第二話 奇襲攻撃・前編
文字数 5,309文字
東京都二三区外にある、祀沢市。その市立の高校に里見可憐は通っている。
「ねえ可憐? 今日は塾の日でしょう? ちゃんと行かないと私、そろそろ怒るよ?」
可憐にそう言うのは、クラスメイトの波岸 鏡子 。
「でも、何かこう、燃えないっていうか…。私をたぎらせるライバルがいないのよねー」
そう返事をしたら、鏡子は怒る。
「ふざけないで! 昨日可憐のお母さんに言われたんだよ? 私が説得してくれって。縄で縛ってでも今日という今日は行くからね!」
「はーい」
可憐は仕方なく、学校帰りに塾に行くことにした。
神代塾は全国に支店がある大きな塾だ。合格率も高く、実力も申し分ない。来年度から受験生となる可憐も、実力向上のために一年生の頃から通ってはいる。だが、最近はサボりがちなのだ。
理由は簡単で、一人で勉強しても面白くないからである。可憐としては、誰か、競い合う相手が欲しいところ。しかし学力の拮抗している相手は、学校にも塾にもいない。
「でもさ鏡子。私たち、見えるじゃん? 大学なんて行かなくたって力に頼れば生きていけ…」
鏡子の顔が赤くなっていくのがわかったので、可憐は黙った。
「まさか、占い師にでもなるつもり? それともテレビによく出てくる自傷霊能力者の弟子にでもなりますか! 笑わせないでよ?」
「まさか。ギャグですらないわよ?」
そんな会話をしながら、帰りのホームルームを迎える。この日の通達は特になく、すぐに起立、礼と流れて解散となった。
「ねえ、聞いた? 三階のトイレで、出たって」
「やっぱ? あそこは出ると思ってたよ」
廊下ですれ違った同級生が、噂話を口にしていた。どこにでもありそうな怪談話だ。
「塾にはちゃんと向うからさ、鏡子。お願い! トイレに行って確認させて!」
「…私もついて行く。オーケー?」
断ったら、窓の外に落とされそうだ。仕方なく可憐は、
「はいはーい」
と承諾した。
そうと決まれば急いで三階の女子トイレに向かう。そこで二人は、とある女子を目撃した。
「あ、あんたは…!」
「まさか…!」
すると、その女子は首を傾げて、
「え? 私ですか?堺 夏穂 って言います。一年生です」
普通の人だった。それがわかって二人は落胆した。
「なんだ、幽霊じゃないのね…」
「あ、やっぱりここ、出るんですか?」
どうやら目的は同じようだ。
「ええ、出るわ。今の時間帯はしょーもないのしかいないでしょうけれど?」
可憐がそう言った。
「だとしたら、強そうなのは先輩に丸投げしますね」
「はい? 何て?」
「お二人のことは知ってますよ。可憐さんに鏡子さんでしょう?」
「ちょっと待って。何であなたが知ってるのよ!」
「霊能力者ネットワークですよ。知ってますよね」
夏穂はカバンから、とある資料を取り出した。それは名簿のコピーらしかった。
「先輩に同業者がいるから、私この高校選んだんですよ。もう会えるとは思ってませんでしたけど」
笑顔でそう言う夏穂。だが可憐はそうではなかった。
「これ…鏡子…」
「うん、可憐。私たちは受け取ったことがない…」
「じゃなくて、何だっけ?」
急にとぼけたので、鏡子はもう我慢ができず、可憐を叩いた。
「あんたさあ! 霊能力者ネットワークも知らずにライバル探そうっての?」
「冗談だってば。もう鏡子は通じないんだから」
二人のそんなやり取りを見ていると夏穂が、
「何か、羨ましいですね。そんなに仲が良さそうで」
と言うのだ。聞く話によれば夏穂は、幽霊が見えることを普通の人には理解してもらえず、ずっと同じく見える人に会ってみたいと思っていたらしい。
「それなら、私たちで正解ね。ならそうだ! どっちが先にこの怪談を解決するか、勝負しない?」
「え、勝負…ですか?」
「ちょうどね、相手がいなくて暇だったのよ」
「暇はないでしょ、勉強で」
「少し黙ってて」
先ほどとは打って変わり、今度は可憐が押している。
「塾に行かないといけないからすぐに終わらせるけど、いいじゃない? もしかしたら、あなたが私のライバルになってくれるかもしれないわ!」
「それは、買い被りが過ぎますよ…」
だが夏穂は可憐の気迫に押されて、渋々了承した。
「ところで、何がトイレに出るかは聞いているの?」
「花子さん、ですかね? というのは冗談で、さっきクラスの人が言っていた内容によると、ゆうこというお化けらしいです」
鏡子が聞くと、夏穂が答えた。
「それはあなたの同級生の名前じゃなくて?」
「そんな人いませんよ」
早速女子トイレの中に入るが、そう簡単に出てきてはくれないようだ。可憐は速くしなければいけないために焦った。鏡子の顔が鬼のそれに変わる前に済ませなければいけない。
「どうにかして呼び出すわよ! 夏穂、何か方法知ってない?」
こういう幽霊に限った話ではないのだろうが、最初に発見した人はどうやったのだろうか? 可憐にはそれがわからなかったため、余計に焦りを感じた。
「何も…です」
首を寂しそうに横に振った。すると鏡子がそれを見て、
「可憐? 今日はゆうことやらはご機嫌斜めみたい。じゃあ塾に行くしかないね!」
と言って、女子トイレの入り口のドアノブに手をかけた。だが、いくら引っ張っても開かない。
「あれ、ここってこんなに固かったっけ?」
「ただ単に力が足りないのよ」
可憐も加勢するが、一向に開く気配を見せない扉。見かねた夏穂も手を貸したが、結果は変わらない。
「もしかして、もしかしちゃって…。ドア壊れた?」
「その考えは甘いわ鏡子。きっとこれはゆうことやらの仕業。何よ、出てきたくてウズウズしてたんじゃない!」
「どうすればそういう考えには行きつくの? 塾には来れないのに…」
現状を整理する三人。
「見た人がいるってことは、その人は帰って来れたんですよ。だったら私たちもきっと無事に帰れるはずです」
夏穂はごく普通の考えを持っていた。だが、
「そうとは限らない…! 幽霊は霊能力者にいい意見を持ってないわ。ここで一網打尽にしようとしているのよ! 私たちが生きて帰るには、返り討ちにするしかない!」
「そ、そうなんですかーっ!」
驚く夏穂の横で、鏡子は呆れていた。鏡子は、可憐が何か言い始めるといつもこうなることをわかっており、付き合っていると少し疲れることも把握しているのだ。
「さあ、出てきなさいゆうこ! 今日は私が相手よ! それとも恐れをなして逃げるわけ? 幽霊がみっともない!」
挑発的な発言をした途端、トイレの奥の蛇口がひとりでに動き、水を吐きだした。同時にトイレの照明が切れ、換気扇も止まる。
「ほほう、わかっているじゃない」
「可憐の妄想が、現実に?」
「い、一体どうしましょう?」
面白いことに、この状況に慌てふためく夏穂、別の意味で受け入れられてない鏡子、そして期待している可憐の三通りに分かれた。
蛇口の水は勢いを増した。
「来る…わね」
霊能力的な直感でわかった。もうすぐ近くまで、何か大き目な霊気が来ている。では、どこから来るのか。可憐は窓を見ていた。あれが勝手に開き、まず手が。そして顔が出てくるに違いない。そう感じた。だから女子トイレの中を三人で進み、窓に近づいた。そしてこういう時のために、ポケットに札を入れてある。一気に除霊にかかる。
だが、この怪談話のゆうことやらは、全然違うところから女子トイレに現れた。
手洗い場の鏡。その表面に三人の人影が映りこんでいる。だが突然、それが一つ増えたと思ったら大きくなり、ついに鏡の中から手を伸ばした。
三人は、気付いていない。もうすぐ後ろまで迫ってくるが、水が勢いよく流れ出る音が三人の耳の緊張を全て飲み込んでいるせいか、音感が当てにならない。
「あっ……!」
それは、鏡子に襲い掛かった。血が通っていないような白い手が、彼女の首に巻き付いたのだ。
「鏡子!」
すぐに振り向く可憐。すぐに札を押し付けてやろうとしたが、その姿を見てしまい、少し怯んだ。
髪が長い女性。だが顔は、縦に二つに割れている。中身の組織や脳みそがわずかにこぼれ出ている。よく見ると、目の焦点も合っていない。
「ひや!」
夏穂が尻餅を着いた。そして怖じ気ついてしまったのか、立ち上がれそうにない。
(やってくれるわね…。でも相手が悪かった! 大事な友達に手を出すとは、命知らずな! って言ってももう、死んでるんだっけ幽霊って!)
ポケットから札を出して手に取ると、それをゆうことやらに向かって伸ばした。だがゆうことやらもボケッとしてなかった。常に泳いでいる片方の目が、可憐の動きを正確に捉えていたのだ。鏡子を突き飛ばして可憐にぶつける。
「いった!」
「うう、ゴホゴホ!」
衝撃で可憐は札を落としてしまった。
「大丈夫、鏡子?」
彼女の胸に手を当てる。心臓は確かに動いている。口元に耳を持って行くと、温かい息の音も感じ取れた。
「ごめ、油断、した」
背中をさすって鏡子の安全を確かめる。次に床に落としてしまった札を拾おうと手を伸ばす。その時、
「とまれ…。コイツがどうなってもいいのか…?」
聞きなれない声がした。
「あらびっくり。喋れるなんて聞いてなかったわ」
ゆうことやらが、どこから取り出したのかメスを持っており、それを床に座り込んでいる夏穂の喉に向けている。
「そのふだをひろうな。コイツのいのちがおしければ…」
人質を取ったゆうことやらは、どうやらここから逃げるつもりらしく、鏡子に窓を開けるように指示した。
「はやくしろ! コイツがしんでもいいのか?」
可憐は、ただ動くなと言われた。でも動かなくても作戦を考えることはできる。可憐の頭の中には、人質を取る卑劣な行為への批判なんかより、どうやってこの幽霊を退治するかでいっぱいだ。
(夏穂が急に覚醒する…のは無理そうね。でも対処できないことはない。幸いにもあのゆうことやらは、メスを一本しか持ってないっぽいし)
既に、解決の方程式は出来上がっていた。
可憐は頭をかくふりをして、自分の髪の毛を一本だけ抜いた。
(大丈夫。怪しまれてないわ)
失敗したら終わりだが、可憐は少しも焦っていない。逆に焦っているのはゆうことやらの方で、女子トイレの窓の鍵を鏡子が中々攻略できていないことに対し、酷く低い声で怒鳴っていた。
次の行為は、目にも止まらぬ速さだった。可憐は抜いた髪の毛を自分の顔の前に持ってくると、ゆうことやらに向かって息を吹きかけた。すると髪の毛はまるで吹き矢のように飛び、メスを握る手に突き刺さった。
「ぐうぅ?」
貫通した髪の毛は、メスを叩き落とした。
「隙を作らせるなんて、簡単だわ!」
そして可憐が、狭い空間を駆ける。
(さっき落ちちゃった札は…)
ゆうことやらの視線がそれに向いていることに気付いた可憐は、ワザと拾わずにそれを踏んづけた。
「なに?」
誰も札は一枚しかないとは言っていない。可憐は新たな札を右と左で一枚ずつ取り出した。二刀流だ。これでゆうことやらに切りかかる。
「とまれ!」
ゆうことやらが叫んだ。だが物騒なモノは何も持っていないし、人質だった夏穂には手も触れていない。こうなれば躊躇う理由はない。
「はあああ!」
二枚の札が交差した時、ゆうことやらの体は綺麗に切り裂かれた。
「うご、ばかな…。にんげんなんぞに…」
切られたゆうことやらの体が、徐々に消えていく。顔の表情から察するにご不満の様子だが、可憐は、
「あんただって元は人間だったんじゃないの? どのくらい昔なのかは知らないけど」
と言い捨てた。
「危なかったわね」
可憐たちは女子トイレから出た。扉は軽く引っ張れば大きく開いた。
「今日ばっかりは、可憐にお礼を言わなきゃね。じゃないと私、死んでたかも…」
鏡子はそう言う。だが可憐は、
「大丈夫よ。鏡子の危機には絶対に駆けつけるわ!」
と宣言する。
「凄いですね。一人で倒してしまうなんて…」
何もできなかった夏穂はただ、感心していた。
「あ、もう時間ヤバい」
時計を見た鏡子が可憐の腕を引っ張った。
「ああ、感謝はしても勘弁はしてくれないのね…」
諦めて可憐は、約束通り塾に向かうことにした。
「私も付いて行って、いいですか? 学力には少し不安があるので…」
「いいよ。何なら入会する? 今ならまだ無料のはず。先生に言っておいてあげるから、今日は見学だね」
「わかりました。雰囲気を見てみますね」
三人は塾に向かった。
「ねえ可憐? 今日は塾の日でしょう? ちゃんと行かないと私、そろそろ怒るよ?」
可憐にそう言うのは、クラスメイトの
「でも、何かこう、燃えないっていうか…。私をたぎらせるライバルがいないのよねー」
そう返事をしたら、鏡子は怒る。
「ふざけないで! 昨日可憐のお母さんに言われたんだよ? 私が説得してくれって。縄で縛ってでも今日という今日は行くからね!」
「はーい」
可憐は仕方なく、学校帰りに塾に行くことにした。
神代塾は全国に支店がある大きな塾だ。合格率も高く、実力も申し分ない。来年度から受験生となる可憐も、実力向上のために一年生の頃から通ってはいる。だが、最近はサボりがちなのだ。
理由は簡単で、一人で勉強しても面白くないからである。可憐としては、誰か、競い合う相手が欲しいところ。しかし学力の拮抗している相手は、学校にも塾にもいない。
「でもさ鏡子。私たち、見えるじゃん? 大学なんて行かなくたって力に頼れば生きていけ…」
鏡子の顔が赤くなっていくのがわかったので、可憐は黙った。
「まさか、占い師にでもなるつもり? それともテレビによく出てくる自傷霊能力者の弟子にでもなりますか! 笑わせないでよ?」
「まさか。ギャグですらないわよ?」
そんな会話をしながら、帰りのホームルームを迎える。この日の通達は特になく、すぐに起立、礼と流れて解散となった。
「ねえ、聞いた? 三階のトイレで、出たって」
「やっぱ? あそこは出ると思ってたよ」
廊下ですれ違った同級生が、噂話を口にしていた。どこにでもありそうな怪談話だ。
「塾にはちゃんと向うからさ、鏡子。お願い! トイレに行って確認させて!」
「…私もついて行く。オーケー?」
断ったら、窓の外に落とされそうだ。仕方なく可憐は、
「はいはーい」
と承諾した。
そうと決まれば急いで三階の女子トイレに向かう。そこで二人は、とある女子を目撃した。
「あ、あんたは…!」
「まさか…!」
すると、その女子は首を傾げて、
「え? 私ですか?
普通の人だった。それがわかって二人は落胆した。
「なんだ、幽霊じゃないのね…」
「あ、やっぱりここ、出るんですか?」
どうやら目的は同じようだ。
「ええ、出るわ。今の時間帯はしょーもないのしかいないでしょうけれど?」
可憐がそう言った。
「だとしたら、強そうなのは先輩に丸投げしますね」
「はい? 何て?」
「お二人のことは知ってますよ。可憐さんに鏡子さんでしょう?」
「ちょっと待って。何であなたが知ってるのよ!」
「霊能力者ネットワークですよ。知ってますよね」
夏穂はカバンから、とある資料を取り出した。それは名簿のコピーらしかった。
「先輩に同業者がいるから、私この高校選んだんですよ。もう会えるとは思ってませんでしたけど」
笑顔でそう言う夏穂。だが可憐はそうではなかった。
「これ…鏡子…」
「うん、可憐。私たちは受け取ったことがない…」
「じゃなくて、何だっけ?」
急にとぼけたので、鏡子はもう我慢ができず、可憐を叩いた。
「あんたさあ! 霊能力者ネットワークも知らずにライバル探そうっての?」
「冗談だってば。もう鏡子は通じないんだから」
二人のそんなやり取りを見ていると夏穂が、
「何か、羨ましいですね。そんなに仲が良さそうで」
と言うのだ。聞く話によれば夏穂は、幽霊が見えることを普通の人には理解してもらえず、ずっと同じく見える人に会ってみたいと思っていたらしい。
「それなら、私たちで正解ね。ならそうだ! どっちが先にこの怪談を解決するか、勝負しない?」
「え、勝負…ですか?」
「ちょうどね、相手がいなくて暇だったのよ」
「暇はないでしょ、勉強で」
「少し黙ってて」
先ほどとは打って変わり、今度は可憐が押している。
「塾に行かないといけないからすぐに終わらせるけど、いいじゃない? もしかしたら、あなたが私のライバルになってくれるかもしれないわ!」
「それは、買い被りが過ぎますよ…」
だが夏穂は可憐の気迫に押されて、渋々了承した。
「ところで、何がトイレに出るかは聞いているの?」
「花子さん、ですかね? というのは冗談で、さっきクラスの人が言っていた内容によると、ゆうこというお化けらしいです」
鏡子が聞くと、夏穂が答えた。
「それはあなたの同級生の名前じゃなくて?」
「そんな人いませんよ」
早速女子トイレの中に入るが、そう簡単に出てきてはくれないようだ。可憐は速くしなければいけないために焦った。鏡子の顔が鬼のそれに変わる前に済ませなければいけない。
「どうにかして呼び出すわよ! 夏穂、何か方法知ってない?」
こういう幽霊に限った話ではないのだろうが、最初に発見した人はどうやったのだろうか? 可憐にはそれがわからなかったため、余計に焦りを感じた。
「何も…です」
首を寂しそうに横に振った。すると鏡子がそれを見て、
「可憐? 今日はゆうことやらはご機嫌斜めみたい。じゃあ塾に行くしかないね!」
と言って、女子トイレの入り口のドアノブに手をかけた。だが、いくら引っ張っても開かない。
「あれ、ここってこんなに固かったっけ?」
「ただ単に力が足りないのよ」
可憐も加勢するが、一向に開く気配を見せない扉。見かねた夏穂も手を貸したが、結果は変わらない。
「もしかして、もしかしちゃって…。ドア壊れた?」
「その考えは甘いわ鏡子。きっとこれはゆうことやらの仕業。何よ、出てきたくてウズウズしてたんじゃない!」
「どうすればそういう考えには行きつくの? 塾には来れないのに…」
現状を整理する三人。
「見た人がいるってことは、その人は帰って来れたんですよ。だったら私たちもきっと無事に帰れるはずです」
夏穂はごく普通の考えを持っていた。だが、
「そうとは限らない…! 幽霊は霊能力者にいい意見を持ってないわ。ここで一網打尽にしようとしているのよ! 私たちが生きて帰るには、返り討ちにするしかない!」
「そ、そうなんですかーっ!」
驚く夏穂の横で、鏡子は呆れていた。鏡子は、可憐が何か言い始めるといつもこうなることをわかっており、付き合っていると少し疲れることも把握しているのだ。
「さあ、出てきなさいゆうこ! 今日は私が相手よ! それとも恐れをなして逃げるわけ? 幽霊がみっともない!」
挑発的な発言をした途端、トイレの奥の蛇口がひとりでに動き、水を吐きだした。同時にトイレの照明が切れ、換気扇も止まる。
「ほほう、わかっているじゃない」
「可憐の妄想が、現実に?」
「い、一体どうしましょう?」
面白いことに、この状況に慌てふためく夏穂、別の意味で受け入れられてない鏡子、そして期待している可憐の三通りに分かれた。
蛇口の水は勢いを増した。
「来る…わね」
霊能力的な直感でわかった。もうすぐ近くまで、何か大き目な霊気が来ている。では、どこから来るのか。可憐は窓を見ていた。あれが勝手に開き、まず手が。そして顔が出てくるに違いない。そう感じた。だから女子トイレの中を三人で進み、窓に近づいた。そしてこういう時のために、ポケットに札を入れてある。一気に除霊にかかる。
だが、この怪談話のゆうことやらは、全然違うところから女子トイレに現れた。
手洗い場の鏡。その表面に三人の人影が映りこんでいる。だが突然、それが一つ増えたと思ったら大きくなり、ついに鏡の中から手を伸ばした。
三人は、気付いていない。もうすぐ後ろまで迫ってくるが、水が勢いよく流れ出る音が三人の耳の緊張を全て飲み込んでいるせいか、音感が当てにならない。
「あっ……!」
それは、鏡子に襲い掛かった。血が通っていないような白い手が、彼女の首に巻き付いたのだ。
「鏡子!」
すぐに振り向く可憐。すぐに札を押し付けてやろうとしたが、その姿を見てしまい、少し怯んだ。
髪が長い女性。だが顔は、縦に二つに割れている。中身の組織や脳みそがわずかにこぼれ出ている。よく見ると、目の焦点も合っていない。
「ひや!」
夏穂が尻餅を着いた。そして怖じ気ついてしまったのか、立ち上がれそうにない。
(やってくれるわね…。でも相手が悪かった! 大事な友達に手を出すとは、命知らずな! って言ってももう、死んでるんだっけ幽霊って!)
ポケットから札を出して手に取ると、それをゆうことやらに向かって伸ばした。だがゆうことやらもボケッとしてなかった。常に泳いでいる片方の目が、可憐の動きを正確に捉えていたのだ。鏡子を突き飛ばして可憐にぶつける。
「いった!」
「うう、ゴホゴホ!」
衝撃で可憐は札を落としてしまった。
「大丈夫、鏡子?」
彼女の胸に手を当てる。心臓は確かに動いている。口元に耳を持って行くと、温かい息の音も感じ取れた。
「ごめ、油断、した」
背中をさすって鏡子の安全を確かめる。次に床に落としてしまった札を拾おうと手を伸ばす。その時、
「とまれ…。コイツがどうなってもいいのか…?」
聞きなれない声がした。
「あらびっくり。喋れるなんて聞いてなかったわ」
ゆうことやらが、どこから取り出したのかメスを持っており、それを床に座り込んでいる夏穂の喉に向けている。
「そのふだをひろうな。コイツのいのちがおしければ…」
人質を取ったゆうことやらは、どうやらここから逃げるつもりらしく、鏡子に窓を開けるように指示した。
「はやくしろ! コイツがしんでもいいのか?」
可憐は、ただ動くなと言われた。でも動かなくても作戦を考えることはできる。可憐の頭の中には、人質を取る卑劣な行為への批判なんかより、どうやってこの幽霊を退治するかでいっぱいだ。
(夏穂が急に覚醒する…のは無理そうね。でも対処できないことはない。幸いにもあのゆうことやらは、メスを一本しか持ってないっぽいし)
既に、解決の方程式は出来上がっていた。
可憐は頭をかくふりをして、自分の髪の毛を一本だけ抜いた。
(大丈夫。怪しまれてないわ)
失敗したら終わりだが、可憐は少しも焦っていない。逆に焦っているのはゆうことやらの方で、女子トイレの窓の鍵を鏡子が中々攻略できていないことに対し、酷く低い声で怒鳴っていた。
次の行為は、目にも止まらぬ速さだった。可憐は抜いた髪の毛を自分の顔の前に持ってくると、ゆうことやらに向かって息を吹きかけた。すると髪の毛はまるで吹き矢のように飛び、メスを握る手に突き刺さった。
「ぐうぅ?」
貫通した髪の毛は、メスを叩き落とした。
「隙を作らせるなんて、簡単だわ!」
そして可憐が、狭い空間を駆ける。
(さっき落ちちゃった札は…)
ゆうことやらの視線がそれに向いていることに気付いた可憐は、ワザと拾わずにそれを踏んづけた。
「なに?」
誰も札は一枚しかないとは言っていない。可憐は新たな札を右と左で一枚ずつ取り出した。二刀流だ。これでゆうことやらに切りかかる。
「とまれ!」
ゆうことやらが叫んだ。だが物騒なモノは何も持っていないし、人質だった夏穂には手も触れていない。こうなれば躊躇う理由はない。
「はあああ!」
二枚の札が交差した時、ゆうことやらの体は綺麗に切り裂かれた。
「うご、ばかな…。にんげんなんぞに…」
切られたゆうことやらの体が、徐々に消えていく。顔の表情から察するにご不満の様子だが、可憐は、
「あんただって元は人間だったんじゃないの? どのくらい昔なのかは知らないけど」
と言い捨てた。
「危なかったわね」
可憐たちは女子トイレから出た。扉は軽く引っ張れば大きく開いた。
「今日ばっかりは、可憐にお礼を言わなきゃね。じゃないと私、死んでたかも…」
鏡子はそう言う。だが可憐は、
「大丈夫よ。鏡子の危機には絶対に駆けつけるわ!」
と宣言する。
「凄いですね。一人で倒してしまうなんて…」
何もできなかった夏穂はただ、感心していた。
「あ、もう時間ヤバい」
時計を見た鏡子が可憐の腕を引っ張った。
「ああ、感謝はしても勘弁はしてくれないのね…」
諦めて可憐は、約束通り塾に向かうことにした。
「私も付いて行って、いいですか? 学力には少し不安があるので…」
「いいよ。何なら入会する? 今ならまだ無料のはず。先生に言っておいてあげるから、今日は見学だね」
「わかりました。雰囲気を見てみますね」
三人は塾に向かった。