第27話

文字数 1,024文字

 犯人が逮捕されたことを知ると、梨花は徐々に回復した。管理人常駐のマンションに引っ越し、仕事にも復帰した。それでも、事件のトラウマがすぐに消え去ることはなく、今でもエレベーターは苦手だし、背後から声をかけられるとビクリと身をすくめてしまうらしい。
 しかし、彼女は強かった。恐怖を克服するために護身術を習っているのだとか。どん底まで落ちて、力強く浮上するところは伯父と似ていると春喜は思った。どうりで、梨花のオハギは出現しないはずである。
「やっぱり、梨花ってすごいなあ」
 うれしそうに春喜に語る希和子のそばには、彼女のオハギがちゃんといる。それは彼女の不安や心配が消えていない証だ。
 春喜が思うに、希和子のオハギの素は、自分自身の悩みではなく、大切な人を想う気持ちなんだろう。実際、最初は春喜を、そして、今回は梨花のために涙を流したときに現れたのだ。それだけに、感情移入が激しいのかもしれない。だから、彼女の怒りを受け止めた彼女のオハギは行動に出た。それにコウハイとセンパイが共鳴したのか、彼女のオハギが呼びかけたのかはわからないが。
 利三郎が言っていた『オハギのつくり方』に記されていた“オハギを怒らせてはいけない”という忠告。あれは、正確にはオハギではなく、オハギの宿主を怒らせてはいけない、ということだったのではないだろうか。利三郎もチョウロウもすでにこの世を去って、本の所在もわからないので、確認することはできないけれど、たぶん、間違いないと思う。
 あんな単純でエゲツナイことをオハギたちがやらかしたということを、春喜は希和子に知らせてはいない。だから、彼女が知っているのか、知らないのかはわからない。彼女に変わった様子は見られないので、何も知らないのだと思いたい。
 オハギとは、心が支えきれなくなった嘆きを吐き出したときにつくられるモノ。世の中、オハギをつくりだしてしまった人が春喜たち以外にどれくらいいるのかわからないけれど、できることならば、そのオハギたちが、いやオハギの宿主たちが制御できない怒りを抱いて、もっと苦しむようなことにならないよう、自分に出来ることがあるのだろうか。
 もしかしたら、成り行きだと思っていたけれど、自分が警察官になったのは必然だったのか。いつか祖父が言っていた『山本春喜としてそのまんま生きろ』という意味がそこに見いだせるのかもしれない。
 三匹のオハギたちは、今、仲良くカステラを食べて目を細めている。

〈完〉
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