第三話 運命螺旋・後編

文字数 6,122文字

「可憐、危ない!」

 鏡子がそう叫んだ時には、既に遅かった。

「うぐっ!」

 叢雲の飛び膝蹴りは、見事に可憐の腹に入り込んだ。その強烈な一撃は、可憐を倒れ込ませるのには十分すぎた。

「大丈夫ですか、可憐さん!」

 夏穂が可憐の背中をさする。幸い意識は失っていないようだが、喋れる余裕はない。モタモタする暇もなく、違う方向から二人組が距離を詰めてくる。だが、

「下がってろ、大刃、群主! コイツらは俺が倒す!」

 叢雲は、そう叫んだ。自分だけで戦いたいのだ。何故かはわからないが、闘争心が心の底で湧き上がっている。指示を受けた大刃と群主は、旧村役場の中に隠れて窓から様子を見守る。

「うらああああ!」

 鏡子が雄叫びと共に、叢雲に襲い掛かる。しかし、腕を掴まれて逆に放り投げられた。無意味な行動であることを思い知らされる。

(もしかして…。彼もあの、塾を襲った子と同じ…?)

 目は人間のものだが、可憐は直感した。身体能力の異常な向上。特徴が童の時と似ているのだ。

(だとしたら、危険すぎるわ…! でもどうにかしないといけない!)

 何とか立ち上がれるまで回復すると可憐は、ポケットから数珠を取り出し腕に通した。札だけでは除霊の力が足りないと感じたため、装備を強化したのだ。

「無駄だ。俺の前では、な! 霊鬼はそんなちっぽけなアイテムじゃ、覆せない力を誇る…。もう一度教えてやろうか?」
「れいき…?」

 叢雲が確かにそう言うのを、可憐は耳にした。初めて聞く言葉であった。

(前の子も、それに憑りつかれていたの?)

 もしそうなら、戦い方は前と同じ。少し希望が見い出せた。可憐は札を二枚取り出し、得意の二刀流を構える。

「あんた、これでもくらえ!」

 鏡子が塩を一掴み、叢雲に向かって振り掛けた。だが、何ともなさそうである。

「何か、したかぁ?」
「効かないなんて…。ありえない!」

 通常の霊なら、この一撃は耐えられないはずだ。霊に憑りつかれている人も、苦しみを感じるのだ。しかし叢雲は、少しも苦痛の表情をしない。

「なら、これは!」

 次に鏡子が用いたのは、鉄砲水。勢いのよい水が、彼女の手から放たれる。

(それも効かないんだよ、学習済みだ!)

 叢雲は、痛くもかゆくもなかった。余裕で鉄砲水の放水を受け切ると、反撃に移る。鏡子の顔を掴みかかる。寸前で鏡子はかわしたが、かけていた眼鏡は取り上げられてしまった。

「……?」

 鏡子の視界が歪んだ。目の前にいる叢雲との距離すら、靄がかかっているように見えてわからない。

「ハッハ! 裸眼の視力は皆無、か! じゃあこれを割ってやるぜ!」

 叢雲は、その眼鏡を地面に落とすとその上にジャンプし、ガチャンと眼鏡を破壊した。
 だがそれは迂闊だった。急に叢雲の視界が暗くなる。

「な、何だ?」

 実は、鏡子の眼鏡には保険がかけられていたのだ。割った者の目から、一時的だが光を奪う呪い。当て逃げされた際に犯人を逃がさないための工夫だったが、ここで役に立った。

「鬼火はどう?」

 いくら眼鏡がないとはいえ鏡子にとって、自分よりも何も見えていない相手に鬼火を命中させることは簡単だった。

「ぐぐぐぐっぐぐ! 熱い!」

 流石に霊鬼をもってしても、鬼火は防げない。左腕が悲鳴を上げている。急いで手を振って引火した炎を消す。

(チッ! 火傷は負ったが軽症だ。この痛みは倍にして返してやる!)

 増々叢雲の闘争心が熱くなる。

「どこ行きやがったぁぁっ!」

 やっと叢雲の目が光を拾えるようになった。だが前に鏡子の姿がない。

(ならば、後ろか?)

 速攻で振り向く。しかし、そこにもいない。すると急に、足元の地面が音を立てて崩れ落ちる。

「どんなもん? ざまあみなさい!」

 一杯食わされた。奈落の罠である。叢雲が命を落とさずに済んだのは、霊鬼が憑りついているお蔭だった。

「面白い! そうでなくてはつまらないからな…!」

 もっと俺を楽しませろ。叢雲はそう思っていた。今の彼は、常に冷静沈着な任務遂行マシーンと呼ばれたかつての姿とは、全くと言っていいほど異なっていた。以前の彼だったら、ここまで戦闘を長引かせることすら嫌い、隠れて隙を突いて全て終わらせていたであろう。

(今度は俺の番だぜ!)

 今とかつての違いすら考察する暇もない。叢雲は月見の会の集落では味わえない、緊張感のある戦闘を楽しんでいた。

「もう一発、鬼火を!」

 鏡子がそれを手から発射する。だが叢雲は止まらない。逆に勢いよく突き進み、鬼火を切り裂いて鏡子の真ん前に躍り出る。

「えぇ?」

 ガードする暇すら与えず、叢雲の拳が鏡子の顔面に迫る。

「ずあっ!」

 その速い一撃は、鏡子の体を数メートル吹っ飛ばした。立ち上がれないところを見ると、もう戦えないだろう。ここでトドメを刺すべきだが、

(あと二人、いたよなあ!)

 もはや冷静になれと言う方が不可能であった。叢雲は本心から、戦いを望んでいた。そして少し距離を取っていた夏穂を発見し、瞬く間もなく接近する。

「ひゃああ!」

 二人目も簡単だ。そう確信した。
 だがそう思った瞬間、叢雲の体は横に吹っ飛んだ。

「どう? 私のこと、忘れてない?」

 可憐だ。札に込められた霊気を一気に解放し、生じた風圧が叢雲の体を持ち上げて動かしたのだ。反動で霊気を失った札は、弱い風に吹かれただけでボロボロになっていく。

「ああ、忘れてたぜ。だがな、もう思い出した!」

 上手く着地した叢雲は、可憐を睨んだ。

(コイツは、できそうだな。俺をガッカリさせるなよ!)

 真っ直ぐ睨み合う二人。その時、上空で雷鳴が唸った。
 まず叢雲が横に走り出した。すると可憐が並走して追いかける。

(ついて来れるか?)

 叢雲が向きを変えた。負けじと可憐も距離を詰める。

「しつこいな!」
「あたりまえよ!」

 一方が拳を上げれば、もう一方がそれを受け止めて逆に技を決める。また一方が足を上げれば、もう一方はそれをジャンプしてかわす。二人の戦いはシンプルだが、中々終わらない。

(不味い! 持久力はきっと私の方が下。このままでは勝てない! ここらで現状を打破しないといけない!)

 可憐の判断は正しかった。現に可憐の体はわずかだが汗をかき始めている。呼吸も少し乱れている。だが叢雲は息が正常だ。疲れも感じていない。
 可憐は髪の毛を数本、抜いた。そしてそれを叢雲に向かって投げつけた。

「っつ!」

 細すぎてよく見えず、叢雲はこれを右腕に受けた。突き刺さった髪の毛から霊気が流れているのか、尋常ではない痛みが体の中に流れ込む。たまらず立ち止まり、一本一本乱暴に抜き取る。

「こんな小細工! だが! 逆にお前が追い詰められてるんじゃないのか?」
「何でも言ってなさいよ! 私はどんな状況でも抗ってみせるわ!」

 既に叢雲の心のエンジンは温まっているが、可憐も同じく燃え上がっている。こんな強敵に会えたのは、人生で初めてのことなのだ。

(負けるかも、私。そうしたら殺められる? それが嫌なら勝てばいいだけよね)

 可憐の心は、命のやり取りをしているとは思えないほど冷静に、すべきことを理解していた。

「お前が寄こしたこの髪の毛は! 返してやる!」

 叢雲が可憐の髪の毛を構えて、解き放った。可憐の時とは違い髪の毛は曲芸飛行をしながら読めぬ軌道を描いて、可憐に襲い掛かった。

「なんの!」

 札を振り、防御する。しかし撃ち漏らした数本が、胸に刺さる。

「もらったぁ!」

 痛みに悶絶しないはずがない。叢雲は隙ができたと確信し、ジャンプしながら手刀を可憐に向けて振り下ろした。

「こっちが!」

 だが可憐は、全然痛みを感じていない。服の下に札を忍ばせており、それが自分の体に流れ込む叢雲の霊気をガードしてくれているのだ。
 叢雲の手刀は、札で受け止める。そして彼が着地する前に、可憐は足を上げてその腹に膝を入れた。

「ぶあああ!」

 宙に浮いていては受け身が取れず、まともに喰らうと叢雲の体は後ろに飛んだ。

「よ、よし! やったわ!」

 一まず、呼吸を整える。自分でも驚くくらい、息が上がっていた。
 だがすぐに叢雲は立ち上がる。

(これが、霊鬼の力なの? 彼は不死身……?)

 そんなはずはない、と首を横に振った。

(必ず弱点はある。完璧なものが存在しないのと一緒…! 強大な力はどこかで必ず破綻する!)

 可憐は構えた。

「さあ、どこからでもかかってきなさいよ? できないなんて言わせないわ!」
「俺を、挑発しようというのか!」

 叢雲は、怒りを感じた。だが同時に、挑発に乗ってもいいと思った。寧ろ、そうするべきだと即座に判断した。

(アイツも全力を出すなら、俺だって! ここで見せないでいつ出すって言うんだ?)

 叢雲も構えた。

「行くぞ、喰らえ!」

 叢雲が手と手を擦り合わせ、静電気を生み出すとそれを可憐に向け、発射した。

「あなたが飛び道具? どうやら追い詰めてるのは私のようね」
「言ってろ! どうせそれしかできないんだろうからな!」

 読めない動きではない。小さな稲妻を、最小限の動きでかわす。

「無駄みたいね!」
「果たしてそうか?」

 目の前でかわしたというのに、叢雲の方が余裕の表情を見せる。

「何?」

 次の瞬間、可憐の体に電撃が走った。

「俺にとって、電霊放の軌道を途中で変えることは簡単だ。避けたつもりか? ワザと避けさせた。そうすれば必ず油断して、被弾すると思ったからな!」

 しかし、可憐は怯まない。札が電撃で丸まったのをいいことに、それを叢雲の胸に突き立てる。

「うぎいい!」
「やっぱり追い込んでるのは、私ね。ワザと当たってやったのよ」
「おのれぇ!」

 ここまで来たのなら、小細工はいらない。本気と本気のぶつかり合いだ。勝利への執念が強い方がこの勝負に勝つのだ。

「いくぞおおおおおおお!」
「うわりゃあああああ!」

 二人は叫ぶと共に、ぶつかり合った。拳と拳が当たり、お互いに相手へ霊気を流し込む。だが怯んでいる暇はない。そんな甘えを見せたが最後、一方的に負ける。
 凄まじい攻防。地面の砂が、気迫に押されて舞い上がる。校庭の近くに生えている草木が、激しい空気の動きに流されて揺れる。

「づああああああああ!」

 叢雲の強力な手刀が、可憐の首を襲った。

(勝った!)

 その確信が、叢雲にとって命取りになった。
 可憐は、その手刀を首で受け止めたのだ。

(馬鹿な? 霊鬼の力をもってしても、切り飛ばせないのか!)

 そして、もう一撃をお見舞いしようと左腕を伸ばしたその時、可憐が札を振り上げた。
 スパッという音がした。

「げっ!」

 叢雲の左腕の肘から先が、切り落とされる音だった。

「はあ、はあ、はあ…。これは、どう?」

 わざわざ聞くまでもない。叢雲は衝撃を受け、動作が固まっている。血が、傷口から流れ始める。

「おおお、おおおおおおおおおおおっ…………!」

(まだ安心できない。腕を失ったぐらいで引き下がるとは思えない!)

 ここで可憐は、追撃を仕掛ける。髪の毛を抜くと同時に、叢雲の腕目がけて吹き飛ばす。ちょうど、骨と肉の間に突き刺さった。

「…がっ!」

 直に肉体の内部に霊気が流されると、さすがの叢雲も立ってはいられなかった。その場に腕を押さえながら崩れ落ちた。

「私の、勝ちね!」

 可憐は、叢雲を捕まえる気だった。そうすれば月見の会が現在どこを本拠地にしているのか、一発でわかる。それを聞き出すためにも、童のように死なれては困る。
 ここで諦めの悪い叢雲だった。切り落とされた腕がひとりでに動きだし、可憐の首に飛びついた。

「うう…。くっ…」

 恐らく、最後の力を振り絞って動いているのだろう。それとも霊が動かしているのか。振りほどけないぐらい強力に首に食らいついている。

(息が…!)

 札で腕を切る。しかし少し肉や骨を切り裂いたところで、力は全然緩まない。かえって攻撃できる部分が減っていく。何度か切って手首だけになったが、それでも、だ。まさに死んでも離さない。

(いやっ…………………もう、ダメ…)

 可憐も足に力が入れられず、地面に落ちた。落ちると同時に、やっと手が首から外れた。

「ゴホ、ゴホゴホッ!」

 慌てて新鮮な空気を吸い込む可憐。

(力が最後まで持たなかった?)

 誰しもが、そう考えるだろう。しかし違った。
 さっきまで目の前に倒れ込んでいた叢雲が、その場にいないのだ。

(どこに?)

 戦いに夢中になり過ぎて、可憐は叢雲に仲間がいたことを忘れていたのだ。叢雲は様子を見かねて旧村役場から出てきた大刃と群主に救出され、既にその場から離れていた。叢雲が離れていくから、残された左手の力が消失したのだ。

「でも、どうして? まさか逃げたの?」

 それも違う。急に熱を感じた可憐は振り向いた。

「か、火事よ! 鏡子、夏穂! 火を消して!」

 月見の会の三人が、可憐との決着よりも自分たちの任務を優先させただけのことだった。

 旧村役場が炎に包まれている。木造建築であるが故に、火の手はすぐに大きくなる。近くに消防団の類はない。防火用と書かれたバケツも、中身の水は既に干上がっていた。

「可憐! この火は大きすぎる! 鉄砲水なんかじゃ消せない!」

 火の手は、周りの建物にも燃え移る。引火がさらなる引火を呼び、廃村が燃え上がる炎に照らされて明るくなる。

「逃げましょう! このままじゃ丸焼けです!」

 夏穂がそう言い、二人の手を引っ張った。

「でも、まだ勝負が…」

 未練がましく言う可憐に対し、鏡子が、

「忘れたの? 私たちの目的は戦うことじゃない! 月見の会の様子を確認すること! 彼らは戦う姿勢を見せた、そう報告すればいいだけでしょ!」

 炎が完全に村を飲み込む前に、三人は長治郎の待つ車に非難した。
 旧村役場に残された月見の会の移住計画の証拠は、完全に灰と化した。そして炎は驚くことに、村を焼き払うと勝手に鎮火したのだ。


 長治郎に事情を説明し、四人は車で東京に戻る。その帰り道、可憐はあることを考えていた。

(あの人…。名前を聞いていなかったわね。どんな名前なんだろう?)

 そして、こうも思うのだ。

(もう一度、出会えないかな? また戦いたい。私の心が、あんなに踊ったことは今までで一度もなかったわ。燃え上がらせてくれた、唯一の存在…。今度は必ず決着を…)

 その望みは、必ず叶う。

 何故なら二人の運命は、既に絡まっているからである。
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