最強の先輩【課題文学賞その八】

文字数 1,855文字

「騙されたと思ってやってみろ、ほら」
 先輩はそう言って、餡子の入ったプラスチック容器を僕の前に突き出した。
 餡子は小豆の形がしっかり残った粒あんだ。表面の光沢が美しい。どら焼きやたい焼きに入っているのなら是が非でもいただきたいと思う。
「なんだよ、難波? これは、どっちも食い物。しかもそれぞれ旨い。違うか?」
「違いません。先輩は正しいです」
「だろう。それぞれ旨いし、安全だ。どう考えても化学反応なんか起こさない」
「そう思います」
「しかも、お前の尊敬する先輩である俺が、自信を持って勧めているんだ。拒否する理由がない」
 畝原先輩のことを尊敬している、というのは半分くらい正解だ。僕と同じく大学に入ってから空手を始めたにもかかわらず、もう三段。組手では部内最強だろう。まだ初段も取れない茶帯の二年生である僕にとって模範であることは間違いない。しかし学業が疎かで留年ギリギリであることや、飲み会でのお持ち帰りが目に付くことなど、全てを真似しようとは到底思えないことも事実だ。そして後輩、しかも大抵は僕をからかって楽しんでいる。なので信用しきれない。騙されて食べた僕の様子をネタにして、みんなで笑い合うのではないか、と勘繰る。そのくらい別にどうでもいいと言えばそうなのだが、和菓子、それも餡子が大好きなキャラで通っている難波陽介としては譲れない。
 しかし、畝原先輩の圧力は相当に強い。そこまでしつこく勧めてくるのは、余程ネタに困っているのか、本当に旨い組み合わせだからなのか。これ以上拒絶して、先輩の機嫌を損ねてしまったらこの先、部内での立場が危うくなるかもしれない。


 ゼミの飲み会で終電を逃した僕は、駅前のファストフード店でフライドポテトとホットウーロン茶を買って部室に来た。一晩ここで眠るつもりだったのだが、先客として畝原先輩が炬燵で丸まっていた。冬の夜はとにかく寒い。誰がいようとも中に入らねば。小声で「失礼しまーす」と言って炬燵に足を入れた時、先輩が目を覚ました。
「なんだ、難波か。うーん、よく寝た。ん? この匂い。フライドポテトか」
 Mサイズなので少しくらいは献上してもいいだろうと思い、炬燵の台に紙を敷いてポテトを広げた。続けて僕は一緒にもらったケチャップの蓋をはがし、そばにおいた。畝原先輩は「ああ、そうだ!」と言って立ち上がり、冷蔵庫から餡子を取り出して来た。これは確か、一月に餅を焼いた時に使ったものだ。
「難波、フライドポテトにケチャップとか、素人のやることよ。玄人はな、餡子。これに限る」


 そうして押し問答をしてきたのだが、徐々に先輩の目に鋭さが増してきた。部内の立場などより前に、身体的な危害を被る可能性がある。先輩も少し酔っている。今なら勝てるかもしれないが、先輩は力の制御が利かないかもしれない。そんな相手とやりあうなんてますます危険だ。僕は観念した。
「分かりました。邪道な餡子の食べ方ですが、やります」
 そう言って僕は、冷めかけているフライドポテトを一本つまんで、先端を粒あんの容器に突っ込んだ。本当はほんの少し付けるだけにしたかったが、半端な姿を先輩に曝すのは嫌だ。なのでべったりと餡子を塗った。小豆の曲線がポテトの表面に見える。そして僕は、おそるおそるそれを口に運んだ。

 まず餡子の甘みが口の中に広がる。しかしそれを味わう間もなく、冷たく硬い油が舌表面に当たる。うわ、最悪、と思った刹那、油の表面に散りばめられていた塩が踊り出す。えっ、これは……
 畝原先輩は、頷いてポテトに手を伸ばした。僕の表情は明らかに変化していたのだろう。先輩も満足気にフライドポテトに餡子を塗りたくり、齧っている。
「やっぱり旨いだろ? 甘いとしょっぱいは最強の組み合わせだ」
 僕は二本目を味わいながら、相槌を打つ。今まで知らなかったことを知った喜びが僕を支配していた。
「なるほど、たしかチョココーティングのポテトチップとか、ありましたよね」
「そう、それで俺はこれを思いついた訳よ。相反するもののバランスこそ最強」
「よくやられてるんですか? やっぱり、彼女さんと?」
 先輩は僕を見つめ、微笑んだ。
「難波……ありがとう。実は、今日が初めてでな」
「えっ」
 ようやく体が温まってきた頃だった。が、それ以上の暑さを急激に感じながら思わず聞き返す。先輩はバツが悪そうな、しかし自信に満ちた顔で続けた。
「これ思いついたんだけど、勇気がなくて。それで、お前で実験した。こんなに旨いとはな。彼女に自信を持って勧められるよ」

 【了】
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