第四話 防衛作戦・終編

文字数 5,472文字

 しかしすぐに悪い知らせが可憐の耳に飛び込んでくる。

「狂儀様、敵の進軍が止まりません。あれだけの人数に攻め込まれたら…」

 僧侶の一人が言った。

「守り切るしかねえ! 俺たちの命よりも貴重な文献だ。奪われてたまるか! 命に代えてでも守るぞ! 絶対防御命令だ!」

 狂儀の号令で、僧侶たちは池の水を進軍してくる月見の会に向けて放水した。その水がかかった木々は、瞬く間もなく枯れていく。これに驚いた敵軍は、散り散りになる。

「よく狙え!」
「水を補充しろ!」

 現場の混乱具合は、酷い有り様だ。狂霊寺の僧侶は合計で十三人。対して敵勢は、数十人。絶望しか生まれない差だ。それでも僧侶たちはよく粘った。池の水だけではない。他にも様々な罠、呪いを駆使して敵の進軍スピードを遅らせた。逃げ出す者は、誰もいない。皆が一致団結して、寺院を守り切るつもりだ。
 月見の会が、後ろに下がった。

「いいぜ! どうやら効果があったみてえだな。このまま援軍が来るまで粘るぞ!」

 狂儀たちの士気は高い。だがその裏で、可憐は別のことを考えていた。

「違う…」

 あれは、逃げる動きじゃない。準備する動きだ。

「何を…」

 その答えは、一つしかなかった。

 数秒後、林の奥からバリバリと、何かが一斉に割れる音が響いた。すると、月見の会の軍勢はさっきとは同じ人間かと疑うレベルの速度を出し、寺院に迫りくる。

「何が起きた? アイツら、さっきまでチンタラだったじゃねえか!」
「霊鬼…。あの軍勢が全員、それを使ったとしたら?」

 可憐は、最悪の事態を想定してしまった。いや、想像ではない。事実だ。童も蓑火も、そして叢雲も。対面した月見の会の人々は全員、霊鬼の力をその身に宿していた。

「しまった!」

 側に横たわっていた蓑火の体がない。足音がしなかったので気が付けなかった。

「蓑火…。かわいそうに、こんなに冷たくなっちゃって…」

 之子がその体をさすり、その命が尽きたことを悟った。蓑火のポケットからガラス玉を取り出すと、側にいた迦具土に渡した。

「蓑火の遺品だよ。大事に持っておいて」
「そ、それは!」

 罪霊を封じ込めたガラス玉。

「それは渡さないわ!」

 可憐が前に出ようとしたが、八咫が目の前に躍り出て遮った。
 之子、迦具土、八咫は軍勢とは別ルートで、反対側から寺院に接近したのだ。守りが手薄だったので、こうして可憐の所までやって来れたのである。

「油断しただろう? 俺らの存在に気が付けないとはな!」
「八咫、之子、任せたよ」

 迦具土は後ろに下がった。之子も前に出る。

「正々堂々という言葉があるな。だが今は無視しよう。綺麗事は、勝ってから言えばいいだけの話。今俺と之子がお前の相手をしても、俺らが勝てば、それは美談になる。二人で協力して敵を撃破、って感じか」
「そうね。勝てば官軍、負ければ賊軍。最初っからその覚悟だわ」

 可憐は札を構えて、之子に切りかかった。之子は後ろに下がって避けた。それだけではない。八咫が一発、可憐の肩に拳をお見舞いする。

「ううむっ!」

 骨が砕けたかと思ったが、まだ、大丈夫なことを触って確認した。
 次は八咫を攻撃しようと手を伸ばした。すると之子が飛び膝蹴りで妨害してくる。

 完全に二対一。寺院の僧侶や狂儀、夏穂は敵の軍勢に手こずっているのか、加勢できない様子。

「このままじゃ、ヤバいわ」

 思っていることが、どストレートに口から出た。それほどにこの現状に絶望を抱いている。
 二枚目の札も構える。二刀流で行くしか、生き残る道はない。

「粘れ! 神代の援軍がもうすぐ来るはずだ!」

 狂儀の叫び声が聞こえた。

(ここで二人を打ち破る必要は、ないわ! そうね、そうしましょう。味方が来るまで粘ればいいのよ。相手も文句を言えない戦法だから!)

 可憐は八咫と之子に背を向けると、境内の中を走り出した。すぐに追いつかれるとわかっていながら、である。稼げるなら少しでも多く。それが可憐が出した答えだ。

「逃げるのか? まあ、逃がしはせん」

 八咫と之子は当然、追いかけてくる。

(それでいいわ。ついてきなさい!)

 チラリと後ろを振り返り、その姿を確認した可憐。

(来る時に見えた、林の幹に打ちつけられていた藁人形。確か、地面の上に転がっているだけのもあった! それを使えば!)

 ぶっつけ本番ではあるが、可憐には秘策があった。それは、狂儀が彼女にやってみせた呪い。どのような名前がついているかはわからないが、同じ霊能力者の自分にできないはずがない。

「無駄だ!」

 八咫が、鉄砲水を可憐の足目がけて飛ばした。

「きゃあ!」

 水の勢いに足を取られた。可憐が転んだ隙に、二人は詰め寄ってくる。四つん這いで前に進む可憐。ちょうど近くの木の根元に、藁人形が落ちている。それに手を伸ばした。

(狂儀にできるのなら、私にも! 人を呪うなんて好きじゃないけど今は仕方ない。行くわ!)

 その藁人形を相手の視界に入れる。

「何をする気だ?」

 その足を、強い思念を込めながら少しひねる。すると八咫は太ももを押さえながら崩れた。

「何だ? この痛みは!」

 ズボンをめくったが、出血はおろか、外傷すら認められない。皮膚の下は赤くすらなっていないのだ。なのに痛みは感じるのだ。

「どうやら、できたみたいね」

 呪いは簡単だった。だが之子は足を止めない。

「その人形を奪えば…!」

 目標を藁人形に定めると、之子が駆ける。

(やはり、来る!)

 だが可憐も、その動きを予想していた。札を之子の足元に向けて投げる。之子は反応に一瞬遅れ、それを踏んだ。

「うっぐううう?」

 札の効力は絶大だ。まるで足を吹き飛ばす地雷のように破裂すると、之子の体を後ろに無理矢理下がらせた。

「むうぅ! 之子、大丈夫か?」
「な、なんとかね」

 立場が逆転した。可憐が二人を追い詰めている。

「よし、これなら……」

 神代の応援が来るまで何とかなる。可憐はそう言いたかったが、八咫の言葉にかき消された。

「霊鬼の出力を上げるぞ。そうすれば呪いを弾けるかもしれん!」
「わかった!」

 二人は、各々手を合わせた。そして目を瞑り、何か経のようなことを呟く。

(これは、ヤバそうだわ…)

 本能で危機を感じた可憐は、大胆にも藁人形を真っ二つに折り曲げた。必殺の一撃を、もう使ったのだ。
 だが、叫び声を上げるのは可憐の方だった。

「き、効かない?」

 この呪いの原理は可憐は、知らない。だが藁人形を見せた相手に、その適当な部位を抓るか曲げるかすれば、痛みを味あわせることができるはずだった。
 しかし二人は、何事もないように立っている。

「凄いぜ! これは……!」

 八咫が乱暴に近くの木を殴った。太い樹木が、ポキリと折れ曲がる。之子は残った切り株を、蹴り一つで引っこ抜く。

「負けないじゃん! この力があれば、絶対に!」

 圧倒的戦力差。可憐の頭の中が一瞬でホワイトアウトした。

(負けだわ、確実に…)

 それ以外のことは、何も考えられなかった。奇跡でも起きない限り、可憐の命は確実に奪われてしまう。


 だが奇跡が、起きたのである。


「………?」

 無言で八咫が、地面に伏せた。伏せたと言うより、重さに耐えきれずしゃがんだと言った方が正しい。次に之子の膝が勝手に曲がり、尻餅を着いた。

「…?」

 可憐の頭には、クエスチョンマークが浮かんだ。それは可憐だけではない、八咫も之子も、同じだ。

「なん……だ……? ち…から…が、で…ない……?」

 この奇跡は、起こるべくして起きたのだ。

 月見の会のミスだった。もっと霊鬼の研究をすべきだったのだが、それをしなかった。目先の大きな力を、何も調べもせずに欲し、実戦投入した。それが命取りとなったのである。


 実は、霊鬼には遠呂智すら知らなかった特徴があった。

 霊鬼は、憑りついた人間に力を与える。それは確かだが、そのエネルギー源は霊鬼のものではない。憑りついた本人のものだ。
 人間には誰しも、心の闇というものがある。顔を合わせている人の本当の顔は、見ているそれではないことだって珍しくもなんともない。
 その心の闇を、霊鬼は取り除いてくれる。そしてそれを爆発的な力に変え、人間に与えている。

 では、その心の闇が途絶えたらどうなるだろうか?

 答えは簡単だ。全力を出した後にエネルギーを補給しなければ、連続して力は出せない。多くの人間が、休むだろう。植物に水を与えなければ、枯れるだろう。同じことが霊鬼に憑りつかれた際にも起こるのだ。

 心の闇の枯渇。霊鬼は追加してくれない。おまけに霊鬼に憑りつかれれば心の闇は取り払われるので、新たな負の感情が湧き上がることもない。


 八咫も之子も、立ち上がることができなかった。自分の体を持ち上げる最低限度の力すら、振り絞れない。

「今しかないわ!」

 可憐が駆けた。動かない相手に対し、攻撃を外すなんてことはあり得ない。可憐の札は肉体を切り裂かず、魂にのみ致命傷を与えた。

「……………………」

 八咫と之子は、霊鬼の実態を知る由もない。何故自分たちが立てなくなったかすら、わからずに散っていく。

「やったわ! 寺院の方は!」

 可憐が振り返ると、戦況は変わっていた。


 月見の会の軍勢は、良く戦った。地の利のない土地でも、一向に引こうとしない。目の前の敵を蹴散らすために、全ては月見の会の未来のために…。そんな感情が、前へ前へと月見の会を押し出した。相手は自分たちよりも少ない。それも原因の内の一つだっただろう。
 だが、精度の低い霊鬼は、燃費も悪い。一人が立っていられなくなると、まるでドミノを倒したかのように皆が崩れ落ちる。

「何だ? これも狂霊寺の仕業か?」
「どうしたんだ、一体?」

 混乱する軍勢。もはやまともに戦うことはできなかった。

「間に合った! 可憐、夏穂! 今来たよ!」

 鏡子の声がする。トドメと言わんばかりに、比叡山(ひえいざん)絹生(きぬい)を始めとする、神代の援軍が狂霊寺に到着した。長治郎の他にも、実力者が大勢いる。

「これは、駄目だ!」

 月見の会が、逃げることを決めた瞬間。立てる者は、立てない者に肩を貸し、向きを変えて進む。
 逆に、狂霊寺の士気は高い。援軍も来たし、相手はほとんどが地に伏せている。だが絹生が叫んだ。

「追うな! 俺に作戦がある」

 彼の作戦。それは着かず離れずの距離を取って追いかけることである。それを決めたのには理由がある。ここで決戦を挑んでも確実に勝利できるだろう。だがそれが、不味い。月見の会の所在がどこなのか。神代はそれが知りたいのに、軍勢に全滅されては困るのだ。捕虜を捕まえても、きっと吐かないだろう。だからワザと泳がせるのだ。

「大丈夫なの、それは?」
「月見の会…。他にアテがあるとは思えないな。きっと新しい拠点に真っ直ぐ逃げるだろう。ゆっくり追えばいい」

 援軍はまず、狂霊寺に留まった。傷ついた僧侶たちの手当てと、力尽きた者を葬ってやるためだ。
 だが、可憐はその命令に従おうとしなかった。

「夏穂、お願いがあるんだけど、いい?」
「何ですか?」
「あの軍勢の後を、追って。神代の援軍とは別々に」
「ええ、でも…」
「何か、胸騒ぎがするわ」

 月見の会の軍勢に、叢雲の姿がなかった。腕を負傷したからだと思うのだが、それが、可憐の中で気がかりだった。

(わかる、私には! アイツはきっと強力になって、神代の前に立ちはばかる! そして、私の目の前にも………!)

可憐は無理矢理、夏穂に出発させた。その際、一人では心細いから、狂儀にも頼む。

「いいぜ。これだけ霊能力者がいれば、狂霊寺は守れるだろうな。戦闘行為にならなければいいんだろう? 楽勝だよそんなことは」

 二人は、バレないように軍勢の後ろを、少し離れてつけた。


 その夜、狂霊寺の文献を漁る可憐の姿があった。

「あの時、二人は勝手に倒れた…」

 その原因が霊鬼にあるというのなら、それに依存した戦いを繰り広げる月見の会は自滅する。
 しかし、文献調査の結果を神代に報告しなければいけない。また何かとばっちりを喰らいたくはないので、任務は放棄できないのだ。

 この晩、可憐は一睡もせず、必死に本を読み荒らした。幸いにも古典は得意な方で、それがここで活きる。

 いかなる文献を読んでも、やはり霊鬼という単語は出てこなかった。

「やっぱり、月見の会の造語のようね…」

 神代すら知らないのだ。ここに載ってなくてもなんらおかしくはない。可憐は、報告書をまとめると、そこに『詳細不明』と書き記した。
 だがその一方で、頻繁に出現する単語もあった。

「呪いの谷…」

 この日本のどこかにある、としか書かれていない。そこには、強靭な霊が潜むという。可憐はこの、この世ならざる単語にどこか魅力を感じていた。

「見てみたいものだわ。霊能力者なら誰しもがきっとそう感じる。でも、この戦いにおいては意味はなさそうね…」
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