第135話 断ち切れない鎖 8 ~疲労・崩壊~ Aパート

文字数 7,408文字


 初学期の終業式同様、完璧ではなかったにしても、雪野さんが何か悪い事をした訳では無いのだから、私は堂々と胸を張って雪野さんと手を繋ぐ。
 そこには今更ではあるけれど、私の気持ちの中に、今日交渉する学校側の意思と言うか、牽制と言う意味合いも入っている。
 一方優希君も私の気持ちをどこまで分かってくれているのか、最近では私の事なんてほとんどお見通しなのが嬉しくもあり、面白くもない。その優希君が雪野さんを挟んだ反対側から雪野さんの手を握ってくれている。
 当然雪野さん自身は居心地の悪さを感じているし、そうなると散発的ではあるけれど二年以外からの視線を貰う事にもなる。
 他方、壇上で私が書いた簡単な原稿を読み上げた後、いや、読み上げている最中にもかかわらず倉本君が私の方を時々見ている。
 先日の夏季講習内の倉本君のあからさまな好意の事もあって、一部の生徒からは私の方にも視線を貰う事になってしまっている。
 ただ、そんな視線を私にくれたところで、私の友達に対して文句のある倉本君の事なんて、何とも思わなくなってしまっているし、それ以前の話で私の友達に謝ってくれていないのだ。
 ただですら私の友達も言われ無き中傷なんかで苦しんでいるのだから、ほんの少しだけでも優しくして欲しいくらいなのに。
 それに比べて優希君は、私の事も少しは大切にしてくれるけれど、それ以上に私の友達の事も大切にしてくれるのだ。
 この辺りはやっぱり優希君が彼氏で良かったなって思える所の一つなのかもしれない。
「――っ!」
 倉本君と視線を合わせるくらいならと思って、優希君の方に視線を合わせると微妙に私からは視線がずれている。舞台ソデ、私の外側にいる彩風さんと視線を合わせているのは明らかだった。
 彩風さんも彩風さんだ。あれだけ倉本君への恋慕で涙していたはずなのに、さっき体育館へ向かう道すがらでも仲良さげだった上に、今度は何私の彼氏と見つめ合っているのか。そんな事は後ろを振り返るまでもなく分かる事なのだ。
 二年の子とは言え、去年の12月からの付き合いなのだ。これは二人からじっくりと話を聞いて、私が納得するような話を聞かないと気が済まない。場合によったら彩風さんと倉本君の仲を取り持つことまで考えないといけないかも知れない。
 ふたを開けてみれば名実ともにお互い初めて同士の口づけだったのだ。これからが本番だと言う時に、これ以上優希君の周りに女の子が出て来るのは、とてもじゃないけれど頂けない。
 中学期始業式中。まさか声に出す訳にはいかないからと握った手に力を入れてやり過ごそうと、
「ちょっと岡本先輩痛い――」
「……何?」
 力を入れたところで雪野さんが抗議の声を上げる。
 それに対して一言聞き返しただけなのに、それ以降黙る雪野さん。
 それに気づいた優希君が彩風さんから、慌てて視線を私に合わせてくれるけれど、彼女である私を放って、どこを見ていたのか。
 私がキツめの半眼を優希君に送るのを、倉本君がずっと見ていたような気がした。


 結局その後は優希君を始め、みんなが私の事を見ていた気がするけれど、特に優希君とだけは視線を合わせないように注意した。
 その中で帰って来た教室内。次の時間はロングホームルームと言う事もあって、概ね教室内の空気は弛緩している。
 まあ、一部の生徒は全く同じ問題集を二冊並べて、二つの問題集の間を忙しなく往復させながら、手も必死で動かしてはいるみたいだけれど……主に女生徒Aとか、女子グループとか。
 ただ、今年も一緒にお誕生会をした蒼ちゃんは当然として、時折私の方を気にする雰囲気を纏いながら静かに読書をしている実祝さんもまた、夏休みの課題はすべて終えているっぽい。
 そして問題は咲夜さんだ。その咲夜さんもまた出来ていなさそうなんだけれど、出来ていないのはあと一つだけの上に、もう少しなのか、今取り組んでいるプリント以外は机の上には出ていない。
 ただその問題が分からないのか、プリントを机の上に出したまま咲夜さんもまた私の方に時折視線を送ってくれるけれど、
「……愛ちゃん? さっきのは何?」
 私の席まで来た蒼ちゃんが、私と咲夜さんの射線上に立って私を責めて来る。
「何って……雪野さんと仲良く手を繋いだ事?」
 何となくこっちだったら良いなって思いながら聞くと、
「愛ちゃんのその知っていて、とぼける悪い癖って中々治らないよね。あんまりひどいと蒼依から空木君に言うよ?」
 何とペナルティー付きで一蹴されてしまう。
 しかも優珠希ちゃんのせいで優希君の中に、私が腹黒だって言うイメージも付きかけている上に、私の性格には本音と建前があるとまで思われ始めている今のタイミングは本当に辞めて欲しい。
 私は優希君の彼女として素直でいたいのだ……本音と建て前に腹黒。よく考えたら同じ意味かも知れないけれど。
「蒼ちゃん聞いて。そんな事言ったって朝の統括会の時もそうだし、蒼ちゃんから見ても分かったと思うけれど、今日の優希君って朝からずっとイチャイチャデレデレ彩風さんと仲良く喋っているんだって」
 とにかくこれ以上私の悪い所、恥ずかしい所を優希君に知られるわけにはいかないからと、知られざる優希君の所業を蒼ちゃんに伝える。
「しかもその彩風さんも今までずっと倉本君がって言って、私に対してまで不満を持っていたにもかかわらず、自分は嬉しそうに優希君と喋って時には見つめ合っていたんだって!」
「イチャイチャデレデレって……彩ちゃんと会長さんの協力をするって言う話はどうしたの?」
 なのに私の言葉にあんまり耳を貸してくれた気がしない。それは今朝のあの二人の様子を見ていないから言える事だって。
「どうしたもこうしたも、あの二人が仲良くしたいなら私は知らない」
 前の時は私の事をすごく心配してくれていたはずなのに、今日は優希君や彩風さんの味方ばっかりしてさ。
「じゃあ愛ちゃんが、空木君と彩ちゃんで仲良くして下さいって言ってるって、蒼依からメッセージを入れとくね」

 もう良いよ。優希君にしても倉本君……はどうでも良いけれど、私の事が一番大好きだって言いながら、他の女の子と平気でデレデレして。この事は優珠希ちゃんにも言ってもう、これからは優希君との口付けはナシなんだから。
「……」
 私がふてくされながら心の中で決めてしまったところで、
「おい咲夜。そっち出来てるんなら見せてくれよ」
 突然咲夜さんを呼び始める咲夜さんグループ。
「いや、あたしはもうすぐ終わるから一人で――」
「――咲夜。友達が困ってるんだって。だったら助けろよ」
 本当にもうすぐ終わりそうなのか、咲夜さんの方に席を立つ気配はない。
「分かった。咲夜がその気だって言うなら、取り敢えず終わった分のノートだけでも貸せよ――おい。取って来い」
 そして私にとって都合の良い事に、女生徒Aを咲夜さんの元に送る咲夜さんグループ。
「駄目。咲夜の所には行かせない。宿題は自分でするもの。それに今日までに終わらせられなかった咲夜も悪い」
 女生徒Aに向って言い切った上に、咲夜さんの事を考えたかのような窘め。
 私が習熟度テストの時に言った事が本当に嬉しかった事が伺える。ただこれに関しても前もって実祝さんのお姉さんから話を聞いていたからこそ気付けたことで、あの電話が無かったら今の実祝さんの気持ちを私は理解できなかったと言い切っても良い。
「“スカした姫”には言ってねーんだよ! 引っ込んでろ」
 その上で私の友達を押し座らせたらしい女生徒A。
 私相手と、それ以外相手では明らかに態度が違い過ぎる。私の友達にこれは頂けない。
「ちょっと今『もうすぐ先生来るんだから、そう言うのは辞めた方が良いって』――」
 私が口を開けたのとほぼ同時くらいに、以前実祝さんに話しかけていた女子生徒。咲夜さんの事はあまり信用しない方が良いと言っていた女子生徒がどういうつもりが仲裁に入ってくれる。
 もちろんその事自体は嬉しかったのだけれど、実祝さんのお姉さんの話を聞いている私からしたら出来れば、実祝さんの意を汲んで咲夜さんに止めて欲しかった。
 でも今の私の感情とは別に、確実にクラスの空気が変わりつつあるのを実感する。でなければ無圧側・他圧側から声が掛かる事は無かったと思うのだ。
「おいちょっとお前、どう言う――」
「――それじゃあ夏休みの課題を回収するぞー」
 女生徒Aが何かを言おうとした瞬間に先生が入室して来る。
 当然進学校だからか終業式の日だからなのか、みんなが素早く席に着くけれどそんなので黙っている私じゃない。
「ちょっとあんた。さっき

何か言おうとしてたんじゃないの?」
 実祝さんに声を掛けて欲しかったのに、結局最後まで何も言わなかった咲夜さんに、冷たい視線をかぶせて女生徒Aに向き直る。
「なっ?! 別に岡本

何も言ってないだろっ!」
「ん? じゃあ

何を言おうとしてたんだ?」
 そして女生徒Aの発言を聞き咎めた先生が、例のノート手帳を広げる。
【いじめ防止推進法22・23条】
 その先生に満足した私に、何故か不満そうな表情をする実祝さんに気付く。
「おい。誰に何を言うつもりだったんだって俺は聞いてるんだから早く答えてくれよ。今日はほかにも決めないといけない事もあるんだからな」
 言葉に窮している女生徒Aに対して、さらに追い打ちをかける先生。
 この構図を期待した私はもちろん、発端である女子生徒は何も言わない。その上、女生徒Aをけしかけた咲夜さんグループも、もちろん誰一人として、女生徒Aをかばおうとはしない。
 本当にこんなので良く友達だと言えるなと心の中で思っていると、
「取り敢えずこれ以上は時間が押すから、昼休みまた俺の所に来てくれ」
 先生の質問から、昼休みの呼び出しに変わる。
 本当は女生徒Aに関しては気になる事、聞きたい事もあったのだけれど咲夜さんと実祝さんの事は、担任の先生にお任せをしているのだからと、ここは譲る事にする。
「ちょっと待って下さい! あたし昼休みに岡本さんから“呼び出し”を受けています」
 その間に、さっきのはどう言う事かと咲夜さんに、聞こうかと思っていた矢先に何を思ったのか、この女生徒は私に“呼び出し”とか言いやがった……言い出す。当然その言葉を使うと、咲夜さんを含む咲夜さんグループが色めき立つ。
 分かった。あんたが徹底して私に喧嘩を売るって言うんなら、こっちは利息じゃなくて倍価格で買ってやることにする。
 昼休み時間一杯使って絶対その口を割ってやる。
「先生。私には“呼び出し”って言うの意味が分からないんですが、あの人が私と話したいって言っているんで、先生の話は、放課後にじっくりと時間を使ってもらって良いですか?」
 まあ、考え方によっては今日の放課後は統括会のほかに、教頭先生との課題の話もあるからこっちの方が私的には都合が良いのかもしれない。
「……分かった。じゃあ昼休みじゃなくて、放課後にじっくりと話を聞くから、放課後に職員室に顔を出してくれ」
 先生が私に嫌な顔を一つ向けてから、女生徒Aの対応が、質問から昼休みの呼び出し。昼休みの呼び出しから放課後の呼び出しと順を追って重くなって行く。
 その女生徒Aへの処遇が決まった先生の号令で、夏休みの課題の提出が始まる。
 本当はさっきの実祝さんに対して、咲夜さんにどういうつもりなのかを聞こうとしたのだけれど、さっきギリギリまで問題集を広げていたはずの咲夜さんが、さも当たり前のように全ての課題を出し終えたのを見て、遅ればせながらに気付く。
 実祝さんが咲夜さんを守っている間に、その咲夜さんは全ての課題を終えたのだ。それを分かっていたからこそ実祝さんはあの時女生徒Aを短時間でも止めたのかもしれないし、咲夜さんも実祝さんの意図を理解していたから、先に課題を片付けたのだと分かる。
一通り理解してしまうと、早合点してしまっていた私がお姉さんに対して言える事なんて、そんなには無いけれど、それでも今の二人を目にしたら、お姉さんも認めてくれると思うのにとは考えてしまう。
 その一方で予想通りと言うか何と言うか、女生徒Aを含む2グループの何人かが夏休み中の課題が間に合わなかったみたいだ。
 当然その件についても、ギリギリで課題をやり切った咲夜さんに向けて視線を送る課題を残した2グループの内の数人。
 小学生ならいざ知らず、何で進学校のこの年になってもこのくらいの事すら、自己管理が出来ないのかと頭をひねった時、咲夜さんと実祝さんを気にしてくれていた先生が、当然の女子グループ達の視線に気づかない訳も無くて、
「夏季講習に出ていた者でも全て提出しているのに、どうして計画を立てて出来ないんだ?」
 優しい先生らしく誰かを特定できないようにするためか、出来ていない数人の生徒を見回すようにして、教室全体に問いかける。
 ただ残念なことに先生が来る前に騒いでしまっていたのだから、生徒側はその数人に、もう当たりがついてしまっているのだ。
「この学校に入学した時にも言ったと思うが、いくら俺たちがその気だったとしても、本人にやる気が無かったら進学なんて出来るわけないからな。

勉強が全てとは思わないが、この学校を選んだお前らは少なくともそのつもりなんじゃないのか?」
 いつもの間延びした時の言い方じゃない時の先生は、本当に真剣に私たちの事を考えてくれている時だと言う事くらいは分かる。
「それと。今から言う事は俺のおせっかいだから、別に聞き流してくれてもかまわないが、お前らの中に勘違いしてる者が結構いるようだから一応言っといてやる」
 そう言って今度は私たちの方に目をやる先生。
 しかも私に向ける時は何か優しいし、私以外を見る時は何か自信を持っているような気がする。
「この学校の成績が一回上下したくらいで“夏草や兵どもが夢の後”受験戦争なんて言うくらいには殺伐としていたりもするが、今回一回限りの成績が上がっても下がっても、次の模試・中間の結果次第では“夢の後”今の結果なんてただの通過点にしかすぎないんだからな」
 要は一回悪かっただけで諦めたり、落ち込んだりするなって言いたいんだろうけれど……。
「だから今回一回だけ成績が上がっても、たとえ他人を引きずり落として今回順位を上げたとしても、そんなのは全国の中で見たら、ほとんどと言って良いくらい無駄だって事は先に言っておいてやる」
 私のお願いを聞けなかった事に対する先生の気持ち、女生徒Aを含む2グループへの牽制。先生なりに頑張ってくれている事も分かるから、先生を立てる意味でもここは何も言わないでおく。

「それじゃあ思ったよりも時間が押してるから急ぐが、明後日4日の金曜日に行われる、お前ら最後の『健康診断』だが養護教諭が何人かに手伝って欲しいそうだ」 
 時間的にもこれが最後の連絡事項にはなると思うのだけれど、あの腹黒がどこに蒼ちゃんに対する配慮をしてくれたのかが全く分からない。
 ひょっとしたら私のお願いなんて初めから聞くつもりは無かったのかもしれない。
「それで、その人選なんだが……悪い。時間が無いから統括会の岡本が残り2・3人を選んでもらっても良いか?」
 一方先生の言葉の途中で、いち早く手を上げた女子グループの方に目をやるけれど、私の方へとそのまま視線を送って指名する先生。
「私ですか?!」
 配慮と言うより、これじゃああからさまじゃないのか。
「先生! 岡本さんばかりに任せるんじゃなくて、同じクラスメイトなんですからあたし達にも任せてくれても良いんじゃないんですか?」
『健康診断』と聞いて、初めにざわめきだす男子。次に私に指名があってどよめきだす女子。その中で我先にと反論する女子グループの一人。
「お前もまた何を言ってるんだ? そんな事よりも先に夏季課題だろ。ちなみに夏季課題の最終提出日は今週の金曜日までだからな」
 それを簡単にいなす先生。教室の中の喧騒なんてかまってはいられないくらい、私の心の中は大変なことになっている。
 前回の蒼ちゃんの腕の時は、眠っている間に黙って見るなんて卑怯な事は出来ない。蒼ちゃんの事は一点の曇りなく、胸を張って親友だって言いたい。その上で朱先輩からの電話もあって、蒼ちゃんとの信頼「関係」を裏切らずに済んだ。(118話)
 だけれど今回はどうなのか。蒼ちゃんはちゃんと起きているし、しかも『健康診断』は学校行事だ。だから理屈・道理だけで言えば、私が蒼ちゃんを指名する事には何の問題もない。
「あのー先生ー。俺は宿題も全部終わってるんで、岡本さんとペアでやっても良いですかー?」
「男子サイテー」
 だけれど今日も、長袖の手首部分を押さえている蒼ちゃん。いくら私の方に大義名分があると言っても親友が嫌がっている中で、その意思を無視すると言うのは強制ではないこの手伝い。本当に私一人の意思で決めてしまっても良いのか。
「おー。じゃあ先生と二人で男子の方は、養護教諭を手伝うとするかー」
「じゃあ岡本さんに、男子の方も手伝ってもらえばいいじゃないですかー」
「男子へんたーい」
 一番の親友である私が、蒼ちゃんの意思を無視してしまって良いのか。でも、もうこのタイミングを逃すとこれから寒くなる時期。今以上に長袖が目立たなくなってしまうと、どう考えても踏み込めなくなることも自明なのだ。
「それじゃあ俺が岡本さんと、保健の女医さんで男子の方の『身体測定』を実施します!」
「……男子。きもーい」
 担任の先生の一声だけで、五里霧中の中に放り込まれてしまった私の思考が廻る。
「……もし。岡本が決めにくいんだったら、岡本と仲の良い(つつみ)でお互いにあと一人ずつ選んだらどうだ?」
 立ち込めた霧を今度は同じ先生が晴らしてくれる。でも、私が弛緩の息を吐いた時、今度は女子にグループがあからさまに慌てだす。
 その様子に勘が働いた私が咲夜さんを見ると、青を通り越して顔から色素が無くなってしまったかのような、真っ白な顔になっているのを、
「……」
 今までに見た事はないくらい、憎悪むき出しの表情で見る蒼ちゃんの姿があった。

            ――だから、私は腹を括る――

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