第一話 模擬戦闘・前編

文字数 5,053文字

 年度末の東日本を襲った大震災の爪痕が色濃く残る中、とある若者が軽自動車を利用して房総半島の某所にやってきた。

「心配しなくていいぞ。あんな津波はここには来ない」

 ドライバーがそう言った。海は見えるが、ここは高台。日本が沈没でもしない限りは、安心ができる場所だ。

「だろうね。でも俺は、この海で死んでみたい」
「まだ若いのに、よくそんなことを言えるな」
「変、かな?」

 月見叢雲はそう答えた。ドライバーは彼のことを知ってはいるが、あまり関わったことがないのだ。

「この海には、国に命を捧げた英霊が眠る…。そんな存在に俺もなってみたいだけさ」

 太平洋に向かって合掌すると、叢雲はとある廃村に足を運び入れた。


「待っていたロス。さあ、最終調整を行うロス」

 叢雲には、任務があった。それは模擬戦闘だ。

 月見の会は、いよいよ組織の維持が難しくなってきたのだ。日本を牛耳る霊能力者組織、神代グループ。それが明治以降に発足してから、反比例して月見の会の力は徐々に減っていった。

「私の考えでは、古い思考回路では今の日本を生きていけないロス」
「だから、新しい幽霊を合成したんだっけ、遠呂智?」
「そうロス」

 月見の会に残された道は、二つあった。
 一つは、神代の傘下に入ること。そうすればいがみ合うことはなくなり、援助も受けられるだろう。しかしそれは、月見の会の人間なら死んでも選ばない選択だ。何せ、自分たちの顔に泥を塗る、いや、それ以上の屈辱に等しい。
 では、神代グループに対してどう出るか…? 残された道はただ一つ、戦って勝つことだ。

「霊鬼、と名付けたロス。怨霊を含む幽霊を五体、食塩で清めながら合体させるロス。そうすることで全く新しい霊ができあがるロスよ」

 月見(つきみ)遠呂智(おろち)が考案した、その霊鬼。それを叢雲が試験的に運営する。その実力と悪影響は未知数だが、叢雲は遠呂智を信頼している。断るつもりはなかった。

「おい叢雲! そっちの準備はまだかよ!」

 月見(つきみ)大刃(だいば)がそう叫んだ。

「すぐに終わるよ」

 試運転するのは、叢雲だけではない。打倒神代を掲げて、四つのプランが考案された。その内、一つが遠呂智の考えた霊鬼を体に憑依させて霊気を上げる方法だ。
 大刃が参加した計画は単純で、修行に修行を重ねるというもの。月見の会の実力者が鍛錬すれば、絶対に結果を残すことができる。月見の会が一番期待しているプランだ。

「ケッ! 相変わらず友情ごっこかよ。飽きねえみたいだな、お前たち」

 嫌味を言ったのは、月見(つきみ)迦具土(かぐつち)。本来は素直な性格なのだが、彼が参加した計画は、自分を呪うことで霊気を高めるというもの。悪霊の思念に染まった結果、思考が悪い方向に傾いているのだ。

「揃ったか? では、手短にすませようぜ」

 月見(つきみ)八咫(やた)が言った。彼は守護霊を強化するプランに参加している。言ってみれば迦具土とは真逆だ。


 月見の会のトップは頭を抱えた。四つのプランの発案者たちが、全く折れる気配を見せなかったからである。だが、全てを採用する時間も費用も人手もない。
 そこで思いつかれたのが、この模擬戦闘だった。

「ならば、四つを戦わせてみよう。それならどれが優れているのか、すぐにわかる」

 発案者たちは一斉に納得した。自分の考え出したプランこそが、月見の会が選ぶべき道だと。

 
 関係者は廃村にただ一つある小学校の、校庭に集まった。そして四人の試験者がその中央の、四角い区画に集まる。万が一のことを警戒して、塩で結界を作っておく。

「ちょっと待つロス。まだ準備が完璧じゃないロス」

 遠呂智がそう言った。

「何だよ、こんな時に…」
「まあいいだろ。つってもよ、勝つのは俺だが?」
「言ってろ大刃。修行と称して遊んでただけじゃないのか?」
「何だと、迦具土!」

 言い合う三人を余所に、遠呂智は最終調整を行う。

「これを、割るロス。そうすれば割った人物に霊鬼が憑りつくロス」

 手渡されたのは、一枚の鏡。叢雲はそれを地面に落とすと、踏んづけた。
 その時、パキッと音がした。だが叢雲には、それ以上の現象が待っていた。

(何だ、これは!)

 他の人には見えていない様子だ。
 その見た目は、人間のようだった。だがどこか、この世のものではない雰囲気を出している。

(これが霊鬼か…。面白い、俺に憑りつくんだな? お前の力を見せてもらおうじゃないか)

 霊鬼は叢雲の体に重なると、消えた。

(うっ!)

 叢雲の心に、違和感が芽生えた。だがそれを訴える前に、

「これで準備完了ロスよ!」

 と言い、遠呂智が下がってしまった。

「では、始め!」

 現在の月見の会のトップである月見(つきみ)良源(りょうげん)が模擬戦闘開始の合図を出した。

 まず動いたのが迦具土だ。呪われた体は、普通の人間にできない動きを可能とした。彼は勢いよく大刃に飛びかかった。だが大刃も、ここで修行の成果を見せる。

「くらえ!」

 手のひらに鬼火を出現させた。一瞬の内の出来事に迦具土は驚いて、人間とは思えぬスピードで後ろに下がった。

「青い炎、だと!」

 この模擬戦闘を観戦している関係者も、驚きを隠せない。

「ああそうだ。これが修行の結果だ!」

 大刃が自信満々に言う。

「面白い。ならば受けろ、この身に刻んだ数々の呪いを!」

 迦具土も負けじと、大声で叫んだ。
 二人のやり取りを、八咫は見ていた。傍観しているのではない。隙あらば相手を倒すことを考えている。防御に特化した八咫は、自分から積極的に攻めるべきではないことを熟知していた。

「だが…」

 八咫も様子がおかしいことに気が付いた。戦闘開始からまだ数秒しか経っていないが、叢雲が動く気配を見せないのだ。胸に手を当てているが、苦しんでいる様子は見てとれない。

「どうしたんだ?」

 見かねた八咫は、彼に声をかけた。だがその声は、叢雲の耳には届いていなかった。

(これは…一体?)

 言い表せない何かが、叢雲の心に沁み込んでいる。それは確かだ。

(だが、この安堵感は何だ? まるで心が軽くなったかのようだ…)

 同時に、緊張もしている。普段は汗も見せない叢雲のポーカーフェイスが、どんどん曇っていく。

「おい! 大丈夫なのか!」

 八咫があまりにも大声で叫んだため、迦具土の目線が叢雲に向いた。

「隙だらけじゃねえか、こんなところで!」

 向くと同時に、足も動いた。その俊敏な動きは砂を蹴ると、一気に叢雲の前に躍り出るほどだ。

「まずは、一人ぃ!」

 迦具土の拳が、落とされた。しかしそれが叢雲に命中することはなかった。
 なんと叢雲は、迦具土の動きを目で追っていないにも関わらず、拳を掴むと逆に技を決めて彼を地面に叩き付けたのだ。

「うぐ!」

 迦具土は、すぐに立ち上がれないほどのダメージを負った。

「何が起きた?」

 皆が一斉に叢雲を見た。

「この野郎!」

 寝ころんだ状態で迦具土は悪あがきをした。腕を交差して十字架を作ると、呪われた霊気を叢雲に向けて発射する。
 だが叢雲の手は、その霊気を切り裂いて迦具土の首を掴んだ。

「うぐああわああああああああああ!」

 叢雲が少し力を入れただけで、迦具土に憑りついていた幽霊はほとんどが成仏してしまった。抜け殻になった彼の体を、叢雲は乱暴に場外に投げ捨てる。

「迦具土、脱落…」

 良源はそう言った。それ以上は何も言えなかった。恐らく良源だけではない。ここに居合わせている人のほとんどが、何が起きているのか理解できていない。

「大刃、少し力を貸せ」
「そうするしかねえみたいだな、八咫」

 叢雲を前に二人は、協力することにした。二人で彼を突破しなければいけない、一人では絶対に勝てないことを悟ったのだ。

「どのぐらいのパワーアップが施されてんだ?」
「さあな? 少なくとも俺が修行を始める前は、叢雲は俺と同等かそれ以下だった」
「確かか?」

 八咫が心配そうに言うのも無理はない。大刃の足が一歩、後ろに下がったからだ。

「ああ…。だが今は全くと言っていいほど自信が出ねえ」

 大刃が叢雲の顔を見た。叢雲は、笑っていた。

「アイツ…。冷静な野郎だと思ってたがよ、こんな状況で笑うのか…。任務中は絶対に態度を見せねえヤツだった気がするが?」
「霊に憑りつかれて態度が変わることは良くある。それよりも、だ。どう突破する?」
「俺がアイツの隙を作る。お前はそこを攻めろ」
「了解した。その後の行動は約束せんぞ?」
「そのつもりだぜ」

 大刃は手を合わせ、指を叢雲に向けると開いた。同時に鉄砲水がそこから発射された。その水は叢雲の顔に当たると、彼の瞼が勝手に閉じる。

「今か!」

 八咫が駆けた。霊に呪われているというなら、守護霊を使って除霊するのみ。一瞬あれば十分だ。
 だが八咫は、目を疑った。自分が解き放った守護霊が、逆に叢雲の体の中に吸い込まれていく。守護霊の抵抗は空しく終わり、逆に叢雲が行動に出た。八咫の体を掴むと持ち上げ、残りの守護霊を根こそぎ奪う。

「やめろおおおお!」

 すぐに八咫の体は力を失い、手と足はブランと垂れ下がった。彼の体も、まるで役目を終えたゴミのように投げ捨てられた。

(すごい…! どうなっているんだ、力がみなぎる。本来なら格上の相手を、簡単に倒せるなんて…どうかしている!)

 自分でもおかしいことだ、叢雲は心の中でそう言い、笑った。

(笑うだと? 俺が? 会の他の者に散々、表情に乏しいと言われてきたのにか! こんなに俺は笑えるのか!)

 残るは叢雲と大刃のみ。片方は笑っており、もう片方は恐怖で表情筋が硬直している。

「ここで修行の成果を見せねえわけにはいかねえ!」

 ついに大刃が覚悟を決めた。この場で繰り出せる最大の技をぶつけるのだ。大刃が片手で空中に五芒星を描いた時、大気が揺れた。

「この風に全てを託すぜ!」

 風は瞬く間もなく暴風となり、廃村の小学校の校庭をピンポイントで襲う。流石に叢雲の体もこの強い風には耐えられず、ついに足がズリズリと砂の上で動き出した。

「この風は! 俺は最初、獲得を諦めていた風だ。だが、俺は不可能を可能にした! 勝利を運ぶ風に、打ち負かされな!」

 砂煙を上げながら風は竜巻となり、叢雲の体を飲み込む。とうとう叢雲の体は宙に浮いた。

「よっし!」

 このまま場外まで運べば、自分の勝ちだ。大刃はそう確信した。
 だが次に、信じられないことが起きる。何と叢雲は表情一つ変えず、風の中で態勢を整えると、勢いに乗って一気に大刃の目の前に動いた。

「何だってぇ! 馬鹿な、木造建築の一つを吹き飛ばすの、ワケない風だぞ? 俺が風向きを操作しているのに、こんなことができるはずがねえ!」

 しかし、それをやってみせた叢雲。大刃の頭に軽く、頭突きをした。

「がっ…!」

 その一撃、一瞬の接触で膨大な量の霊気を大刃の体の中に流し込む。大刃の意識は瞬きをするよりも早く飛んだ。

(圧倒的だ、圧倒的…。俺は一晩にして、全霊能力者を越えたんじゃないのか!)

 叢雲は、喜びで舞い上がった。もっと自分の力を見せつけたいとすら、思った。

「や、止め!」

 良源が模擬戦闘の終わりを告げた。すぐさま遠呂智が鏡を持って叢雲に近寄る。そして新しい鏡を差し出した。

「れ、霊鬼を鏡に戻すロス…」

 その震える手を叢雲が掴んだ。遠呂智は、自分も大刃たちのようにされるのではと思ったが、叢雲は震えを止めたいだけだった。優しく鏡を受け取ると、霊鬼はすぐさま鏡の中に戻っていく。

「大丈夫、ロスか?」

 他の三人が手当てを受けているのを確認すると、先ほどとはまた異なる笑顔を見せた。

「え? ああ、ありがとうな遠呂智。お蔭で勝てたよ」

 叢雲の声はいつもと変わりがなかった。

 良源は今回の模擬戦闘の結果を基に、採用するプランを決めると宣言し、この場は解散となった。だが霊鬼が採用されることは誰の目でも明らかだった。
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