第3話

文字数 2,207文字

 二週間前、バレンタインデーの朝だった。
 希和子は中学に入学したときからずっと密かに想いを寄せていた葛城春喜にチョコレートを渡す決意をしていた。このことは、小学校からの親友の鈴木梨花しか知らない。
 背が高く、長い黒髪と切れ長な目元が大人っぽく見える希和子に対して、梨花はぽっちゃりのショートヘアでどんぐり目が子供っぽく見える。けれども性格は、希和子は口数も少なく人見知りをするが、梨花は気が強くて、いつでも誰にでも、言いたいことをはっきりと言える。そんな梨花が、チョコを渡すよう進言したのだ。
「来年は受験だしさあ、今年にあげて、うまくいったら同じ高校、目指せばいいじゃない」
 何でも先を見て、計画的に物事を考える梨花らしいアドバイスだった。確かに、そうなれば、受験勉強だって楽しいかもしれない。だから、内気な希和子にとっては、人生で初めてと言っていいくらいの、大きな決断だったのだ。
 その日はいつもより一時間も早起きをして、入念に髪の毛をセットした。こっそり、リップグロスもつけてみた。けれども、一瞬にして、希和子の顔が青ざめることとなる。
 リビングのテーブルに、新聞が広げられたままだった。父が読んでいたらしいが、そのままトイレにでも行ったのだろう。普段なら気にもとめないのに、そのときはなぜか、何気なくその紙面に目を向けた。そして、ほんの小さな記事が、希和子の目に飛び込んできた。
 記事の内容は、数日前に起きた、コンビニ強盗が逮捕されたという内容だった。けれどもその犯人の名前が、希和子の心を凍らせた。
「葛城秀二って、まさか…」
 葛城くんの父親だった。彼の家族構成や住所は、情報通の梨花が事細かく調べてくれていたので、間違いようがない。それでも、同姓同名かもしれないと、自分に言い聞かせ、急いで学校へ行った。
 希和子の願いもむなしく、やはり、強盗犯は葛城くんのお父さんだった。すでに学校ではその話が広まり、教師たちも慌ただしかった。
「あれって、葛城の親父だよな」
「昨日、あいつんちの団地にパトカー来ててさあ、何事かと思ってたんだ」
「キツいよなあ、葛城。どうすんだよ」
「でも、あいつは別に悪くないじゃん」
「でもさあ、犯罪者の息子だぜ」
「逮捕の瞬間の写真、ネットに出回ってたしな」
「石とか投げられそうだ」
「もう学校、来ないんじゃないか」
「学校どころか、外、歩けないだろ」
 同情と軽蔑が入り交じった、好奇心を満たすだけの会話に吐き気がして、希和子は思わず耳を塞いだ。めまいがしてその場にうずくまりそうになったとき、誰かに腕を掴まれた。梨花だった。
「希和子~、大丈夫?」
 心配そうな梨花の顔を見て、思わず希和子は彼女の腕にしがみついた。ホームルームが始まる直前で、丁度、教師が教室に入ってきたときだった。
「はい、みんな、騒がないで、席について」
 若い女教師のヒステリックな声が雑談を打ち消してくれたのはありがたかった。みんながいそいそと席に着いたが、葛城くんの席だけはぽっかりと空いていた。
 その日の放課後には、梨花は事細かな情報を集めていた。
「どうしよ?聞きたい?聞きたくないならしゃべらない」
 すっかり憔悴している希和子をいたわるように梨花が言った。希和子は少し迷った。聞くのは怖い。何も知りたくない。けれども、何も知らないことはもっと怖いような気がして、勇気を出して「聞かせて」と答えた。
 梨花はふうっと小さなため息をついて、しっかりとした口調で語った。
「葛城くんのお父さんって、ギャンブル依存症だったんだって。それで借金がかなりあったらしいの。それだけじゃなくて、カッとなるとすぐに暴力振るうんだって。殴られるお母さんを見て、止めに入った葛城くんもしょっちゅう殴られてたみたい。ほら、たまに、顔に痣とか擦り傷とかあったでしょ。本人は喧嘩だとしか言わなかったけど、あれ、家庭内暴力だったんだよ。葛城くんは長男で、弟はまだ小学三年生だし、あの子、お母さんと弟を守るためにがんばってたみたい。それで、お母さんもこのままじゃいけないって、離婚しようとしてたみたいなの。それでお父さんがやけになって、今回の事件を起こしたのかもしれないって」
 聞きながら、希和子は涙が止まらなかった。
 葛城くんは特別男前でもないし、背だって低い。そんな彼は温厚で陽気で、冗談ばかりを言って、周囲を笑わせていた。勉強はあまり出来なかったけど、運動神経はとってもよかった。足が速かったので陸上部の顧問から、しつこく勧誘されてたけど、彼は「めんどくさい」と言って、いつもそそくさと帰宅していた。
 希和子とは特別、関わりがあったわけではなかった。時々言葉をかわすだけの、ただのクラスメイトだった。けれど、なんでかわからないけど、すごく彼のことが気になって、好きになっていた。
 すごく好きだったのに、彼がそんな悩みを抱えていたなんて、ぜんぜん、気付かなかった。自分は、彼の表面しか見ていなかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
 思わず口に出した言葉に驚いて、梨花は慌てて希和子の背中をポンポンと叩いた。
「泣くのはわかるけど、なんであんたが謝るのよ」
「わたし、葛城くんが辛かったの、知らなかった」
「そんなの、みんなそうだよ」
「今、きっと、もっと辛いのに、何にもしてあげられない」
「仕方ないよ」
 泣きじゃくる希和子につられて、梨花も鼻をくすんとすすった
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