特別話 他方前線・後編

文字数 4,335文字

 もう、夜明けまで時間がない。うっすらと東の空が明るくなっている。日本の東の果て、南鳥島はもう朝かもしれない。

「標水様」

 玄が標水に声をかけた。

「そろそろ、発射の準備をしてもよろしいかと。防衛ラインは突破されたものもありますが、多くは月見の会の決死隊を逆に仕留めたようであります」
「そうか…」

 とだけ、標水は返事した。そして幻霊砲に目をやった。

 日本中の霊能力者の統治は、神代家における長い間の悲願だった。初めは本当に小さな集まりで、それが大きくなったのだ。北は北海道、南は沖縄県。神代は日本全土を手中に収めたとばかり思っていた。あの時までは。
 標水は思い出していた。あの日、神代塾が襲撃されたことを。月見の会、とっくの昔に廃れたとばかり思っていた。それが今、神代の顔、いいや全身を泥まみれにした。受け入れがたい屈辱だ。

「死を持って償え、その罪を」

 幻霊砲を北西の空に向けて構える。一発一発の発射に命を削られるこの大砲、標水は全部で九発と決めていた。三発ずつ月見の会の三つに分かれる集落に撃ちこめば十分だが、そういう意味で回数を設けたのではない。

「私も、死の覚悟で裁きの一撃を」

 標水は、塗られた泥を拭き取るつもりはなかった。もはや自分は、先祖を侮辱したに等しい。ならばせめて、自分の命の最後を神代に捧げる。

「では…幻霊砲の第二発を発射する」

 その不気味な砲身に手をかけた。そして念じるのだ。するとその念が、紫の光となって大きくなる。チャージにはそこまで時間はかからない。もう幻霊砲は、標水が発射と思うだけで撃てる状態に温まっている。

「そこまでだ!」

 急に、鋭い声が飛んできた。神代の親衛隊たちが声の方を向くと、若い男子が二人立っていた。

「もう、撃たせねえぜ!」

 大刃と群主だ。時間はもうギリギリ。やっと目的地に着いたのだ。

「どこからここまで…? 貴様ら!」

 玄を始めとする神代の者たちに緊張が走る。防衛線に引っ掛からなかったというだけで、標水から怒りが飛んでくるかもしれない。だが、今の標水にはそんな余計なことをする暇はなく、目を瞑って心眼で狙いを定めている。

「あれが幻霊砲か…」

 大砲と言うよりは、人間を始めとする動物たちの骨で作られたそれらしきもの、という感じだ。禍々しいそれの先は、紫に輝いている。
 群主がその場を見回した。

「護衛が多いな、やはりか。そして他の者はここまでたどり着けなかったらしい」
「そうみたいだな。叢雲も、かよ…」

 この場所にいないということは、そういうことだと二人は解釈した。事実叢雲がこの時間、呪いの谷にいることは二人は知る由もない。もちろん生きていることも。
 今や幻霊砲の破壊は、二人に託された。群主がまず動いた。霊力で旋風を巻き起こし、その風に乗る。

(狙うは幻霊砲のみ! 他の雑魚に構っている暇なんぞ、ない!)

 だが風は、阻まれた。玄だ。彼が札を握りしめて腕を振ると、空気の動きが止まった。
 地面に着地した群主は、狙いの的を玄に変えた。玄がいる状態では、幻霊砲の破壊は難しい。先に叩き、安全を確保しなければならない。
 大刃も、限界を無視して戦う。いくら疲労しきった体であっても、霊鬼の力を使えば、無名の霊能力者では止められない。おまけに大刃は、ここで死んでもいいと考えている。思考回路にも限界がなかった。

 しかし二人の最後の抵抗を無視するかのように、幻霊砲の二発目が発射された。おぞましい悲鳴のような轟音が鳴り響くと、皆が戦いの手を一瞬止めた。

「撃たれた?」

 紫の光は、飛行機よりも速いスピードで北西の空に向かって飛ぶ。そして数秒後、紫の閃光が空に走る。集落に直撃したのだ。

「く、くそが!」

 大刃は、霊気を一気に放出して雑魚を蹴散らし、幻霊砲に掴みかかった。

「ぶっ壊してやる!」

 だが幻霊砲は、予想に反して頑丈だ。

「何をしている?」

 標水が聞く。

「みんなのために、壊すんだろ!」

 大刃が怒鳴る。

「そんなことをしても無意味だから聞いたのだ。幻霊砲を破壊したいのなら、私の命を絶つしかない。この砲台は、生者には壊せんのだ」
「ほほう、簡単じゃねえか!」

 大刃の鬼火が大きく燃え上がると、標水を包み込もうとした。次の瞬間、一瞬だけ標水から放たれた鉄砲水にかき消された。

「何…?」

 追撃をしようとしたが、護衛の霊能力者に捕まれて地面に落とされる。彼らは大刃の手足を拘束し、動きを封じた。

「離せ、この雑魚ども!」

 彼らはわかっていた。個人個人の力では、大刃には敵わない。束になっても勝てるかどうか。ならばいっそのこと、個人レベルの勝利は捨てて神代の勝利に貢献する。幻霊砲の発射完了まで、時間を稼げばいいのだ。

 ひたすら遅延行為を決め込んだ護衛隊。玄もまた、戦いを長引かせることを選んでいた。

「お前! 何故もっと攻撃してこない? 俺を舐めているのか?」
「違うね…。ここでお前をやっても、得にはならないからさ」

 玄は自分からは、一切攻めなかった。ただ群主が攻撃してくるのを待ち、その一撃を避けると同時に、体力を奪う呪いの札を彼の体に貼りつける。一見すると地味だが、焦る相手には効果的。

 また、断末魔の悲鳴が辺りに響いた。第三発、発射。大刃と群主はただ、見ているしかなかった。

「やめろおおおおおおおお!」

 雄叫びと共に、大刃の体が雑魚を吹っ飛ばす。そして玄に向かって突き進み、渾身の鬼火をお見舞いする。

「危ない!」

 だが、ゆっくりな動き。軌道は読める。玄はこれを難なくかわした。同時に大刃の額に、呪いの札を貼ってやる。

(それでいい。俺の役目はな…!)

 この一瞬、玄の体は大刃の方を向いた。生じた隙を突いて、群主は風を起すと、玄の体を切り裂いた。

「………しまってるっ!」

 傷は浅い様子。だが、怯ませるには十分過ぎた。さらに追撃をする群主。旋風が玄の顔に当たると、右の耳が乱暴に切れた。

「あぎゃあ!」

 さらに生じる隙。今度は群主は風に乗り、玄に向かって突進をした。激しく体がぶつかり合うと、玄の体が数メートルほど飛んだ。
 だがここで、第四発目が発射される。

「また…。いい加減にしろ!」

 群主が標水に向かって怒鳴った。だが肝心の標水は、聞く耳を持たない。すぐに五発目の発射に取りかかる。

「ふざけやがって…! 許さん!」

 群主が飛んだ。標水を倒せば、幻霊砲は止められる。さっき大刃がそれを聞き出していた。

(相手は目も閉じて、幻霊砲の発射に専念している。隙だらけだ!)

 しかし隙があったのは、群主の方だった。突然横から何かが激突し、体が吹っ飛んだ。

「いてて…。よくもやりやがったな、コイツぅ!」

 耳を押さえながら蹴りを入れたのは、玄だった。

「お前は、黙れ!」

 風を起すと、それをぶつける。だが玄は怯まない。風を切り裂いて、足を進める。

「逃がすか!」

 首筋を掴むと、玄は群主の体を地面に叩き付けた。

「ぐっが!」

 激痛が背中から全身に走る。致命的だ、すぐには立ち上がれない。

「ようやく黙ったか、小僧!」

 玄は群主の手を踏んづけた。これ以上抵抗させないためだ。

 そして紫の光が飛ぶ。五発目も二人は、止められなかった。


 群主は体を押さえつけられ、大刃は呪いの札に体力を吸われ、動けなかった。ただ、撃ちこまれていく幻霊砲を前にして、叫ぶことしかできなかった。そして当然、訴えは聞き入れられない。

 六発、七発、八発。そして最後の九発目が発射されると、標水の体がまるで糸を切られたマリオネットのように力を失い、地面に崩れた。

「標水様…。我々の勝利ですよ。そちらから見えますか?」

 玄は群主の拘束を解いた。大刃に貼られた札も剥がした。何故そんなことをするのか? それは、対月見の会における最終作戦が終了したためだ。もう命の取り合いはしない。

「君たちは、どうするのだ? 月見の会の集落は陥落、生存者は絶望的だろう。この戦争は終わった」

 それを聞くと、大刃と群主はこれ以上暴れても意味がないことを理解した。そして、その場から去った。


 二人は、行く当てもなくただ歩いていた。

「……………」

 無言だ。何も思い浮かばない。実感がないのだ、集落が壊滅したことの。二人はただ、撃ちこまれる光を見ていただけ。全て理解しろと言う方が無理だ。

 そして、二人はとある谷に行き着いた。

「ここは…?」

 見た目はおぞましい谷だ。おそらく現地の住民や野生動物ですら、避けて通るのだろう。
 だが不思議なことに、その谷を不気味にさせている存在の気配は全くと言っていいほどしない。

 ふと、大刃が足を止めた。足元の金属の塊に目が自然と移ったのだ。

「おい、これは…」

 間違いない。叢雲の義手だ。

「叢雲…。お前がここに?」

 何故こんなところに? 二人は思った。今、地図は持っていないが、この谷は叢雲の進んだ最短ルートから大きく外れるのだ。
 そしてどうして落ちている? それについて、二人の見解は一致した。

「ここで、死んだのか…………」

 ひしゃげたそれが物語るのは、叢雲の死。
 埋葬してやろうと二人は遺体を探したが、近くには転がっていない。

(きっと、回収されたか。それとも神代が温情をかけて既に埋葬したか。まあ、どっちでもいいか……)

 そして、叢雲の死を実感した二人は、ある行動を取ることになる。

「この辺でいいか、群主?」
「ああ。お前と逝けるならどこでもな」

 迷いはなかった。

 さっきまではあったかもしれない。だから無意味に歩き続けて、ここまで来た。でも、もう悔いはない。叢雲の死が、二人の背中を押した。

「もう恨みっこはなしにしようぜ? 死んで怨霊になりたくはねえ」
「そうだな。いやあ、神代は強かった。ありゃあ勝てなくて当たり前だ。アリは群れればゾウをも倒すって聞くが、ゾウも群れていては話にならん」
「踏みつぶされちまったな、俺たち」
「いいや、無視して素通りだ」

 そんな会話を他にもして、笑うことで心から恨みや妬み、怒り、悲しみ、苦しみを抜き取る。
 そして二人は、お互いの喉と心臓の辺りを突いた。新鮮な血が、乾いた谷を濡らした。

 若い二人の魂が体から抜け、天に舞い上ると、仲間の元に旅立った。
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