コンビニ診察 <医療現場シリーズ>

文字数 2,491文字

大家(おおや)さん、大家菜奈子(おおやななこ)ちゃん、お待たせしました。三番診察室へどうぞ」
 四十前後と思しき母親と、女の子が入ってきた。電子カルテによれば、この子は六歳。年長さん、といったところか。
「はい、こんばんは。今日はどうされましたか。事前問診表だと、頭が痛いようですが」
 一見、特に問題のなさそうな菜奈子ちゃんを見ながら、母親に尋ねた。
「ええ、一時間くらい前から、急に言い出して、それで来ました」
「はい、では……。熱もないですね、吐き気もないかな?」
「ないよ」と菜奈子は笑顔で答えた。
「体重は十六キロですね。アレルギーなし、と。では、粉薬と粒の薬、あるいはお尻にいれる座薬、どれにしましょうか?」
「それ、さっきの紙に書きましたよね!?」
 母親が急に声量を上げて言い放った。
「ああ、申し訳ないです。粒のお薬ですね。今が金曜の夜ですから、じゃあ八時間おきに使うとして、七回分処方しておきます。お大事に」
 ツンとしたままの母親が診察室の扉に向かってスタスタと歩く。母親に遅れまいと立ち上がった菜奈子ちゃんは、扉の前でちょっと振り返ってバイバイと手を振ってくれた。少しほっとして手を振り返し、印刷された処方箋に判子を押して、事務に回した。


 今夜は県立病院の救急外来でアルバイトである。普段は別の私立病院に勤務しているのだが、地域の救急医療に貢献すべく、こうやって月に数回働きに来ている。県立病院の救急外来は患者が多く忙しいと言われている。それは嘘ではない。が、働き手としては諸手を挙げて賛成とは言えなくなった。この春から世の中にはびこる「コンビニ受診」に対応すべく、救急外来に「クイック診察・処方外来」を設置したのだ。その結果、そこまで忙しくは無い、と言えるだけの余裕が生まれたのである。自分の考えとしては、こんなのは医療ではない。でも、間違いなくニーズがあり、実際来院する患者の満足度も高そうなのだ。であれば、今後の医療の一つの方向かもしれず、自らここでのアルバイトに立候補してみたのだった。

 救急外来なので、もちろん予約は不要だ。最近はやりの時間外選定療養費も徴収しない。そして基本的には患者さんの望み通りの処方をする。だから最低限の問診をするくらいで、下手したら体に触れることすらしない。これであれば、ある種の感染症が流行っていたとしても、診察を介したお互いの感染リスクも減らすことが出来る。
 最近は患者側の事前知識が増えたこともあり、処方や検査に対する希望を強く訴えられる事態が増えていた。いい面もあるのだが、我々の判断では必要のない検査や治療を要求されることが多く、時間と費用とが無駄になっている。我々の知識や経験あるいは洞察による判断を無視して、マスコミや知り合いから得た情報をゴリ押ししてくる患者たち。はっきり言って、虚しい。それでも真面目に診察していきたいと思っているが、このようなシステムを患者が了解しているなら、それも有りかな、と不本意ながら思った。
「クイック診察・処方外来」はスーパーで少量しか買わない人が並ぶスピードレジにヒントを得たものらしい。すぐに終わるので待ち時間は少ないが、医師側からの問診や身体診察が最低限であり、医療訴訟は行わない旨の同意を受付で済ませることになっている。今まで通りの外来も並行して存在するので人手はかかるのだが、トラブルが明らかに減った。処方ではなく、検査を要求される場合も、簡易なものであればその通りに行う。だから例えばインフルエンザの迅速検査なんて、発症してすぐは意味がないと広く知れ渡っているはずなのに、まだやってほしいと希望する患者がいる。そういう人は、是非この外来を利用してほしい。説得に時間をとられるのは、こっちからすると時間の無駄なのだ。血液検査については、普通は鑑別が必要な項目を吟味してオーダーするが、ここではファミレスの定食のように、決まった項目しかしない。夜間休日ということもあり、患者がどこかで仕入れてきたような珍しい検査はできない。ここだけはまだ、説明するのがちょっと面倒である。

 問題は、誰がこの「クイック診察・処方外来」を担当するか、だった。実質的には昨日国家試験に受かったばかりの新人研修医でも充分できる「作業」である。その方が言いなりになるにはふさわしいかもしれない。しかし、である。いくら訴訟は起こさない、と同意させていても見逃し(いや、そもそも診ていないのだが)が発生することが明らかなシステムだ、とこちらは思う。となると僅かな情報でも診断できる可能性の大きいベテランに担当してもらいたい。また研修医がこんな診療を最初からやってしまうと、まともな医者に育たないだろうとも危惧された。だから中堅以上に白羽の矢が立つ。だがそうなると高給が必要だし、このシステムに馴染めず結局通常外来と同じことをやってしまうかもしれない。この外来の肝は、待ち時間とクレームとを減らすことなのだ。それもあって院内だけでなく希望者を募ることとし、自分のような医師もここで働く機会を得たのだった。
 地元紙にも「コンビニ受診にはコンビニ診察」という見出で記事が載り、当初は思惑通りに患者が流れた。いままで通りの当直医は、いわゆる重症患者、もしくは丁寧な問診と診察を望む患者の診察に専念できた。クレームが減り、ウインウインだった。


 だが、人の気持ちというものは計り知れない。数か月経ったのち、いい加減に診察されるのは嫌だと、「クイック診察・処方外来」の受診希望者が減っていった。通常の救急外来が結局は混雑し、待ち時間も一層伸びた。診察前のトリアージは徹底しているので、重症患者が優先される。多くの人は待つことを選んだわけだ。それでも待ちきれないと騒ぐのは、だいたいこちらから見ると軽症なことが多いのであり、その人が「クイック診察・処方外来」に回された。地元では、めんどくさい患者用、と揶揄されるようになったが、実は狙い通りの結果となったのだった。やっぱりあの母親も、こっちを選ぶだけの人だったか。そう思いながら、次の患者さんを呼び出した。

[了]
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