第六話 修行巡礼・中編

文字数 5,600文字

 次の日可憐は宣言通り、聖霊神社を飛び出した。出る前に携帯の画面を見る。メールが一通、送り主は長治郎だ。

「今、どこにいる?」

 そのメールに、可憐は返事を出さなかった。内容によっては、今すぐ戻ってこいと言われるかもしれない。だが、強くなるまで戻る気はない。携帯を裏返し、カバーを外してバッテリーを取った。修行が終わるまで、これはいじらない。そう決意した。

 そして、とある川に足を運んだ。寺には行く気がなかった。仏像を眺めても、何も作戦が思いつかないからだ。

「呪いは、通じない…」

 もしあの男、叢雲の霊鬼が強靭だったら、八咫や之子と同じように呪いが効きにくいかもしれない。そうなると藁人形はただの荷物だ。
 可憐は、川の奥に向かって藁人形を投げた。狂儀のスタイルを否定するわけではないが、これは自分には合わない。桔梗との戦いでそれを思い知った。

 代わりに、札を取り出した。思えばあの男の腕を切ってやったのは、この札だ。それは致命的な一撃であったはず。

「やっぱり私には、札しかないわ」

 それでできる最大限の戦術を思いつかなければいけない。だがこの日は何も収穫がなく、聖霊神社に戻った。


「どうでして? 何か、ありましたの?」

 いいえと答える代わりに可憐は蜜柑の問いかけに、首を横に振って答える。プランは白紙のままだ。

「ならさー。みんなで頑張ってみないー? 夜の麻雀にも誘いたいしー」

 炙がそう言うが、これにも首を振る。この態度を見て、岬と桔梗は可憐をそっとしておくことにした。

「もしあの子が本気で強くなるなら、見ものね。きっと大物になるわよ。今はその過渡期。デリケートな期間だわ。炙、蜜柑、桔梗。可憐が答えを出すまで、見守るわよ」

 岬がそう言うと、三人は従った。可憐のことは可愛がるが、修行に関することは慎むことにし、可憐独自の発想に期待するのだ。


 そしてこの日も、可憐は外出する。今日は森林に向かった。そこで可憐は、意外なものに気を取られた。
 木に巻き付く、つるである。長く伸びるつるは、太い樹木に絡みつくと、その先まで締め付けている。

「……!」

 瞬間、可憐の頭に何かが閃いた。

(もし、つるの鞭みたいにリーチが長かったら、どのぐらいまで届く? 相当な距離になるはずだわ)

 しかし、つるを霊力で操ることはできても、こんなにかさばるものは常備できない。札からも考えが随分と遠ざかっている。

「ん? 札!」

 そして閃きが、発想に変った。可憐はすぐに神社に戻ると、札をハサミで切りこんだ。数分で、札は展開すれば一本の細長い紙になった。

「これなら!」

 発想が今度は、希望になる。折りたためば札として使え、広げれば射程が伸びる。強度は霊力で保てるので、細くしても切れ味は変わらない。

(いける!)

 可憐はそう自信を持った。自信を持てたのなら、それを確信に変えるだけだ。可憐は神社の人目のつかないところで、試験した。まだ思う様には動かないが、それも練習の問題だろう。現に、石に振り下すと、真っ二つに切り裂くことはもう可能だった。

(確実に、上手くいくわ!)

 そうとわかれば、極めるのみ。可憐は新しい札が自分の体の一部のようになじむまで、何個も量産しては何時間もそれを手に取った。


 二週間が過ぎた。この朝可憐は、四人にこう告げた。

「今日、練習の成果を見せたいです。付き合って下さい」
「おおー。ついに来たねー! もちろん手伝うよー!」
「開花したのね…! 期待して得したわ!」
「わかりましたわ。時間、空けますわね」

 三人はすぐにわかってくれたが、桔梗は違った。

「もう? 過去の自分を越えたっていうの? 思い上がらないことね」

 桔梗だけは厳しく、今日実戦訓練をするのなら最初に相手をするのは自分だと言った。そう言えば、可憐が思いとどまると思ったからだ。

 だが可憐は引き下がらない。

「私も、そう言うつもりでした」

 と、余裕を持って返事をした。


 五人は修行の間に移動する。室内に置いてある観賞植物は外に出し、窓も閉める。可憐は最初の相手=桔梗と向き合った。

(う…!)

 最初の日のトラウマが蘇る。歯が立たないどころの話じゃなかった。話にならないレベル。

(けど、今日は!)

 しかし、思い直す。過去の自分とは、もう違う。

「はじめ!」

 岬が叫んだ。すると桔梗はやはり、後ろに下がる。だが可憐も後退し、距離を取った。

「ほう。無闇に突っ込んでは来ない。少しは成長したようね」

 先に札を出したのは、桔梗であった。狙いを可憐に定め、封じ込めた霊魂を発射する。まず一発。これはけん制用で、最初から当たるとは思っていない。二発目はいよいよ、可憐をかすめた。そして三発目が直撃するはずだった。
 可憐が札を取り出し、霊魂を切り裂いた。真っ二つに分かれた霊魂は軌道を外れ、的外れな方向に飛んで消えていく。

「捉えたか…!」

 桔梗が声のボリュームを少し上げた。前に戦った時には、できていない動きだった。

「だが!」

 たかが一発さばけただけで成長したとは言わない。桔梗はうってかわり、接近戦を挑んだ。至近距離から霊魂をぶつけ、可憐を倒そうという作戦だ。これは、桔梗の優れた運動神経があってこそ実現できる技である。

(来る…!)

 可憐は、警戒した。自ら自分の射程に入ってくる相手ほど、恐ろしい者は存在しない。何かがなければ、そういう行動には移らない。だがその何かが、わからない。

「おおー。まさか桔梗ー、あれを使うとはねー」

 その札は、一枚の紙からできていない。数枚の紙が、糸で縫いつけられている。

「そう。一枚の札に入れておける霊魂には、限りがある。でもこうすれば、多くの霊魂を一度に解き放てる!」

 言わば、霊魂のガトリング。これをかわすのは不可能に近い。桔梗は何の躊躇いもなく、霊魂を一斉に解き放った。
 だが、可憐は無傷だった。

「これは…?」

 桔梗は驚いた。可憐の持っている札がなくなっている。代わりに、紙でできた紐のようなものを持っている。

「これが私の新しい武器! 予め札を切り込んでおいて、そして広げる。そうすれば札の攻撃範囲が広くなる!」

 一瞬の早業だった。可憐はそれを展開すると、鞭を打つかのように素早く振るい、霊魂を全て叩き落としたのだった。

「これは…予想外だわ」

 桔梗は一瞬、後ろに下がった。だがその一秒の出来事も可憐は見逃さなかった。展開した札を伸ばし、桔梗の腕に絡ませると、その体を後ろに投げ飛ばす。

「くううう!」

 壁に叩きつけられた桔梗は、それでも立ち上がろうとした。だが、あることに気が付いた。
 体に、紐状の札が絡まっているのだ。腕を動かそうにも、拘束されていて思う方向に曲がらない。

「これでどう?」

 離れた位置から可憐は言った。近づくつもりはない。この距離でも十分戦える。

「おのれ…!」

 それでも桔梗は諦めの悪いことに、降参しなかった。紐状の札は霊力で補強されている。だからいくら力を入れても引き千切れない。体の自由がきかないことはもう、覆らない。だがこの状況で打てる手が一つだけある。

「はあああああああ………!」

 桔梗は、絡みつく札に自分の霊気を流し込んだ。札を持っている可憐に、拘束された自分が逆に、霊気を流して攻撃しようというのだ。

「やっぱり!」

 可憐は驚かなかった。予想が的中したのだ。すると自分がすべきことはただ一つ。霊気が札を伝って自分の体に到達する直前、本当にギリギリのタイミングで、取っ手を桔梗に投げつけた。

「なっに!」

 動けない桔梗にこれをかわすことはできない。自分が流し込んだ強力な霊気が、丸々自分に帰って来た。

「…………………………」

 声を上げることなく、桔梗の体は床に崩れた。

「し、勝負あり…」

 そう言った岬も、観戦していた蜜柑も炙も、信じられない光景を目の当たりにしたような顔だった。

「あの桔梗が、新入りに負ける…」

 神代の誰かが聞いたら、どんな顔をするだろうか。嘘を吐くなと言われるに違いない。だが今目撃した戦闘は、虚偽ではない。真実だ。

 桔梗の体から札を回収すると、可憐は振り向いて、

「次は誰?」

 と言った。

「じゃあー、私が出るー」

 名乗りを上げたのは、炙だった。可憐は休む暇も必要と言わず、すぐに戦い始める。

(炙さんは、どんな戦術を使う?)

 見ていないのでわからないが可憐は、どんな手を打ってきても勝つ気でいた。
 だが…。

「ははっ、もういいよー」

 炙は挑発をしては来るものの、自分からは全く動こうとしない。

(何かの作戦…?)

 これ以上出方をうかがっていても仕方がない。可憐は札を折りたたんで炙に近づいた。そして切りかかったその瞬間、炙が飛んだ。可憐の肩に手を乗せると、軽やかに体を動かしたのだ。

「ええぇ?」

 その動きは目で追えなかった。気が付くと、可憐の後ろにいるのだ。

「いったい何が…」

 振り向こうとした時、可憐の足から力が抜けた。足に手を伸ばすと、タイツの上に札が貼ってある。

「これは、何? そしていつの間に?」
「気付いたー? 私の得意戦術だよー」

 炙が貼りつけたその札は、可憐や桔梗のものとは根本的に性質が異なる。貼ってあると、体力を抜かれる呪いの札だ。可憐はそれを付けられて、力が入らなくなったのだ。

(そんなものがあるなんて…! でもだったら、どうして自分から攻めないの?)

 札を剥がすと同時に、誰もが抱く疑問を可憐も感じていた。

「そこが炙の恐ろしいところなのよね」

 自分からは、仕掛けない。ただひたすら相手が攻めるのを待ち、攻撃をかわすと同時に札をお見舞いする。自分から勝利に向かわない代わりに、相手がくたばるのを待つ。

「実践的じゃないでしょー? でもねー、私はそれを極めたんだー。だってさー、これは面白いんだよー? 攻撃を防ぐ、その一瞬ー。ギリギリの駆け引きがー!」

 炙は再び、待ちの姿勢に転じる。というよりは、それしかできない。攻撃する術は今まで何も学んでいないのだ。だからこそ編み出した戦術。この戦法を実践している炙自身が、勝利には攻める必要がないことを一番よく知っている。

(これは、面倒ね…)

 だが可憐はすぐに戦況を立て直す。遠距離から攻撃すればいいだけの話だ。札を展開して、それを炙目がけて振り下ろす。鞭打つ札が炙を襲うが、これをスラリとすり抜け、自分からまるで攻撃してくれと言わんばかりに可憐に近づいた。

「……」

 可憐は、札を振った。後ろからならバレないかもしれな、その可能性に賭けたのだ。

「そう来るよねー」

 可憐からすれば新しい発想だが、炙からすれば見飽きた一手。可憐の集中力が彼女の手に向いている一瞬の隙を突いて、股をくぐって可憐の後ろをまた取る。同時に背中に、呪いの札を貼りつけた。

「っく!」

 可憐は前に倒れ込んだ。背中の札はすぐに剥がれたが、効果は絶大だ。

「どうー? 言っておくけど私は降参しないー! だからこの戦いはー、泥沼だねー。でもねー、勝つ気もなければ負ける気もないのー」

 平然と言ってのける炙が、鬼に思えた。可憐は攻撃を仕掛ければ仕掛けるほど、体力を使う。そして攻撃に移れば、最小限の動きで避けられ、さらに札のせいで体力を奪われる。対する炙は、相手が攻撃してくるまで突っ立っていればいい。

「ならば!」

 可憐は、別の札を取り出した。構えれば鉄砲水が放てる札だ。まず一発、炙に向かって放水した。

「ふーんー」

 当然、炙は避けながら可憐に近づく。

「今だー」

 可憐は、威力を強めた。その瞬間を炙は見逃さない。一気に可憐に接近し、札を貼ると同時に背後を取る。
 だが、可憐も今だ、と叫んでいた。
 ワザと札を握る手の力を抜いた。放水の勢いに体が負け、姿勢が崩れる。

「うっー!」

 それは、炙の作戦も微妙に崩した。次に姿勢がどうなっているかは、可憐にもわからない。そのある種の賭けにどう動くべきか、一瞬だけ迷ったのだ。

「でもねー!」

 やはり体が自然に動く。ジャンプして可憐を飛び越えると、同時に札を頭上に落としておく。これでケリをつける。そのはずだった。

「力が…。でもこれでいいわ……!」

 可憐は鉄砲水を仕舞わなかった。逆に残っている力の限り、放水した。

「うー、何だー!」

 綺麗に着地したはずが、炙は水に流されて態勢を崩した。

「くらいなさいぃ!」

 その崩れた背中に、可憐は札を三枚、一気に貼りつけた。

「………」

 一瞬で床に倒れる炙。指を動かす力すら、一気に札に吸い取られた。

「やめ!」

 岬が叫ぶと同時に、炙の方に駆け寄る。背中の札をすぐに剥がしてビリビリと破いた。今の炙では、自力で札は外せない。そうなると死を待つのみとなってしまう。

「負けちゃったー、私ー?」

 コクンと頷いて岬は答えた。

「強いですわね。これは楽しみですわ」

 蜜柑はやる気になった。だが、可憐は、

「今日は、待って…。体が……」

 疲労がピークになった。当然だ。連戦にさらに、体力まで吸い取る札も使われた。気力が残っている方が不自然。

「じゃあ、私と蜜柑の分は明日にしましょう。それでいい?」
「ええ、構いませんわよ」

 この日の実戦訓練は、お開きとなった。
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