序章 満月の誓い
文字数 2,065文字
嘘みたいに大きな満月が輝く夜空をバックに、セーラー服姿の彼女はそう言った。
クールな彼女には珍しく、少し頬が赤かった。彼女の常識では、こういう告白の仕方はごくごく普通らしい。
意外なことに、僕は迷わず頷いていた。
彼女の足元には血まみれの死体が転がっていたが、そんなことは僕にとって大した問題ではなかった。
「……喜んで引き受ける」
手を差し伸べると、彼女はゆっくりと近づき、僕の腕に中に抱かれた。長いまつげを伏せて、そっと囁く。
「契約は成立したわ……今からわたしは、貴方のもの」
彼女の髪の香りが濃く立ちこめ、僕は思わず目を閉じた。
……こんな感じで、僕達の……あー、いわゆる交際はひどく恵まれたスタートを切ったけれど、もちろん、そこへいくまでには多少の事情があった。
霧が丘高校に入学してすぐに思ったのは、クラスに見知った子がいるな、ということだった。
半年ほど前、廃墟写真を撮影するため、もう封鎖された地下街に忍び込んだ時――。
立ち入り禁止の鎖を越え、階段を下りたすぐそこの踊り場に、「彼女」が倒れていたのだ。
不思議なのは、彼女は地上へ出ようとしているのではなく、明らかに誰もいない地下街の方へ下りようとしていたことだろう。
頭をそっちに向けて倒れていたので、そう考えるのが自然だ。
当然、僕はすぐに携帯で救急車を呼ぼうとしたが、抱き起こした彼女が止めた。
「やめて……どうせ、意味ないから」
僕は「なんで?」と質問したくてたまらなかったけれど、不思議と反対する気にもならず、通報は中止した。
一つには……僕を見上げた彼女の瞳が、一瞬赤く染まって見えたのが原因かもしれない。
この子、なんか普通と違うぞ? その時僕はそう思った。
後から思えば、その時僕はそこで彼女を置き去りにし、脱兎のごとく逃げるべきだったろう。
しかし、懐中電灯の明かりで見た彼女が余りに綺麗だったので、危険信号を感じつつも、結局僕は彼女を助ける方を選んだ。
そこで、自分のために持参したペットボトルのお茶や弁当を用意したり、「ここは眩しすぎるから、もっと暗い場所へ行きたい」という不思議な要望に応え、彼女を抱き上げて地下廃墟の奥までわざわざ運んであげたりした。
廃墟の闇の中……そこでいろんな話をしたことを覚えているが、それは割愛する。
あまりにも馬鹿馬鹿しい話題だったし、さすがに脳天気な僕も信じ切れなかったからだ。
いくら倒れていた彼女が、漆黒のゴシックドレス姿だったとはいえ、おいそれとあんな話は信じられない。
現実世界は、小説のように不思議な謎に満ちているわけじゃない。
それにしても、まさか半年後に高校入学した同じクラスで、彼女と再会するとは思わなかった。だいたい、あの時自己紹介で聞いた話だと、彼女の年齢は十四歳だと聞いたのだが。
それもあり、声をかけるかどうしようか迷ったが、放課後になると、向こうから僕の席にやってきた。
「八神君……八神まもる君」
守(まもる)という僕の名前を、彼女はやたらと味わい深くゆっくりと発音した。
「吉岡夜月(よしおか るな)……さん」
「名前で呼んでくれてもいいのよ」
即答で彼女が言ってくれた。
……しかし、セーラー服を着る彼女は、十四歳どころか、僕より年上に見えるほどだった。
そして、その美貌もいささかも衰えていない。
つややかな長い髪に、生まれてから一度も陽光を浴びたことがないような白い肌……それに、濡れたようなに光る切れ長の瞳とくれば、男共が放っておかないだろう。
実際、HRも終わったのに、なぜかみんながそっとこちらを伺っている気がした。しかも、男女問わず。
不思議と、例外なく畏怖に近い表情なのが不思議だが……僕はそこまで気にせず、吉岡に頷いた。
「お久しぶり」
「貴方も」
ごくごく微かに、唇の端を綻ばせる……笑顔のつもりかもしれない。
そのまま、そっと顔を近づけ、耳元で囁きかけた。頬と頬がくっつくような近さで、残っていたクラスメイトが「きゃー」とか「うわっ」とか声を上げたほどだ。
「あの地下でわたしがした話、誰にも言ってない?」
「義母と義妹に誓って!」
無神論者の僕は、とりあえずそう答えた。
「ありがとう……貴方は黙っていてくれると思ったわ」
「いやー、まあ仮に誰かに話しても、信じてもらえないような」
「今夜、貴方に面白いものを見せてあげる」
唐突に吉岡が話を変えた。
「……深夜零時過ぎに、パークホテルの屋上に来てくれないかしら?」
新入学の女子高生が、二度目に会った男子生徒を誘うにしては、ひどく奇異な舞台設定だった。
正気なら断るべきだったろうけど、僕は僕で人よりだいぶ性格が歪んでる。
気付けば、わざと軽い口調で「いいよ」と答えていた。