第20話

文字数 3,204文字

 あれから十年。
 春喜のそばには、相変わらず、オハギがいた。それは、彼の心の闇が消えていないという証である。けれど、本人は、当然のことだと思っている。父親の問題は、生涯続くものだという覚悟はあった。父は、七年の刑期を終えすでに出所したはずだが、春喜の知る限りではまったく音信がない。もしかしたら母や祖父たちが隠しているだけかもしれないが、そんなことはどっちでもよかった。
 父と自分は違うのだと、そう思えるようになるためにも、真剣に将来を考えるため、まずは普通科の高校へ進学、その後、二流の私立大学へ行った。そしていよいよ就職を考えたとき、ふと思った。警察官になろうかな、と。
 さして、困っている人を助けたいとか、悪い奴らを懲らしめたいとか、そんな立派な志があったわけではない。ただ、自分の経歴、親父のことが就職に悪影響を及ぼすのだろうかと考えたとき、血縁者に犯罪者がいると警察官にはなれないという話を聞いて、本当かどうか試してみたくなったのだ。
 結果、警察官採用試験に合格し、警察学校へ入学することとなった。案外、すんなりと事が運んだのは拍子抜けだった。
 なんだ、たいしたことはないんだと浮かれていると、センパイオハギが嫌なことを口にした。あの、谷村遭難騒ぎから数年後に、衆議院議員になった谷村親父が裏で手を回してくれたんじゃないかと意地悪く言うのだ。確かに、あれ以後、谷村になぜかなつかれて、ことあるごとに親友扱いされた。来る者拒まず、去る者追わずの春喜だったので、ずっと、適当に付き合ってきて、大学卒業後は警官になろうかなと話したことはあった。けれど奴からはそんな忖度があったという話は聞いてないので、ちゃんと実力で受かったのだと信じたい。
 ちなみに、センパイオハギの宿主である信夫は、自然学校の校長として張り切って子供たちの面倒を見ているので、もうオハギが消えてもいいはずなのだが、ずっとそばにいる。きっと、他に、色々、思い悩むことがあるからなのだろう。
 春喜にはひとつ心当たりがあった。独り者の信夫は、春喜の母、律子に気があるんじゃないかと思うのだ。けれど、信夫が口に出さない限り、進展はありえない。だから、春喜もあえて、尋ねようとは思わなかった。
 そんな春喜には、彼女ができた。それまで他に付き合った女の子は二人ほどいたが、どちらも「つきあってほしい」と言われて、まあ、いいかくらいに思っていたからか、長くは続かなかった。けれど、今の彼女は、ちょっと違う気がする。
 名前は清水希和子。そう、中学二年生のときに、春喜が初めてチョコレートをもらった相手である。
 警察学校卒業後、交番勤務となって二年が過ぎた頃、財布を拾ったと一人の女が交番を訪れた。対応した春喜は、二度驚いた。
 最初は、春喜の肩にちょこんと乗ったオハギを彼女が見つけて「あ、オハギ」とつぶやいたことだ。
 さらに、唖然とする春喜の顔をじっと見つめて、彼女は目を見開いた。
「もしかして、山本春喜くん?」
 自分の名を呼ばれ、こいつ誰だと思い、彼女が署名した名前を見て、清水希和子だと知ったとき、再び驚いた。言われれば、当時の面影はあるのだが、すぐに思い出せないほど、美人になっていた。
 それをきっかけに、何度か会うようになり、希和子にも以前オハギがいたが、いつの間にかいなくなったことを聞いて、妙にうれしくなった。内気だが、細やかな気遣いができる彼女のことを本気で好きになるのに、さほど時間はかからなかった。
 非番のある日、春喜は希和子との待ち合わせ場所に行って首をかしげた。
 希和子の横に、一人、同じ年頃の女がいた。ショートヘアのどんぐり目をした丸顔はなんとなく見覚えがあった。その女は、春喜を見てニンマリと笑った。
「葛城く~ん、じゃない、山本くんか。ねえ、あたしのこと覚えてる?」
 ニヤけた顔で自分を指さすその女。間違いなく見たことがあるのだが、誰だっけ。葛城と呼ぶのだから、中学のときの同級生だろうけど。
 首を捻り、なかなか思い出さない春喜に業を煮やして、女は自ら名乗った。
「もう、鈴木よ、鈴木梨花。中二で一緒だったでしょ」
 名前を聞いてもしばらく思い出せなかったが、梨花がバシバシと春喜の背中を叩くうちに、その馴れ馴れしい態度で思い出した。
「ああ、鈴木か、お前、相変わらずだなあ」
「ごめんね、ハルちゃん、いきなりで。梨花が、どうしても会うまで内緒にしてって言うから」
 希和子が首をすくめて、上目使いで詫びる。この奥ゆかしさが、春喜にとって心地のいい存在なのだ。
 それに引き換え、梨花は図々しい。まあ、まったく違う性格だから、この二人はずっと友達でいられるのかもしれない。
 梨花に押し切られて、その日は結局、三人で食事することになった。春喜にしてみれば、久しぶりのデートに邪魔者が現れたのだが、不機嫌そうにしても、希和子が気を遣うばかりで、当の邪魔者の梨花は何食わぬ顔である。
「でも、山本くんがおまわりさんになったなんて、ちょっと驚き。やっぱり、ゆくゆくは刑事になって、犯罪者をバッサバッサとやっつけるの?」
「別に、ずっと交番勤務でもいいかなって思ってる」
「え~、やっぱり警察官なら、刑事になった方がかっこいいじゃない」
 このテンション、疲れる。春喜は答えず、チューハイのグラスに口をつけると、希和子がぼそりと言った。
「私は、ハルちゃん、このままでいい。だって、刑事になって怖い犯罪者と対峙するなんて、危ないことが起こったら嫌だもん」
 希和子の頬が赤いのは、ちびちび飲んでいる梅酒に酔ったからなのか、自分の発言に照れてるからなのか、どちらにしても、春喜の機嫌は少々、良くなった。
「そういや、鈴木、お前は今、何してんの?」
 せっかく機嫌よく質問しているのに、梨花は生ビールのジョッキをがっしり掴んで、ごくごくと喉を鳴らすと、満足げにプハーと息を吐き出した。春喜は思わず突っ込んだ。
「お前はオッサンか」
「はいはい、あたしは希和子みたいに、大人しくて可愛い女の子じゃないですからね。だって、オッサン並みの仕事してるもん」
 希和子がくすくすと笑った。
「梨花はねえ、カメラマンなの」
「カメラマン?お前が?」
 梨花はちょっと得意げな顔で鼻の穴を広げた。
「そうなの。高校卒業して、専門学校行って。在学中からアルバイトしてた映像制作会社に就職した。まあ、ローカル番組の過酷なロケとか、そんなんばっかりだけど、最近、やっと担当持たせてもらったんだ」
「へえ、がんばってるじゃねえか」
「そうなの、男とか女とか、関係ない世界だからね。報道の当番のときは、いつ事件や事故が起こるかわかんないから、延々待機ってこともあって、時間は不規則だけど。案外、楽しんでる」
「梨花ってすごいな。わたしなんて、普通の会社の地味な経理だし」
「違うよ、希和子。あたしは、あんたみたいに、きっちりした仕事が出来ないの。一時間もずっと座ってらんないの。あたしからしたらあんたの几帳面さはすごいことなの、尊敬だよ。あんたはすぐに自分を卑下するんだから、よくないよ」
「でも、わたし、梨花の半分でも強くなりたい」
 思わず二人の会話に春喜が口を挟む。
「鈴木は強いんじゃなくて、ただ、図々しいだけだろ」
「ちょっと、山本くん、どういう意味」
「そのまんまの意味だ」
 梨花がメニューで春喜の頭をバシバシ叩く。それに春喜がおしぼりで応戦する。そんな二人を希和子が慌てて止めに入る。まるで中学生に戻ったみたいにはしゃいだ時間は、三人にとって、懐かしく楽しい時間だった。
 夜も更け、お開きとなり、店の前で梨花と別れた。春喜は希和子を送っていくので、その前に梨花も送ってやろうかと言ったが、まだ、時間も早いから大丈夫と、一人手を振って帰って行った。
 後に、春喜と希和子は、そのときのことを後悔することになった。
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