令和のヒカルくん【2000字笑】
文字数 1,996文字
ヒカルは憤っていた。令和のウイルス騒ぎで、マスクが必須になった。名門男子校である麻武 高一年のヒカルもマスク姿である。そんなヒカルも、彼女が欲しい年頃だ。でも、周りはマスクだらけ。顔が分からないと、何も始められない!
中学から高校に上がり、「源氏物語」の授業があった。不倫や夜這いの話は、女子がいない方が気楽だ。主人公と名前が似ているから、からかわれるかと心配したが、麻武にはそんな雰囲気はない。
でも、分かったことがある。平安王朝の頃は、顔もろくに知らない女性の部屋に忍び込み、セックスをして帰るのがモテ男の流儀だったのだ。その部屋で見た顔が、たとえ自分の好みと全く違っても、やることをやって帰るのだ。平安のヒカルは凄い。令和のヒカルは女の子と手を繋いだことも無い。いや、小学二年の遠足以来無いのだからな。比べ物にならない。
でも平安のヒカルに勇気をもらった。そういえば叔父さんが言っていた。昔、スキー場でかわいいと思った子に声をかけたが、待ち合わせ場所で誰だか分からなくてねえ。平成バブルも平安時代も、そうだった。失われた女性の奥ゆかしさは、令和のウイルスが復権させる!
これまでモテたことは無いが、勝算はあった。大人になると、面白い男、運動のできる男よりも、経済力がある男がモテる。親父が言っていた。お袋と結婚できたのは、それが事実だからだ。高校生だとまだ早いかもしれないが女子は早熟だ。将来有望な詰襟のヒカルに目がくらむはずだ。
麻武の隣駅には桐泉 女学院がある。結構なお嬢様学校で、小学校の同級であるアオイが通っている。あそこなら、きっとかわいい子がいる。しかし中学入学以来、アオイと話をしていない。別に話題もないし、と思っていたが、今となっては悔やまれる。どう話しかけよう?
藤が崎駅のホームは、マスクをつけた中高生で溢 れていた。この駅は分譲住宅地にあり、同世代の家庭が多い。普段より六分遅いだけで、混み具合が倍増していた。確かアオイはこの時間の電車だ。すぐに見つかると思ったが、皆マスクで分からない。キョロキョロしていたその時、二人組のセーラー服を着た女生徒がヒカルの前に入った。雰囲気は変わらないものだな。アオイだと分かった。
黒いお揃いのマスクをした二人の後ろで、スマホをいじるふりをした。右はポニーテール、左はオカッパ。シャンプーの良い香りがする。麻武には無い香り。
いかん。それに浸っている場合ではない。右のポニーテールが、アオイだ。声で確信する。いきなり話しかけるのも変だ。それに何て呼ぶ? 小学校の頃のようにアオイって呼んで大丈夫か?
モヤモヤ考えていたら、電車が入ってきた。二人の女子高生は右に折れ、吊革につかまる。その後ろについて行ったが、同じ向きのまま立つのは変質者と思われそうで、背を向け反対側の手摺 を握った。あ、これではきっかけが。しかも、オカッパの顔も全く分からない!
藤が崎から四つ目が桐泉の駅。次が麻武の駅だ。車内は更に混んでいく。振り返ることもできず、二人は降りて行ってしまった。悔やみながらも、このお預け状態こそ平安の世に近いのでは、と思った。であれば、ヒカルのターゲットは、あのオカッパちゃんであるべきだ。同じ最寄り駅で、近くの学校。共通の友人。これを運命の出会いと言わずして、何と言う?
この電車だと、売店のコロッケパンが売り切れてしまう。でも次の日もオカッパちゃんの時間に合わせることにした。今日もあの二人はいたが、ヒカルとの間にスーツのおっさんが立ちはだかった。整髪料と煙草に、加齢臭が混ざっている。シャンプーの香りが恋しい。電車に吸い込まれる際にちらりと見えた。オカッパちゃん、項 がきれいだ。やばい、すげー気になる。顔がみたいっ!
週末、授業は休みだがヒカルは部活だ。去年はサッカーの練習も自粛させられた。させられる自粛に矛盾を覚えたが、感染は怖かった。今日は、思いっきり走った。
疲れて電車に乗った。藤が崎までは短いが、三年も通うとこの二〇分でも居眠りができる。この日も、藤が崎駅手前の踏切を通過するところで目が覚めた。向かい合ったロングシートに、桐泉のセーラー服の子がいた。髪型はオカッパである。やはり黒いマスクをして、スマホに興じている。あの子かどうか、確信はもてない。
電車が速度を落とし、藤が崎駅に滑り込む。今日のブレーキは下手だ。とオカッパの体も右に倒れた。その時、わずかだが目元が見えた。おおっ! かわいい―
所詮俺は、マスクをした令和のヒカルだ。平安のヒカルには及びっこない。親父が引き取りに来てくれた。警察の人には、勉強のし過ぎか? と優しく、しかし鋭い目つきで嫌味を言われた。駅から尾行したが、自宅に侵入なんてできる訳なかったし、家族を丸め込むだなんてあり得ない。そして通報され、通学を自粛することになった。
[了]
中学から高校に上がり、「源氏物語」の授業があった。不倫や夜這いの話は、女子がいない方が気楽だ。主人公と名前が似ているから、からかわれるかと心配したが、麻武にはそんな雰囲気はない。
でも、分かったことがある。平安王朝の頃は、顔もろくに知らない女性の部屋に忍び込み、セックスをして帰るのがモテ男の流儀だったのだ。その部屋で見た顔が、たとえ自分の好みと全く違っても、やることをやって帰るのだ。平安のヒカルは凄い。令和のヒカルは女の子と手を繋いだことも無い。いや、小学二年の遠足以来無いのだからな。比べ物にならない。
でも平安のヒカルに勇気をもらった。そういえば叔父さんが言っていた。昔、スキー場でかわいいと思った子に声をかけたが、待ち合わせ場所で誰だか分からなくてねえ。平成バブルも平安時代も、そうだった。失われた女性の奥ゆかしさは、令和のウイルスが復権させる!
これまでモテたことは無いが、勝算はあった。大人になると、面白い男、運動のできる男よりも、経済力がある男がモテる。親父が言っていた。お袋と結婚できたのは、それが事実だからだ。高校生だとまだ早いかもしれないが女子は早熟だ。将来有望な詰襟のヒカルに目がくらむはずだ。
麻武の隣駅には
藤が崎駅のホームは、マスクをつけた中高生で
黒いお揃いのマスクをした二人の後ろで、スマホをいじるふりをした。右はポニーテール、左はオカッパ。シャンプーの良い香りがする。麻武には無い香り。
いかん。それに浸っている場合ではない。右のポニーテールが、アオイだ。声で確信する。いきなり話しかけるのも変だ。それに何て呼ぶ? 小学校の頃のようにアオイって呼んで大丈夫か?
モヤモヤ考えていたら、電車が入ってきた。二人の女子高生は右に折れ、吊革につかまる。その後ろについて行ったが、同じ向きのまま立つのは変質者と思われそうで、背を向け反対側の
藤が崎から四つ目が桐泉の駅。次が麻武の駅だ。車内は更に混んでいく。振り返ることもできず、二人は降りて行ってしまった。悔やみながらも、このお預け状態こそ平安の世に近いのでは、と思った。であれば、ヒカルのターゲットは、あのオカッパちゃんであるべきだ。同じ最寄り駅で、近くの学校。共通の友人。これを運命の出会いと言わずして、何と言う?
この電車だと、売店のコロッケパンが売り切れてしまう。でも次の日もオカッパちゃんの時間に合わせることにした。今日もあの二人はいたが、ヒカルとの間にスーツのおっさんが立ちはだかった。整髪料と煙草に、加齢臭が混ざっている。シャンプーの香りが恋しい。電車に吸い込まれる際にちらりと見えた。オカッパちゃん、
週末、授業は休みだがヒカルは部活だ。去年はサッカーの練習も自粛させられた。させられる自粛に矛盾を覚えたが、感染は怖かった。今日は、思いっきり走った。
疲れて電車に乗った。藤が崎までは短いが、三年も通うとこの二〇分でも居眠りができる。この日も、藤が崎駅手前の踏切を通過するところで目が覚めた。向かい合ったロングシートに、桐泉のセーラー服の子がいた。髪型はオカッパである。やはり黒いマスクをして、スマホに興じている。あの子かどうか、確信はもてない。
電車が速度を落とし、藤が崎駅に滑り込む。今日のブレーキは下手だ。とオカッパの体も右に倒れた。その時、わずかだが目元が見えた。おおっ! かわいい―
所詮俺は、マスクをした令和のヒカルだ。平安のヒカルには及びっこない。親父が引き取りに来てくれた。警察の人には、勉強のし過ぎか? と優しく、しかし鋭い目つきで嫌味を言われた。駅から尾行したが、自宅に侵入なんてできる訳なかったし、家族を丸め込むだなんてあり得ない。そして通報され、通学を自粛することになった。
[了]