こっちを向いて! 【課題文学賞3】

文字数 2,002文字

 同じ団地のお姉さんが気になっていた。周りの中学生とは違う制服なので、きっと私立の女子校だ。僕らは下校すると、団地の中央にある公園で遊び始める。しばらくすると駅の方から歩いてくる。いつも一人だ。まっすぐB棟には入らず、ベンチで本を読む。ベンチの横に立つ街灯に明かりが点く頃、僕たちは遊びを止め、家へ帰る。ちょうどその頃、お姉さんも本を閉じてB棟へと入っていく。僕たちは小学四年男子の三人組だが、僕の家はC棟で、昇太と朋也はA棟だ。B棟には知り合いがいない。
 お姉さんが気になっているのは、多分他の二人も同じだ。三角ベースの最中、お姉さんが来ると声が大きくなる。かくれんぼの時には、ベンチの近くに隠れようとしたり、探しながらベンチの前を何度も通ったりする。僕だけじゃない。間違いない。
 
「なあ、あの中学生のお姉さん、おどかしてみない?」友人というのは考えが似るのだろうか。僕が二人に提案しようとしていたその日、朋也が言った。これで言い出しっぺは僕じゃない。怒られても、悪いのは朋也。そう思い、賛成した。
「面白そうだね。いつも本読んでて暗そうだし、すんげえ驚くと思うよ!」
 僕は悪ノリしてそう言った。昇太は少し考えて、わかったと返事をした。

 お姉さんを驚かすには何がいいだろう? うちのお母さんが一番驚くのはゴキブリをはじめとする虫だ、と思った。朋也も昇太も同意してくれたので、虫をお姉さんの座っているベンチに向けて放すことになった。でも、そういう時に限って、これといった虫に出会わない。それで昇太が僕に言った。
「健二郎、そういえばクワガタ……」
 三人で向うの林に取りに行ったクワガタを僕が預かっていた。昇太の家も朋也の家も、家族がクワガタを飼うことを嫌がっている。だからうちに皆のクワガタが集まっているのだ。お姉さんが来る前に僕の家で、どのクワガタを持ち出すかを決めた。やはり顎が発達していないメスだ。もしかしたら驚いたお姉さんに命を奪われるかもしれないが、仕方がない。

 僕はメスのクワガタを一匹だけつまみ上げ、小瓶に入れた。公園に戻ると、お姉さんはもうベンチでいつも通り本を読んでいた。さりげなくベンチの隅に放す。さっと木陰に身を隠し、二人に合流する。ベンチから少し離れているので、きっと見つからないだろう。

 数分後、「きゃっ」と小さな叫び声が聞こえた。同時にメスのクワガタが勢いよく飛び立つ。「なによ、もう……」と言いながら、お姉さんは再び本に目を移してしまった。

 せっかくのクワガタを逃がした上、お姉さんの反応が面白くなかったので、翌日は別のもので試すことにした。昇太が帰り道、偶然見つけたイモリだ。子どもの手のひらに隠れるくらい小さい。僕はかわいいと思ったが、昨日の感じだとお姉さんは驚いてくれるだろう。まっすぐ歩くクワガタと違い、ベンチに置くだけではお姉さんに気付かれずに干からびてしまうかもしれない。そう思いつつ三人で繁みに隠れていると、やがてお姉さんがやってきた。白いブラウスに肩紐が透けている。つい見とれてしまうが、やらなくてはいけない。そして、昇太がイモリを投げつけた。

「ひいっ! 何、何? ええっ? あん、もうっ!」
 イモリは首筋からぬるっと落下し、立ち上がったお姉さんの両足の間でうごめいていた。「ここ、やばいな」そう呟いて、遊具の向こうにあるベンチへとお姉さんは移っていった。そしてまたそこで本を開いた。

 昇太と朋也は面白くなったらしい。イモリを投げた昇太は、こうなったら蜘蛛だ、と言い張っている。ここで自分が降りるなどということは、やっぱりできない。でもちょっとお姉さんが可哀想になってきた。明日はベンチでの読書を止めてほしいなと願いながら、次の日を迎えてしまった。

 どんな事情だか分からないが、お姉さんは今日もベンチで本を読んでいる。さすがに向う側のベンチだが。あちらは背後の繁みが手薄で隠れにくいが、朋也はやる気満々だ。ビニール手袋をはめたその手は、蜘蛛を覆っていた。公衆トイレにあった巣から剥がしてきたらしい。
 これは流石にやばいと思ったが、もう止まらない。朋也は音を立てないよう、ゆっくりと繁みを進む。僕と昇太は遊具のトンネルに潜み、覗いていた。

「きゃああっ! 何!?」お姉さんの叫び声。
 その直後、朋也の声が響いた。「うげえええ!」
 ブラウスを這っていたクモが次の拍子に朋也の腹へと飛び移ったらしい。そしてお姉さんは朋也を捕まえ、更に怒鳴った。
「あんたね、昨日のイモリも? 出て来なさい。他にもいるんでしょ?」怒られるのは結構怖かったが、やっぱり美人だった。三人揃って謝った。お姉さんは表情を緩め、優しい声で続けた。
「もう止めてね。でないと……」
 そう言って、元のベンチへと歩いて行った。

 そのとき、見えてしまった。

 お姉さんが読む本のタイトルは、『黒魔術大全』。
【了】
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