最終話 戦争終結

文字数 3,255文字

 気が付くと、夜が明けていた。二人は朝日に照らされた瞬間、その温もりでここが現世であることを思い出した。

 叢雲は、月見の会の集落の方向に顔を向けた。この谷からはそこがどの方角なのか、判断する目印はない。ただ、明るくなっていく空に似合わない紫の閃光が広がっている空域があるのだ。
 そこが、また紫色に輝く。幻霊砲の第三発目が撃ちこまれた瞬間だった。

「俺は……」

 何も言えない。いいや、言う資格がない。叢雲には、任務があった。月見の会の未来を左右する、重要な役割。与えられたはずの職務を全うできなかった。違う、しなかったのだ。

 この時の叢雲は、酷く冷静だった。

 また、閃光が空に走る。霊能力者なら誰しもが見ることができるその光の下で、自分の仲間たちが奈落に落とされていく。

(仕方なかったんだ。俺が放っておいたら、あの存在は世界を飲み込み、この世が全てあの世に変ってしまう。止めるには、足を止めて戦うしかなかった)

 そして、こうも考える。

(あの周辺に、谷があるなんて知らなかった。迷い込んだのは不可抗力だ)

 さらに、こう思うのだ。

(幻霊砲が撃ちこまれたのは、俺だけの責任じゃない。大刃や群主だって同じ任務に赴いていた。いいや、他の者たちも。でも彼らも、発射地点に最後までたどり着けなかったんだ。俺も同じ、防衛ラインを突破できなかっただけだろ)

 自分の近くに立っている可憐を見て、こういう発想も生まれる。

(可憐が悪い。可憐と関わり合いを持たなければ…。俺の道は、この女のせいで滅茶苦茶だ)

 叢雲は、言い訳を探していた。そして自分に、そう言って聞かせた。

 だがどんな理由を見つけても、結局は自分がかわいいだけ。守るべきは月見の会であり、自分じゃない。自分の擁護しかできなくなった時点で、ただの敗者。

 五発目が、撃ちこまれた。振動も感じない、轟音も聞こえない、静かな攻撃。それにただただ、心が動揺する。

 叢雲は跪いた。切り開くべき未来を、自分で台無しにしたことを悟ったのだ。

 六発、七発、八発、九発と続く。それが何を意味しているのか、叢雲にはわかっていた。

(もしも…)

 もし、叢雲が可憐に固執したりしなければ…。この場でイフを考えるのは彼に失礼かもしれない。だが、本当にその場合は、きっと結果は違っただろう。可憐を振り切って幻霊砲の発射地点に向かえば、未来は変えられたかもしれない。少なくとも、こんなところで生きて後悔を感じてはいないはずである。

(そうか、俺は………)

 自分の生き方にすら、真っ直ぐ向き合えなかったのだ。
 不本意に生き残ることが自分にとって幸せなのか? 誇り高く散っていくことを望んでいたのではなかったのか? だから橋姫に、死に急ぐ傾向がある、と言われたのだ。自分の求める人生観は、自分が一番よく知っている。

「そんなに恥じることはないわ。あなたはよく戦った。あなたがいなければ、私は今頃地獄で舌を抜かれてるわよ」

 可憐が見るに見かね、そう言った。

「……」

 叢雲は、お前さえいなければ、と怒鳴りたい衝動に駆られた。だがそんなことをしてもかえって自分が惨めに思えてくるだけ。罵声は喉の奥から出てこなかった。

「殺せよ。もう終わりだ、月見の会は、なぁ…」

 叢雲は仰向けに大の字になって寝転がると、そう言った。

「ここでそんなことしても、私は何も得しないわ」
「俺を倒したくはないのか?」
「それは、倒したいわよ。でもそれは勝負した結果であって、戦争の結果じゃない。こんな形で決着しても、いい心地じゃないの」
「そうかよ…」

 叢雲の命は、見逃された。死ぬことすらも許されないのだ。屈辱が過ぎる。

「俺の人生、何だったんだのか。これじゃあ何にもわかりやしない」
「人生なんて、これからでしょう?」

 可憐は続ける。

「せっかく生き延びたんだし、自由に生きてみなさいよ。そうすれば次の目標もきっと見つかるわ。死ねば一度きりの人生でも、生きているならワンチャンスじゃない。月見の会の未来は気の毒だけど、そうならあなたの未来を探せばいい」
「俺の、未来…?」

 叢雲の心に、迷いが生じた。ここは重要な分岐点である。月見の会として死ぬか、新しい自分として生きるか。選択を迫られる。

「何も今、結論出さなくても。でも考えてみてよ。私はあなたに出会えたから、こんなに頑張れたし、心も踊った。最高だったわ、あなたに会えて。あなたは違うの?」
「……………」

 叢雲の心が、傾いた。

 彼は、大刃や群主、八咫といった同期の中でも特に抜きん出た人たちのせいで、自分の才能に早くも限界を感じ、可能性すらないと思っていたのだ。だから死に急ぎやすくなったのかもしれない。
 なら、月見の会としては死んだことにしよう。

 叢雲は、ボロボロになった義手を外し、その辺に放り投げた。もう霊鬼はいらない。過去の自分とは、決別するのだ。

「決まったみたいね」
「ああ、お蔭でな。俺は生きてみようと思う。もし生きていたら、お前のような人間と出会うかもしれない。そしてまた、闘争心が湧き上がるのかもしれない。そうしたら、生きていることに意味が見い出せるのかもな」
「なら…」

 可憐は、手を差し伸べた。もう叢雲は戦うべき敵でも、倒すべき相手でもない。共に立ち上がり、生きるのだ。

「もう帰る場所もないんでしょう? でも戻るべきところなんて新しく作ればいいだけだよ」

 つい昨夜まで、命のやり取りをしていた相手にかけるような言葉じゃない。でも可憐は言った。

「悪いが、その手は受け取れない」

 叢雲は、断った。自力で立ち上がることにこだわった。

「月見の会はもう消えた。でも俺は神代の手は借りない。自力でこの世を生き抜いてみせる。そしてもし次にお前と再開しても、勝負は無しだ」

 そして決意を露わにした。

「そうね。それがいいわ」

 可憐もその意志を、尊重した。結果としては決着は、永遠にお預けになってしまう。でもそれでいいのだ。霊能力者同士、同じ力を持つ者がいがみ合うこと自体が、間違っているのだ。

(これで、いいんだわ…)

 可憐はそう思うと、急に全身の力が抜けた。
 今まで、ずっと緊張していたのだ。叢雲を倒すために、闘争心に火がついて、暴走していたのだ。それが急に水をかけられたように鎮まった。

「後悔? ないわ! 熱くなれただけで十分よ。私の魂は輝いていた。いいや、叢雲が輝かせてくれた」

 つい、口に出してしまった。目の前にいる叢雲に聞こえるボリュームで。だが叢雲は、何も言わない。

 叢雲が歩き出した。自分の明日に向かって。まずは第一歩、この呪いの谷を出るのだ。その先はどこになるのかは、わからない。最終的に自分は、どこに行きつくのか。無計画にもほどがあるが、彼の心の中で希望が、芽を出した。そして集落に寄り道する気はない。
 気が遠くなるほどの旅になるかもしれない。でもそれがいい。ゴールが見えない方が、長く生きたいと思えるからだ。
 その背中を可憐が見送る。叢雲は自分の道を見つけ、そこに軌道を戻した…と言うよりは初めてその道を歩き出した。可憐は可憐で、今まで通り生きていくのだ。まだ見ぬ自分の未来を見るために。まだ知らぬ自分の可能性に気付くために。


 霊怪戦争、終結。神代が勝利、最後まで譲らなかった月見の会は滅亡。

 
 可憐は霊能力者ネットワークに、月見叢雲の欄を設けた。彼が生きている証を、自分の中以外にも残したかったからだ。

 生年月日や住所、連絡先すら書かれていない彼の項目の備考欄には、こうある。

「元月見の会の霊能力者で登録があるのは彼のみであり、また彼の公式の活動記録はない」

 しかし、こう続く。

「だからといって生存を否定することはできない」
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