ヴァンパイア貴族
文字数 2,886文字
着替えるといっても、店のトイレで制服の上を脱ぎ、代わりに薄いパーカーを羽織っただけだ。後は体操服入れの中に、脱いだ上衣を突っ込んでおく。
僕の顔はかなり生意気そうに見えるらしく、この程度の偽装でも、あまり新入学の高校生には見えなくなる。ホテルを訪問しても問題あるまい。
彼女の方はどうするのかと思い、喫茶店を出てから尋ねると――。
なんとこの子は、黒ストッキングのセーラー服姿で、堂々とホテルに出入りしているという。
「それでよく――あ、もしかすると邪眼を使ってるのかな?」
ルナの目を見た者は、一切逆らえなくなるらしい……しかも、その瞳に見入られた者は、彼女に命令された内容に疑問など持たない。
まさにヴァンパイアらしい力だが、以前試してみた結果、なぜか僕には効かないのが不思議だ。
「邪眼という言い方……あまり好きじゃないわ」
相変わらず日陰を選んで進むルナが、不服そうに言う。
「わたしが邪悪な者みたいよ」
――いや、この世界ではまさにそういうことになってるんだけど。
「じゃあ、イビルアイでは?」
「そっちの方がマシかも」
……意味は同じなんだが。
本人が好むなら、別に構わないけど。
「しかし、イビルアイに永続的な効果はないって、前に言わなかったかな?」
「最後に、相手から私の記憶を消せば問題ないわ。それもイビルアイで可能なんだけど、一旦消した記憶は、もう戻らないから」
「そう。ならいいけど」
本当は、制服姿は避けて欲しいんだけどな。
「もうすぐ着くけど」
ルナが横目で僕を見た。
「実験って、例えばどんなこと?」
「そうだな……実は僕らの味方というか、手駒を増やそうと思ってね」
僕はさらりと答えた。
二人で出来ることには限りがある。
潜在的な敵を持つ身であれば、味方は多ければ多いほどいい。そして無論、僕らの命令には決して逆らわないような都合のよい味方なら、言うことない。
実験は、そのための前段階のつもりだった。
自分で言うのもなんだが、実にあくどい話である。
「あ、そういうことなら」
ふいに、ルナが立ち止まった。
「……ハイブリッドの場合、創造されたシモベには、かなり当たり外れがあるのだけど?」
「当たり外れ?」
首を傾げて、僕も立ち止まる。
「どういう意味かな?」
「普通なら、ヴァンパイアが牙を突き立てて作るシモベの実力は、おおよそマスターであるヴァンパイア当人の実力に比例するわ。強いヴァンパイアが作るシモベは優秀だし、弱いヴァンパイアだと弱いシモベにしか変化(へんげ)しない。人間側の素養はあまり関係ないの――普通はね」
思わせぶりな言い方をした後、ずばっと説明してくれた。
「でも、ハイブリッドの場合、ヴァンパイアたるわたしの能力だけじゃなく、人間側の素養も大いに関係する。凡庸な獲物を噛めば、そいつがシモベになった後も、大して期待できないわ」
「へー、そりゃわかりやすいな。むしろ、ヴァンパイア側の能力だけが問題になる方が、僕としては不思議だ」
肩をすくめ、僕は安心させるように頷いてやった。
「気にしなくていいよ。僕は最初から、手駒にするなら相応の人を選ぶべきだと思ってたから」
「そう……頼もしいわね!」
意外にも、ルナが本気で頼もしそうに褒めてくれた。
「時に、ルナはシモベを作ったことはない?」
歩みを再開しながらさりげなく問うと、ルナは首を振った。
「わたしは人間嫌いだから、まず『牙を突き立てる』という部分が嫌で嫌でたまらないの。だから、いつも肌を斬り裂いて血を流させるだけ」
なにげに、スプラッタ映画顔負けのシーンを思い浮かべそうな話である。
要するに、ずばっと斬り裂いて血を流させるわけだし、そっちの方が残酷かもしれない。
それに――とルナが続けた。
「ヴァンパイアの掟的には、シモベを増やすのは一種の禁忌なの。一度シモベにしてしまうと、相手はもう人間じゃなくなって、吸血できなくなるから。となると、シモベが増えたら自分達の首を絞めるようなものでしょ?」
「……その割に、僕の提案に反対しないんだな」
不思議に思って尋ねると、「ヴァンパイア社会では、誰かに契約を持ちかけて無事にパートナーとなった場合、受諾してくれた相手の意見に従うのが普通なのよ」とあっさり教えてくれた。
「あの夜、『わたしは貴方のものになるわ』と言ったでしょ? あれは本当に、言葉通りの意味なの」
「男尊女卑とかじゃないよね?」
眉をひそめて僕が問うと、ルナは明確に首を振った。
「元の世界の人間社会はそうだったらしいけど、わたし達は違う。契約は、あくまでもどちらが先に持ちかけたのかが、問題となるのよ。男性が女性に持ちかける場合だってあるわ」
――大抵の場合は、恩義を感じた相手か……さもなくば、愛する人に契約を持ちかけるの。
とルナは補足で付け加えた。
なぜか後半の声が小さかったが、追及するのは控えた。
「ハイブリッドだと、パートナーが人間でも気にしない?」
「相手が気に入れば、関係ないわね」
ルナがじんわりと横目で僕を見る。目の端が少し赤かった。
「それにわたしは、八神君があまり人間のような気がしない。だから、嫌悪感なんて全然ないのよ」
「……そう」
彼女は、おそらく気付いてないだろう。
僕が一番気にしていることを、自分が今真っ向から指摘したという事実に。もちろん今のは、好意で言ってくれたのだ。
かつてのインチキ神父のような、侮蔑と畏怖の意味合いではない。
「ほら、このホテルよ」
再び足を止めたルナは、棒立ちの僕を振り返って、小首を傾げた。
「どうかした?」
「いや――」
別になにも、と言いかけたその時、乳母車を押した母子が前から来た。
実は僕にはよくあることだが、乳母車に座った幼女が大きく目を見開き、僕をじいっと見つめていた。すれ違う時もわざわざ顔を動かし、身を乗り出すようにして眺めている。幼児特有の遠慮のなさで。
その無垢(むく)な瞳に浮かぶ僕の姿は、うっすらと靄(もや)のようなものに覆われているように見える……これも、いつものことだが。
七つまでは神のうちという言葉があるが、あれは真実なのだろうか。
街角で出会う幼児達が僕に何を見ているのか気になるが、それを知るとよくないことが起こりそうな気もしている。
オーメンのダミアンだって、自分の正体に気付かなければ、平穏に暮らしていたかもしれないじゃないか。
……こんなことを考えること自体、インチキ神父に毒され始めている証拠かもしれないけど。
だいたいあいつは、悪魔とは言わなかった。「おまえは化け物だっ」と罵ったのだ。
似ているようで、だいぶ違う。
「八神君?」
「あ、ごめん」
心配そうなルナの声に、僕は幼児を見つめ返すのを中止して、彼女のそばに急いだ。