ツバメの雛みたい
文字数 2,160文字
とにかく僕は、その場から撤収することを優先した。
近所のファミレスで思案を練るかと思ったが、一つ思いついたことがあり、あえてそこから近い神社へと向かった。
石段を上った先にある小さな神社で、神主さんの常駐もないし、密談をするにはもってこいだろう。あるいは、怪しい行為をするにも。
「神社は平気だよね?」
到着してから尋ねたが、もちろん吉岡は元気に頷いた。
「どうして?」
「いや、こちらのヴァンパイア伝説じゃ、ヴァンパイアは教会へ入れないらしいから、神社はどうなのかなと」
「元の世界にも宗教はあったけど、そこの教会だって、わたし達は全然平気だったわ」
「そうか……ヴァンパイア伝説といっても、所詮はこの世界独自のものだからなあ」
くだらない雑談をしつつ、僕は手水舎の近くにあるベンチへ吉岡を誘った。
普通の女の子なら、「こんなところへ連れてきてなにする気っ」と柳眉を逆立てる場面かもしれないが、僕など小指で吹っ飛ばせる吉岡は、当然、全然不安そうには見えない。
「ちょっと暗いけど、吉岡には問題ないだろうから、このまま話す。真っ先に訊くけど、あの死体が消えた原因に心当たりは?」
「……ないわ」
予想通り、吉岡は首を振った。
「故郷では、あんな風にハンターが消えることはなかったの」
「しかも、消えたのは死体だけじゃなくて、あいつが流した血液もだ」
僕は薄闇の中で腕を組む。
原因がわからないことってのは、どうしたって気になるものだ。
「廃墟で聞いた話じゃ、あいつの前にもう一人倒してたんだよな? そいつは消えなかった?」
「ごめんなさい、それがよくわからないの」
吉岡は申し訳なさそうに低頭した。
「こちらへ転移した直後に襲われたけど、逆襲して倒した直後に、誰かの気配が接近してきて……。敵の増援だとまずいから、その時はそのまま逃げたわ。ハンターがしつこく追ってきたことに気付いたのは、あの時が最初だったわね」
「そうか、じゃあ死体が消えたかどうかは不明ということだ」
僕は肩をすくめて、この件を一旦保留にすることにした。
なにか意味があるんだろうが、今ここで解明するには、判断材料が少なすぎる。
「なら……肝心の話題をもう一つ。君は、いつから吸血してない?」
どこか気怠そうな雰囲気になっていた彼女は、はっとしたように僕を見た。
「パワーが落ちているのに、気付いてたの?」
あれで落ちていたのか!
僕は内心で苦笑した。
「いや。ただ、少し気怠そうだなと思い始めていたよ。……前に聞いた話だと、吉岡の場合は片親が人間のハイブリッドだったよな? だから、昼間でも一定時間は活動できる……あの時、そう話してくれただろ」
うろ覚えだが、彼女の説明によると、ハイブリッド……つまり片親が人間のヴァンパイアは、人間としての性質も受け継ぐらしい。吉岡が平然と登校できるのも、そのお陰だろう。
「平然と、ということもないの」
吉岡は苦い笑みを広げた。
「日光が苦手なのは、同じなのよ。ただ、事前に血を補給しておけば、昼間でも少しは保つということ」
それから俺を見て、慌てて首を振った。
「吸血行為は、こっちへ来てからしてないわ。気絶させて血を適量抜いただけだから……それも、女の子ばかり」
上目遣いに僕を見て、そんな言い訳をする。
「仮に、がっつり牙立てて吸血してたって、僕は責めないよ……吉岡は、いわば人間の上位種だし」
野生のライオンだって獲物は狩るが、狩られる側は逃げこそすれ、ライオンの行為が不当だとは思わないはずだ。
なぜなら、自然界ではそれが普通だから。
とはいえ、僕の考え方がかなり普通人より歪んでいるのは認める。
「……やっぱり、男を吸血するのは控えてくれて正解かもな」
「どうしてかしら?」
吉岡が何かを期待するように尋ねた。
「その役目は僕が独占したいから」
さらりと言うと、僕はポケットに忍ばせておいた、折りたたみナイフを出した。
「ちょうどいい機会だから、今補給しておくといい……て、どうかした?」
目を丸くしているので尋ねると、彼女は意外そうに述べた。
「この国の人は、武器なんか持ち歩かないと聞いていたわ」
「うん、普通はそうだろうね。そのまま座ってて」
でも残念ながら、僕は普通じゃない……今更、普通に戻れるはずもない。
内心をおくびにも出さず、立ち上がった僕は、右手首に刃を当てる。
「吉岡には、治癒能力があったはずだよね? なら、後の手当は頼むよ」
「いいけど……このまま、今ここで?」
「早い方がいい」
言葉と同時に、僕は唇を開いた吉岡の上で、ためらいもなく手首を切った。
「思い切りがよすぎよっ」
溢れ出る鮮血に慌てて口を付けた彼女は……時折身震いしながら僕の血を飲み干していく。
普段は怜悧な瞳が次第にとろんとなり、顔が赤くなってきた。
僕は僕で、「可愛らしく唇を開けているこの子は、なんか餌を待つツバメの雛みたいだなあ」と呑気なことを考えていたけれど。