第6話

文字数 1,894文字

 自室に戻った春喜は、右のポケットからオハギ、左のポケットからきんつば二個を取り出し、一つの包装紙をはがして、オハギの前に置いた。オハギは待ってましたとばかりに後ろ足で立ち上がり、いただきますをするように前足をこすりあわせると、自分の身体の大きさとさほど変わらないきんつばにしがみつき、がぶりとかじった。咀嚼しながら目を細め、天を仰ぐ。しばらくするとまたがぶり、そして目を細める。四角いきんつばと丸いオハギがたわむれている様はなんだか滑稽だった。
 春喜が頬杖をつきながら、上機嫌できんつばを食べ続けるオハギを眺めていると、窓の外から声が聞こえた。首を伸ばしてのぞいてみると、祖父と弟の良介が楽しそうに話をしながら家に向かって歩いている姿が見えた。良介は大きなザルを両手で大事そうに抱えている。その中身の正体が判明したのは、その日の夕食のときだった。
 祖母が煮物や揚げ物などの大皿を食卓に並べながら、うれしそうに言った。
「ハルちゃん、食後にイチゴがあるからね。今日、リョウちゃんがおじいちゃんのハウスで摘んできてくれたのよ」
 良介を見ると自慢げに胸をはり、鼻の穴を広げて、興奮気味にそのときの様子を語った。その横で祖父が良介の頭をなで、
「リョウちゃんはなかなか筋がいいんだ」
と楽しそうに頷く。
「ボクもイチゴ作る」
 などと良介が調子のいいことを言うもんだから、
「そうかそうか。じゃああのハウスは、リョウちゃんにあげよう」
と祖父は大口をあけて大笑いした。
「良介、しゃべってばかりいないで、ほら、ご飯、ほっぺについてる」
 母がそう言うと、祖母がひょいと手を伸ばし、良介のほっぺのご飯を指でつまんで自分の口に入れた。それを見て母が笑う。祖母も笑う、祖父も笑う、弟も笑う。
 まるで、テレビの中の一家団欒のシーンだな。冷ややかな目で眺め、春喜は一人、黙々と飯を食った。
 食後のイチゴは部屋で食べると言って、小皿に取り分けてもらい、春喜は早々に自室に引き上げた。案の定、机の上で丸くなっていたオハギは、春喜の顔を見る前に、手に持っているイチゴの皿に釘付けになり、後ろ足で立ち上がるとピョンピョン跳ねた。小躍りしている。
 目の前に皿を置いてやると、オハギはチチっと歓喜の声を上げ、前足をすりあわせてからイチゴにかぶりついた。この前足をすりあわせるのは、やはり「いただきます」と言っているのだろう。なかなか行儀のいい奴だ。さらに、一口食べると目を細め天を仰ぐのは、食べる幸せをかみしめているらしい。
 春喜もイチゴを一粒つまみ、がぶりとかじった。スーパーで買うものとはあきらかに違う、自然な甘みと爽やかな酸味が口の中に広がった。
 元々、祖父は農業を営んでいたが、息子のアキラが田んぼより大工をやりたいと言ったので、六十を過ぎた頃、田んぼをやめた。その後、半分趣味でイチゴを始めたら、味がいいと評判になり、農産物直売所に下ろすと、すぐに売り切れるのだと自慢していただけのことはある。
 春喜が食べる姿をチラチラ横目で窺いながら、オハギは懸命にイチゴと格闘している。
「ちゃんと半分ずつだから、焦らずゆっくり食えよ」
 そう言ってやると、ほっとした顔をしたように見えた。
「これは、昼に、良介がじいちゃんと一緒に摘んできたんだと」
 愚痴っぽい口調でつぶやくと、オハギは一瞬顔を上げ、コクコクと頭を動かし、またイチゴに集中する。食いながら聞いているとでも言いたいのだろうか。
 春喜はふっと鼻から小さく息を吐き、自嘲の笑みを浮かべた。
「なんでだろうな。なんか、ぱっとしないんだ。つい、こないだまで、母ちゃんも良介も俺も、ビクビクしながら生きてきた。こんな暮らしはもう嫌だって思ってた。だから、ここへ逃げてこれて、ほっとしたのは間違いない。ここには暴力も暴言もなくて、じいちゃんもばあちゃんも、伯父さんも伯母さんも、町の人たちも、みんな優しくて、もう、何も心配しなくてもいいはずなのに。なのに、なんで俺は、おもしろくないんだろ」
 オハギは時折、小さな三角の耳をピクつかせてはいるが、あきらかに優先順位は話よりイチゴである。気付けば、十個あったイチゴはあと残り二個になっていた。
「わあ、こら、オハギ、俺、まだ一個しか食ってないぞ。半分ずつって言ったじゃないか、ちくしょう」
 春喜は慌ててイチゴに手を伸ばし、ひとつを無理矢理口に放り込んだ。しかし、最後の一個は、春喜がつまむより一足早く、オハギが飛びつき、がぶりとひときわ大きな口でかぶりついた。そして、イチゴを羽交い締めしたまま口を動かし、春喜を見上げ、勝ち誇った顔で目を細めた。
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