第四話 防衛作戦・中編

文字数 5,934文字

「さて、こっちか?」

 狂儀は境内の建物の影から出てくると、可憐が隠れていそうな場所をしらみつぶしに探す。だが、いない。

「あの女、どういうつもりだ…? 戦う気、あんのか!」

 可憐は、元の場所に戻っていた。そこから一歩も動こうとしない。

「ふっ! なら奇襲できるな。もう勝ったも同然だ」

 狂儀は、本殿の上に登った。上からなら、防ぎようがないだろう。そう判断したのだ。屋根の上を移動し、可憐との距離を詰める。相手はまだ、こちらの接近に気が付いていない。

「いただきだぜ!」

 自分にしか聞こえないボリュームで、そう呟く。そして胸ポケットから札と藁人形を取り出し、いよいよ先制攻撃に移る。
 狂儀が飛んだ。音もなく屋根から可憐に襲い掛かる。だが、先に相手に一撃を喰らえられたのは、可憐の方だった。狂儀の方を見てすらいないのに、その方向に札を飛ばすと狂儀は打ち落とされたのだ。その衝撃で手に持っていた札が離れ、風に乗ってどこかに飛んで行った。

「何だと?」

 あり得ない現象に狂儀は叫ぶ。

「やはりそこね。上から来る…そう思っていたわ!」

 完全に読まれていたのだ。

 可憐は、この寺院の中をウロチョロしていれば確実に先に攻撃されることを悟っていた。だから隠れることはやめて、元の位置に戻ったのだ。そしてこうしてジッとしていれば、必ず向こうから攻めに来る。なら、その瞬間を待つのみ。
 最大の難点は、どの方向から襲ってくるか。だからリスクは高いものの、少し建物がきしむ音が聞こえた時、札を上に向かって大量に投げた。その内の一つが狂儀に命中した。

「だが、これで勝ったとは思うなよ? 俺はここからだぜ!」

 すぐに立ち上がると狂儀は、藁人形を可憐に見せつけた。

「何をする気?」
「見てりゃ、わかる!」

 藁人形の腕を、少しひねった。その瞬間、可憐の腕に激痛が走った。

「うああああああああ!」

 腕が、あり得ない方向に曲がろうとしている。

(あの藁人形と同じ動きを私が、しようとしている? 体が勝手に動いている!)

 即座に理解した。

 狂霊寺は、呪いに精通している寺院だった。実は周りの森林の樹木の幹には、大量に藁人形が張り付けられている。毎年回収し供養しているのだが、それでも誰かを呪おうとする人が後を絶たないのだ。そしてここの跡取りとして育った狂儀が呪いに疎いはずがない。

「恨みのない魂はない! くらって都会に帰れ、里見可憐!」

 だがこの呪いにも欠点があった。

(あの藁人形を叩き落とせれば、止められるかもしれない!)

 可憐は言うことを聞かない腕を押さえながら、狂儀に近づいた。相手の両手は塞がっている。

「おおっと、そうはいかねえぜ!」

 可憐が札を構えたのを見て、狂儀が藁人形を前に突き出した。

「切れるもんなら、切ってみやがれ! そうしたらお前の体も、ただじゃ済まねえ!」
「なるほど、ね…」

 相手としては最大の防御。そして自分からすれば最大の攻撃。可憐は一歩後ろに下がった。

(なら、作戦を変えないと。あの藁人形を潜り抜けて、狂儀の体にのみ命中させれば! 私なら、不可能じゃない)

 髪の毛を使う。その細さは、きっと防げないだろう。
 だが、狂儀は可憐が後ろに下がったのを見ると、藁人形にさらに一手加える。

「きゃあああ!」

 さっきまで自由だったもう片方の腕も、封じられた。

「はは、その程度かよ? それで俺に戦いを挑むとは、無計画にもほどがあるぜ」

 そのままの状態を維持し、狂儀は続ける。

「降参しろ。大事にはしねえ。それで都会に帰れ。ここはなあ、お前みたいな甘ちゃんが来るところじゃねえのさ!」
「そう、みたいね」

 可憐は、体を振った。するとスカートの中から、仕込んであった札が落ちる。それを狂儀目がけて蹴り飛ばす。油断していた狂儀は避けられず、脛にこれが突き刺さった。

「うぐぁ?」

 態勢がこの一撃で、崩れた。札に込められていた霊気が狂儀の体に流れ、それが沁みて痛みを生み出す。当然、狂儀はこれを抜こうと手を伸ばすが、そうすると藁人形の片腕が解放される。

「そこ、逃がさないわ!」

 瞬時に可憐は動きだし、狂儀とすれ違う。すれ違いざまに一撃をお見舞いする。

「な、つ、強い…!」

 峰打ちにしておいた。お蔭で狂儀の手首は切り落とされはしなかった。だが、藁人形を掴んでいることはできず、地面に落としてしまう。すかさず可憐がそれを没収すると、札で切り刻んで使えなくする。

「どう? これでも私を馬鹿にできる? 少しはやる、でしょう?」
「見てえだな…。まさか、こんなガキに突破されるとは思ってもいなかったぜ…」

 すると大きく息を吸い込んで狂儀は、

「どうやら、本気を出さなくちゃいけねえ! 久しぶりだぜ、この感覚はなあ!」

 今まで本調子ではなかったらしいが、そんなことで一々驚く可憐ではない。

「さっさとしなさいよ。日が暮れるじゃない」

 と、言ってやった。

「じゃあよ、後悔は無しだぜ! 行くぞおおお!」

 懐から丸いガラスの玉を取り出した。そしてそれを、狂儀は思いっきり地面に叩き付けた。

(まさか、霊鬼?)

 可憐は目を疑った。だがそれは彼女の想像していたものとは違った。
 ひどく冷たい空気が、境内の中に広がる。同時に太陽が分厚い雲に隠れ、日が遮られて辺りが暗くなる。

「さあ、罪霊よ! 霊界重合を引き起こせ!」

 霊界重合。それは禁じ手でもある。展開するなら強力な霊が必要だが、その種類は問わない。これは辺り一面を、霊界のようにしてしまう呪いだ。故に既に、多くの霊が境内の中に出現した。これらは浮遊霊であり、必ずしも生者の言うことを聞くとは限らない。だが、霊界は呪いや思念に満ち溢れた場所。そこでは強い思いが、現実となる。

 つまり、人を呪うには好都合な空間を、ガラス玉一振りで作り出したということ。

「な、何?」

 おぞましい雰囲気が周りから溢れかえる。その光景に可憐は釘付けになり、そして恐怖した。

「ああっ!」

 不意に、横腹を突かれた。

(そうだったわ。勝負はまだ、終わってない! これも相手の作戦の一つ。ならば!)

 打ち負かすのみ。そしてそれができるのは、自分だけ。可憐の行動は早かった。近くにいる邪魔な幽霊を、除霊するためにお経を唱える。
 しかし、全く効いていない。

(除霊ができない? そんなことって…?)

 その様子を見た狂儀が、

「無駄だぜ? 霊界重合の中では、霊をあの世に送ることは不可能! ここがあの世と同じ状態になってるんだからな!」

 と叫んだ。狂儀の方も幽霊にぶつからないように慎重に歩いている。

「そうみたいね? でも、それで私が不利になるとは思えないわ!」
「言ってろ。どうせお前は何もできずに負ける」

 狂儀はやはり藁人形を用いた呪いを使うらしく、新しいのを取り出した。

(また、来る! 回避不能な攻撃が!)

 どうやっても避けられない。なら、どうするか。可憐は既に解答を頭の中に描いていた。

「うりょりゃあああああ!」

 痛みを度外視して、攻撃する。ただそれだけだ。

「な、なななな、何だと!」

 狂儀は既に、さっきよりも強く藁人形を捻っていた。だがその痛みに屈することなく可憐が突っ込んでくるのだ。

「はああああああああああああああおうううおおおおおおおおおおおおおお!」

 可憐は自分の髪の毛の先端を、千切った。そしてそれを握りしめると、その拳を前に突き出しながら前進する。

「効いてない、わけがない!」

 さらに藁人形に力を加えていく。

「うぐぐぐ、ぐりゃあああああ!」

 もう立っていられないくらいの痛みが、全身を襲っているはずだ。事実可憐は激痛に、少し涙をこぼした。だが、それでも止まる気はない。

「そこだあああああ!」
「うぎゃあああああああああおおおおおおおおおあああああああああ!」

 今度は狂儀が絶叫する番だった。可憐の拳をその身に受けた。すると、呪いが自分に跳ね返って来たのだ。表現することも難しいほどの激痛。体がバラバラになりそうだった。

「わああああああああああああ…!」

 狂儀は、その場に倒れた。もはや、まいったと言う体力も残っていない。

「どう、よ?」

 可憐のみが、立っていた。

(これで私の勝ちね。…ん、何よ…?)

 可憐の勝利は、狂儀にとって大誤算だったのだ。霊界重合は勝手に治まる現象ではない。誰かが鎮めなければいけない。狂儀はその方法を知っているが、実行できる状態ではない。

「ちょっとあなた、この状況をどうにかしなさいよ!」

 体を揺すると、狂儀は呟いた。

「できるか…。俺が負けるなら、それでこの寺は終わりさ………。霊界重合は止められないなら、弱った人間はあの世に連れて行かれちまう…」
「何ですって! それは私が止めるわ!」
「だから、できねえって言ってるだろ!」
「してみせる! 不可能を可能に! やってもみないで諦めるなんて、私にはできない。それこそ、負けを認めることだわ!」

 その心に打たれたのか、狂儀は、

「罪霊だ。人の心の闇の塊みてえなもんだ。」

 と言った。可憐がさらに耳を傾けると、説明を続ける。

「霊界重合はな、引き起こした霊を鎮めれば止められる。俺は、この寺に伝わる罪霊を解き放って引き起こした。何でもいいから罪霊を、封印しろ。それができれば、霊界重合は治まる…」
「そうすればいいのね?」

 頷いて狂儀は答えた。

 可憐は、ポケットから予備の数珠を取り出した。

(ガラスの玉で良かったのなら、これでも十分封印出来るはず…!)

 握りしめると、寺の上を見た。罪霊らしき怪しい影がそこで蠢いている。

「行ってくるわ。でも封印したら、その霊は私がもらう。戦利品よ」
「好きにしな。俺の手元にいても手に余るだけだ……」

 狂儀の許可を得ると可憐は、どうやって屋根に登って罪霊に近づくかを考えていた。梯子の類はなさそうだ。

「おびき寄せるしかないわね…」

 そうと決まれば、霊が寄ってくることを実行する。
 指の先を、噛んだ。血が一滴、地面に落ちた。

「あれがある種の悪霊なら、血の匂いに興味を示すはず!」

 場合によっては、多くの血が必要かもしれない。だがその心配とは裏腹に、罪霊はゆっくりと降りてきた。
 よく見ると、顔がある。とても怖い表情をしている。額には、角まで生えている。

「罪霊って言ったわね。何か罪でも犯したってこと?」
「ソイツはな、人の心に忍び込むと、悪行をさせる…。心の闇が餌なんだ。どんな善人でもその力には抗えねえ。さっさと封印しないと、お前の心に入り込んで罪を犯す羽目になるぞ…」

 狂儀が答えた。

「それは危険極まりないわね。じゃあささっとやっちゃうわよ」

 封印の仕方は完全にオリジナルだ。そんなの習ったことはない。だが可憐は、こちらの思いが強ければ上手くいくと直感していた。

「…!」

 罪霊が進む向きを変えた。可憐とは全く異なる方向に、急にスピードを上げて動く。
 その先には、タヌキの腕を掴んで立っている少女が一人。足元は真っ赤に染まっている。

「幽霊…じゃない! 誰よあなた!」

 その少女は質問には答えず、

「血の匂いで誘導できるなら、自分以外の誰かに流させればいいね」

 と言った。よく見ると、持っているタヌキは死んでいる。おそらく血を抜き取られ、息絶えたのだろう。

「そして……私がこれで!」

 ガラス玉を持ち出すと、それを罪霊に当てる。すると罪霊は紫の光を放ちながら、玉に吸い込まれた。すると一瞬にして、周囲の不気味な雰囲気が消えた。霊界重合があっけなく終わったのである。
 その時、ベルトに身に付けている勾玉がチラリと見えた。

「その勾玉は……月見の会!」

 塾で見た、童のと同じだ。間違いない。彼女は月見の会の者。
 しかし、一体どうしてここへ? 可憐にはそれがわからなかった。

「私、月見(つきみ)蓑火(みのび)っていうね。危ないのは封じたし、話があるのはお前じゃなくて狂儀の方。引っ込んでてちょうだいね?」
「そう言うわけにはいかないわ」

 可憐はやっと立ち上がった狂儀の前に出た。罪霊を取られ、しかも無関係と引っ込んでいるわけにはいかない。

「おい可憐。月見の会って何だ?」

 対する狂儀は、それを知らないらしい。

「いい質問ね! 月見の会は優れた霊能力者の集い。いずれは神代を滅ぼして、取って代わる」

 それが、月見の会の目的らしい。

「俺としては、神代なんてどうでもいいが…。だが、コイツは野放しにしない方がいいってことはわかるぜ。お前、何しにこの寺院に来た?」
「文献の破棄だね。月見の会がどこにいるのか、それを知っている。って思ったけどね、その様子じゃ知らないらしいね」

 蓑火の言葉は、本当だった。元々狂霊寺は、霊能力者の動向にはあまり関心がない。だから神代と月見の会がいがみ合っていることも知らないのだ。
 月見の会の判断ミスであった。この寺院には、集落の場所を示す手がかりはない。会を抜けた者が、次の信仰の候補地として調べただけの資料を持って帰り、ここにその者が逃げたと勘違いをしてしまった。しかも狂霊寺には、神代の息のかかった者が既にいる。ここから帰るのは、難しい。尾行されては、集落の匿名性が意味をなさなくなる。

「仕方ない。お前たちには消えてもらうね。目撃者は生かしておけないからね」

 蓑火は、やる気だった。やはり鏡を取り出すと、それを叩きつけて割る。するとさっきまでの柔らかい表情は消え失せ、不気味な笑みを浮かべた。

「何だコイツは?」
「気を付けなさい、狂儀…! 霊鬼っていう、とても強力な、力よ」
「聞いたことがねえ。都会ではそんなのが流行ってるのか」
「違うね、月見の会だけの話。お前たちには内緒」

 蓑火の台詞を聞いていて、可憐は思った。

(この子…。最初の子とは違う。普通に喋れてる。最初の子は、全く会話できない状態だったのにどうして? そう言えば、廃村で出会ったアイツも、普通に会話できていた…?)

 その疑問の答えは、はるか遠くに待機している遠呂智だけが知っていた。
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