第17話

文字数 2,110文字

 ワシはずっと呑気に生きてきた。
 田舎町で金属加工の工場を経営していた遠山家は、いわば土地の名家でな。その家の三男坊に生まれて、長男は戦死したが、稼業は次男が継いだし、年の離れた末っ子のワシは、母親が溺愛してくれたおかげで、好きなことを好きなだけできる環境にあった。
 戦争も、招集はされたが、兵隊の訓練学校に入ってまもなく終戦を迎えたので、戦地に行くこともなかった。特攻隊員だった話?そんなの洒落に決まっとろう。
 ワシは文学が好きでな。終戦後は高校の国語の教師をやりながら、好きな文学を存分に堪能していた。そんなわけだから、教師という職業に、さほど熱を入れることもなく、当たり障りのない授業で、できるだけさっさと仕事をすませておった。
 その頃、ワシは古書の収集に没頭しておって、古書店をまわるのが日課だったのだが、市街地では、空襲で希少な本が消失してしまってな、なかなか、めぼしいものが見つけられない。そこで、長期の休みのときには、空襲に遭わなかった地方の古い家を訪ね歩き、面白そうな本を見つけると買い取るという遊びをしておった。
 あれは、確か、信州の農村だったと思う。とある家を訪ねたとき、丁度、処分しようと思っていたところだから、欲しい本があれば、好きなだけ持って行ってくれといわれて、ワシは嬉々として山積みされた本をじっくり検分した。その中に、気になるものを見つけた。タイトルは『オハギのつくり方』で五十ページほどのもんだった。
 紙が茶色く変色していてかなり古いもののようだが、いつ頃書かれたのかはわからない。出版社が発行したものではなく、個人が趣味で作った冊子のようだった。著者名は記されていない。その家の主婦に尋ねたが、よくわからないが、祖父さんもひい祖父さんも本好きだったので、どちらかが自分で作って知人に配ったものか、もしくはもらった物かもしれないと言っていた。
 タイトルからして料理本だろうかと思ってページをめくると、意に反して、解説本だった。どうやら『オハギ』とは、あんこをまぶした餅のことではなく、生き物のことのようである。ワシは、その冊子を買い取った。
 家に帰り、腰を据えて読み始めてみた。
 オハギは、全長七~八㎝、丸みを帯びた身体、柔らかい小豆色の体毛で覆われている。見た目はネズミに似ているが、長い尻尾はない。短い四足だが、前足は手のごとく器用である。体臭は甘い果実のようである。
 オハギは、人の心に寄り添い、その悩みに耳を傾け、ときに、解決へと導いてくれる。
 オハギはオハギの宿主たちを引き合わせる。
 オハギは諍いを嫌い温厚。
 オハギは、人の言葉をしゃべる。
 オハギは、人が食べるものをなんでもよく食べるが、特に甘いものを好む。
 オハギを決して、怒らせてはならない。
「ふうん、何か、妖怪みたいなもんかなあ。あんまり怖そうではないから、信仰のたぐいだろうか」
 さらに読み進めると、いよいよ、本題の『オハギのつくり方』が記されていた。
 オハギをつくるために必要なもの
一. 美味なもの。甘味であればなおよい
二. 自問自答。もしくはどうしようもない嘆き。強い思いが肝要
「これだけ?簡単じゃないか」
 ワシは、この儀式を行ってみたくなった。まさか、本当に、不思議な生き物が現れるとは思わなかったが、ものは試し。まあ、退屈だったのじゃ。
 まずは美味なもの。甘味がいいらしいので、家にあった、もらい物の上等な羊羹を用意した。あとは、自問自答か、嘆き。
「う~ん、自問自答ねえ。別にないしなあ、嘆くことも思い当たらないなあ」
 そもそも、悩みなどない。今の暮らしに満足している。そんなワシが自問自答したり、嘆いたりすることなど、あるはずもなかった。
 そのとき、部屋の扉をノックする音がして、母が顔をのぞかせた。
「サブちゃん、ちょっといい?」
 言いながら母が部屋に入り、見合い写真を差し出す。
「どう、この子。器量もいいし、素直でいいお嬢さんなの。一度、会ってみてはどうかしら」
 ワシはうんざりした。ここ最近、母がことあるごとに見合いを勧める。当時、三十すぎて独身の息子のことが心配でならないようだった。ワシは何かにつけて難癖をつけて見合いを断っているが、確か、この間は、相手の顔が気に入らないと言ったような気がする。確かに、今回の子は、まあまあ、可愛らしくもないことはないが、さして気乗りするようなこともなかった。
 ワシが何も応えずにいると、母はため息をつき、
「考えてみてね、写真、置いておくから」
 と言って、立ち去った。
 そこでワシは思いついた。悩みといえば、この、縁談話である。とりあえず、それでやってみるか。
 ワシは羊羹に向かって、できるだけ気持ちを込めてつぶやいてみた。
「所帯を持つなんて、面倒なんだよ。見合いなんてごめんだ」
 あたりはシンと静まりかえったまま、何もおきない。何も現れない。
「当たり前か、さほど切羽詰まった悩みでもないし、嘆きとしては弱すぎるかな。そもそも、こんな伝承のようなことが本当に起こるわけないか」
 ワシは、一人、つまらない遊びをしたと思い、苦笑した。それ以後、オハギのことは忘れた。
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