り出し、手を差し出した。しかし、その瞬間、強い力に引き戻され後ろに倒れて尻餅をついた。目の前に分厚い背中が見えた。
「よし、ノブ、このまま引き上げるぞ」
 背中の向こうに、信夫の腕をがっしりと掴んだ太い腕が見えた。伯父のアキラだった。
「お前、おっせえんだよ」
 信夫が顔をゆがめながら愚痴った。
「真打ちの登場としては、完璧だろうが」
 アキラは額に青筋を立て、血管の浮いた腕をぐいっと引き寄せながらニヤリと笑った。
 意識が朦朧とした谷村が、消防団員たちに担がれて去って行くまでの一連の素早い動作を、春喜は尻餅をついたままぽかんと眺め、ようよう姿が見えなくなった頃、我に返ってほっと胸をなで下ろした。
 病院に搬送された谷村は、軽い低体温症だった。命に別状はなかったがそのまま入院した。
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