五千八百分の三【課題文学賞その十】

文字数 1,981文字

 体育館の裏で、修吾(しゅうご)はスマートフォンを取り出した。スマートフォンの持ち込みが禁じられている高校だから、皆に見られない場所が必要だった。
 送り主は圭太(けいた)だった。圭太からのLINEは大体が入院生活の愚痴だった。またくだらない話を送ってきたんだろう。そう思いながらも、アプリが立ち上がるまでの間に不思議な胸騒ぎを覚え、そして絶句した。
「昼休みが始まったばっかりで見る余裕がないかもしれないけど、報告します。今朝早くに、康明(やすあき)が旅立った。俺もあんまり調子がよくなかったけど、特別に見送らせてもらった。お葬式とか俺はいけないけど、修吾と克希(かつき)には行ってほしい。あとでまた連絡します」
 女子生徒の楽しそうな声が響く。昼休みも中ほどになり、体育館に人が入って来たようだ。多分ここにも何人かがやってくる。地に足がついていない。そんな感覚を味わいながらも修吾は歩きだした。今誰かに会ったら、何だか変なことを言い出しそうで怖かった。一人で考えたい。そう思って裏門へ向かった。昼休みの裏門は閉じられ、人の出入りはない。大きな木の陰にある裏門の冷たいコンクリートに背中をもたれ、修吾はスマートフォンを改めて見つめた。
 修吾が入院していたのは二週間ほど前のことだ。ちょうど一年前にバイクにひかれて左脚の骨を折り、手術で固定した。その時に脛骨(けいこつ)をプレート固定したのだが、そのプレートを外すために入院し、手術を行った。たったの二泊だったが、その時同じ部屋に入院していたのが圭太、克希、そして康明。偶然にも皆同じ十六歳の男子だった。こんなことは滅多にないよ、と看護師さんたちも言っていた。
 修吾が入院した日、他の三人は既に仲がよさそうに見えた。馴染めないかと思ったが一番長く入院している圭太がうまくリードしてくれた。圭太はクローン病という腹痛や下痢が激しい病気にかかっていた。それで食事はほとんどとれず、首に中心静脈路という点滴の管を入れられていた。次に古参なのが康明で、白血病だった。抗がん剤を入れるために、鎖骨にやはり中心静脈路が入っていた。この二人は数日前まで別々の部屋にいたのだが、克希が入院することになって三人が同じ部屋になったのだという。その克希は気胸という病気だった。右の胸郭(きょうかく)にドレーンという太めの管を入れられ、それがベッド下の容器とつながっていた。病名から受けるイメージとは逆に、克希だけが一人で部屋を出ないよう言われていた。
 既に症状がなくプレート除去手術も全身麻酔下で行った修吾は、入院生活に苦痛はなくむしろ新鮮で楽しかった。看護師さんたちが、普段は滅多に来ない若い患者が集まるこの部屋によくやって来たことも大いに影響しているだろう。二日目の術後、麻酔から覚めて眠つけなかった修吾は、隣のベッドにいた康明と語り明かした。康明は修吾が中学受験で合格できなかった進学校の生徒だった。白血病と診断された時はショックだったそうだが、治療できる病気だと知り前向きに頑張ってきた。将来は医師になって診断や治療をもっと簡単にできるようにしたい、と語っていた。修吾も自分の骨折が完治することは嬉しいが、それで医師になろうとは思いもしなかったので恥ずかしく感じるとともに、康明のことを尊敬した。
 その康明が、あれからたった二週間で帰らぬ人になってしまった。げっそりしながらも明るい性格の圭太はよく冗談を言った。だからこの話は嘘、ということもあるかと思った。が、そんなLINEは追加されないし、さすがに言っていい冗談ではない。ふざけるなよ、と康明からのコメントも入らない。時間が経ち少し気持ちが落ち着いてきた修吾は、グループチャットから離れて克希に連絡を入れた。
 克希も既に退院し、高校に通っている。スマートフォンの持ち込みはやはり禁止されているらしいが、誰も校則を守っていない学校だと言っていた。確かに速攻で返事が来た。「お通夜と葬式には必ず参列する。修吾も一緒に行こう」とあった。修吾はもちろんそうしたいと思った。が、自分は康明の十六年、約五千八百日のうちたった三日を一緒に過ごしただけの存在だ。そんな奴が顔を出していいのだろうか。
 修吾は気持ちの整理がつかないままに通夜の当日を迎えた。初めて降りる駅で克希と落ち合った。久しぶりに会った克希は、バスケットボール部員らしく逞しい顔つきになっていた。二人がセレモニーホールに入ると、大きな康明の写真が飾られていた。花に囲まれ二人を見つめ微笑んでいるようだった。その笑顔は、修吾の記憶よりも幾分か顔が丸い印象だった。そしてゆっくりと棺の中の彼に近付いた。化粧をしていても、康明があれから一気にやつれたことは明白だった。向こうで泣きながらも気丈に立っているのがご両親だろう。
 瞬間を生きる辛さと幸せ。初めて経験した友の死が、修吾にそれを気付かせた。【了】
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