エンド・オブ・ザ・ワールド
文字数 7,420文字
銃声と同時に、僕の足元でぱっと土煙があがる。
倉庫入り口近くのここは、まだ舗装してなくてよかった……お陰でコンクリの欠片が飛んだりとかしないし。
「言い忘れてましたが、ここはうちの所有地なんで、倉庫の方には撃たないでくださいよ……て、聞いてないな、この人」
ドンドンッと連続でさらに彼が発砲するが、僕はもういちいち見ない。
どちらも、僕の左右の足元に着弾しただけだ。
「お、おまえはどっか壊れてやがんのかっ。どうして平然としてやがんだっ」
「壊れてるのは本当なんで、そう言われても困りますが……でも、いずれにせよ、僕は心を苛立たせたり、本気で怒ったり怯えたりしない方がいいんですよ。さもないと、反動で他がとばっちりを食う」
「またしてもわからんことをっ」
苛ついた石田氏が、拳銃をベルトに挟み、今度は自ら走ってきた。
「なんだ、結局は警告のみですか? 僕を撃つとどうなるか、興味深かったのに。案外、不慮の事故で『貴方が』死んだりしたかも」
「ほざけ! 武器なんざなくても、ひょろひょろのガキをぶん殴るくらい簡単だっ」
確かに拳を振り上げるフリはしたが、石田氏はなかなか狡猾だった。
殴ると見せかけ、寸前で僕の襟元を掴もうとした。多分、大昔に警察学校で習わされた、柔道の投げ技でも使う気だったのだろう。
小癪なガキをひっ捕まえて叩きつけ、溜飲(りゅういん)を下げようというわけだ。
どのみち、少し手前で勝手に蹴躓いて、俯せに倒れたが。
……しかも、わざわざ大きな石ころが落ちてる場所でドベッと盛大に前のめりに倒れたものだから、胸を強く打ったらしい。
派手な呻き声を上げていた。
「ぐぅううう……く、くそっ。ぐ、偶然だ……こんなの」
「もう、お開きにしましょう」
睨んでまた起き上がろうとしたので、僕は右手を前に出して、少し下げるような素振りをした。特に考えがあってやったわけじゃないし、これで彼がどういう反応を見せるかも予想はしていなかったが――。
石田氏本人がびっくりするほど素直に反応し、僕の手の動きに従って、またべしゃっと尻餅をついた。
「じょ……冗談だろう。なんでだ?」
自分で驚いていて、世話がない。
「いや、僕に訊かれても」
「八神君っ」
ルナが駆け寄ってきて、僕の腕にしがみつく。
心底ほっとしたことに、今の得体の知れない現象に怖じ気付いた様子はなく、ただひたすら嬉しそうに破顔していた。
プラス、だいぶ尊敬の眼差しで見てくれて、あちこち痒くなる。
……絶対ルナは勘違いしていると思うし、そんないいものじゃないのに。
「このくらいにしておきましょう。貴方に、僕を撃つ度胸まではないとわかったし、もう飽きました。だいたい、さっきも言ったけど、僕は気分を荒立てない方がいいんですよ。冗談ごとじゃなくて、本気でそう思ってます。だからいつも、あえてポーカーフェイスでして」
説明しつつ、尻餅ついた男を見下ろす。
「例えば僕が、貴方みたいに簡単にマジ切れしてですね――」
大きく息を吸い込み、一瞬だけ怒りを解放してやる。いつも平静保ってると、僕ですらストレス溜まるし。
「おい、このクソ悪徳警察官があっ。調子こいてっと、しまいにはぶっ殺すぞ!! 俺がいつまでも、ヘラヘラ笑って見過ごすと思ってんじゃねええええええっ」
盛大に喚いた瞬間、しがみついていたルナが「きゃっ」と声に出し、そしてふいに暴風が吹き荒れた。それはもう、嘘のように忽然と……いつものことだが。
さらに人の気配もないのに、バンバンバーーーーンッ! と三度続けて遠くの倉庫の方で音がした。多分、シャッターに何か当たったのだろう。
ああ、まずいな。これ以上は天変地異になりかねない。
万一、これ以上抑制が弾け飛んだ日には、大量の死者が出てしまう。
たかが石田氏のために、そこまでするのはやり過ぎだ。
「……なんて僕が喚くと、これこの通り、本当によくないことが起きるわけです、ええ」
深呼吸して、元の穏やかな自分を取り戻す。
ついでに夜空を見上げ、「あ、ちなみにそこにへたり込んだままだと、貴方、三秒後に死にますよ」と警告もしてやる。
まだ、この元刑事に利用価値があると思いたい。
警告され、呆けたように上を見た石田氏が、「うわっ」と叫んで転がった。
ギリギリ回避が間に合った感じだ。
その直後、どこかから飛んで来た質屋の電柱看板が、石田氏が今の今まで座っていた場所にゴワァアアンッと盛大な音を立てて(看板の角から)地面に落ち、グシャッと曲がって裏返しになった。
「む、惜しかったなー」
僕が感想を述べると同時に、奇妙な暴風もぴたっと収まった。
「……怖くなかった?」
石田氏は無視でルナに気を遣うと、さすがは歴戦のヴァンパイアである。
すぐに首を振り、「素敵だったわっ」と言ってくれた。いやだから、そういう類いのものじゃないというのに。
とにかく、これでようやく倉庫の鍵を開けて中へ入ることができた。
ただしその前に、石田氏に自分が撃った弾丸を回収するようにルナが命じて。またしても新たにイビルアイにかけられたので、またしばらくは保つだろう。
親父の代からやってる、うちの貸し倉庫は二階建てであり、全体の入り口と、それから各部屋のロックとで、二重の施錠が出来る仕組みになっている。
一階も二階も、本来は幾つもの部屋に分かれていて、本来は大勢が借りられるだろう。あいにく今は、僕が自分の私物を一階の奥に置いてあるだけだけど。
その部屋が六畳間相当で、一番広い。
ロックを解除して中へ入ると、自動で電灯がついた。
ソファーと段ボールの山、それに学校で使うような机が一つだけポツンと置いてある。
僕が鞄から、採取したルナの血液を入れた小瓶を取り出すと、本人が寄ってきてストレートに尋ねた。
「……上手く行くと思う?」
「行かない場合は、オーソドックスな方法でやるしかないね。その場合、女性中心で行こう」
「そうね、そうするしかない……か。ハンターが全滅したとは限らないものね」
「そう。本当に全滅していると確信できるまで、安心しちゃ駄目だ」
僕が言い聞かせている間に、股の下でテニスボールでも挟んでいるような、ひどく微妙な歩き方で、石田氏が入ってきた。
手足がぷるぷる震えているのは、殊勝にもまたイビルアイに抵抗しているのだろう。
懲りない人である。
「ヤケに早かったけど、ちゃんと空薬莢と弾を回収しました?」
「空に飛ばした一発以外は、ちゃんと掘り出して拾ったっ」
むっとして石田氏が言い返す。
「俺だって、後でそうしようと思って、着弾した地面は覚えていたんだ」
……一発が行方不明なら、同じことなんだけど、まあいい。どうせそのことで面倒が起きても、おそらく石田氏が困るだけだ。
なにやら気味悪そうな目で僕を横目で見ていた彼は、やがて倉庫内を見渡して、眉をひそめた。
「ソファーやら段ボールはいいとして、学校で使うような、このショボい机はなんだ?」
「貴方の座る席ですよ。早速始めるから、腰掛けてください」
「俺はソファーじゃないのかよ」
文句を言いつつも、大人しくどさっとスチール製の椅子に腰掛ける。
盛大に倒れたもので、節々が痛むのだろう。
「ちなみに、もし僕の実験が上手く行かず、なおかつ事後に貴方の聞き分けが悪いようだと、そこで自分の遺書を書いてもらいますから」
「……は?」
途中まで聞き流していたのか、石田氏がぎょっとしたように座り治した。
「おい、そういう脅しはやめてくれっ」
「いや、今日は本音しか口にしてないですよ、まだ。実際僕の中では、『被験者が世を儚んで自殺コース』という選択肢も、ちゃんと考慮されています」
しれっと言い返しつつ、机の上に、ルナの血液入りの小瓶とか、ペットボトルの水とか、小さなコップとか、注射器とかを並べていく。
ぞっとする目つきで見ていた石田氏が、嫌な予感に捕らわれたのか、「ま、待てっ」と声に出した。
「また抵抗するなら、無駄だと――」
「いやそうじゃなくてっ。さっきのあのヤバい現象はなんだっ。それを先に説明してくれっ。場合によっちゃ、もう全面降伏して、おまえに協力するからよっ。俺だって、無駄な抵抗した挙げ句、質屋の看板に頭割られたくねーやっ」
「わー、だいぶ殊勝な発言するようになりましたね。……でも、本当に知りたいんですか? 怪しい時間稼ぎじゃなくて?」
「違うっ。真面目に知りたいんだって。こう見えて俺は、好奇心が強いんだ」
「……実は、わたしも知りたいわ」
遠慮がちにルナが口を挟む。
茄子(なすび)みたいに真っ青な石田氏と違い、こちらは随分とわくわく顔だった。
「そうだな……あれだけ見たら、不気味に思えるかもしれないしね」
僕は少し考えて、肩をすくめた。
説明したところで、ルナが僕のめんどくさい能力についてぺらぺら話して回るとは思えないし、石田氏には口止めしておけばいい。
それ以前に、彼はこの後で自殺する可能性もあることだし。
僕は壁にもたれて腕組みし、隣に寄り添ったルナを見た。
「そんなに気になるなら説明するけど、くどいようだけど、あまり期待しない方がいいよ。メリットとデメリットが極端だから」
彼女にはそう断り、まずはデメリットから強調することにした。
メリットだけ説明すると、ひどく魅力的に思われるだろうから。
「ジェイコブズの『猿の手』って読んだことあります? 童話が元ネタになっていると思われる、有名な短編なんですけど」
ルナが読んだことがあるわけないので、僕は駄目元で石田氏に訊いてみた。
すると彼は、驚いたことに「読んだことあるさ。願いを叶えてはくれるけど、代わりにきっつい代償を要求するっていう、気味悪いアイテムの話だろ?」と即答した。
「ご存じでしたか。そう、そのアイテムが猿の手です。ミイラ化した気味悪いしなびた手ですけど、三度まで持ち主の願いを叶える効果がある」
知っているなら、話は早い。
「いちいちここで全部解説はしないけど、例えばふざけ半分で多少の金を望むと、望んだ人の息子が工場で機械に巻き込まれて亡くなり、見舞金が入ったりする。……それも、自分が猿の手に望んだ金額、ぴったりの額で。こんな調子で、必ず望みは叶うけれど、同時に願いごとの代償をもぎ取るかのように、持ち主に悲劇が起きる。望みは叶えられるけど、決して期待通りにはいかない」
「その例はおかしいだろ」
石田氏は盛大に顔をしかめた。
「さっきひどい目にあったのは俺一人で、八神、おまえは特になにもなかっただろうが」
「先走らないでください。あの有名な短編を持ち出したのは、僕の能力における反動が、多少、あの話と似ているからです。しかし、あくまで似ているだけで、その規模と根幹がまるで違う。共通しているのは、時に反動で、ろくでもないことが起きるところのみです。とはいえ、めんどくさいことに、それは毎回じゃない。僕の場合、完全にケースバイケースでしてね。さっきのような場合だと、特になんのデメリットもない。僕とやりあって怪我したり死んだりするのは、石田さんのみです。僕は終始安全なんですね、これが」
「……なんで俺だけ大損ぶっこいて、おまえは平気なんだ?」
むちゃくちゃ不満そうに石田氏が言ってくれた。
「後から、それも説明しますよ。まだデメリットの方の説明が終わってませんから。これを教えておかないと、石田氏はおそらく、僕にいろいろ頼みかねませんからね」
宥めるように言い聞かせ、僕は話を続けた。
「あの小説と違う点はまだあって、僕には特に謎のアイテムなんかいらない。しかも、猿の手は三度しか願いを叶えませんが、僕の能力だと無限に僕の望みを叶え続ける。もちろん、僕が漠然と突き止めたルールは存在しますが」
一拍置いてルナと石田氏を見比べたが、ルナは引き込まれたように僕を見つめていて、石田氏は「おまえだけずるいだろうがっ」と愚にも付かない文句をブツブツ呟いている。
まあ、だいたい予想通りだが……意外にも、二人とも、特に僕の話を疑っている様子はない。つい十分前に、偶然とは思えない現象を見たからかもしれない。
「もう一つ例を……こっちの方がより大事です。杞憂って言葉があるじゃないですか? 昔の中国の人が、天が落ちてくるのを心配したって逸話。まあ、取り越し苦労のことですね、簡単に言うと。有り得ないことを心配してしまうと」
そこで余計なことを考えそうになって、僕は素早く意識を逸らせた。
お陰様で、このやり方もだいぶ慣れている。
「……ところがです、仮に僕自身がその逸話の人物だとしたら、絶対に――いいですか、絶対に無事には終わらないんですよ。取り越し苦労では決して終わらないし、有り得ないことがいとも簡単に具現化する」
ここが大事なので、二人がちゃんと聞いているか確かめた。
「僕の能力は、僕自身の望みも叶えてくれる時があるけど、逆に、僕の心配事もそのまま具現化するんです。全く真逆に能力が働いてしまう。そうなってくれるなと思ったことが、即座に実現してしまう。望みを叶えるのと同じくらい速やかに……あるいは、それ以上素早くね」
反応を窺うと、二人揃って目を瞬き、しばらく考えた後――。
石田氏が、柄にもなく遠慮がちに言った。
「いや……よくわからんのだが?」
「じゃあ、わかりやすく言い換えましょう」
僕はもう、ずばっと教えてやることにした。信じる信じないは、この二人に任せよう。
「仮に今、僕が真剣に闇を望めば、明日の太陽はもう昇らない。同じことを真面目に心配しても、やっぱり明日の太陽は昇らない。ずばり説明すると、そういうことです。そして人間ってのは、余計な心配をする生き物で、僕もその例に洩れないんですよ」
そこで僕が二人の様子を窺うと、ルナは驚いてはいたが、「そういえば、元の世界でも、大陸一の魔道士が八神君と似た能力を持っていたわ。全然、レベルが違うけど」などと、感慨深そうに呟いていた。
僕が見ているのに気付き、「あ、レベルが違うっていうのは、向こうが断然能力が弱いけどっていう意味よ」とわざわざ教えてくれた。
僕は「そちらの世界へ飛ぶ必要性が生じたら、注意すべきかもね」とのみ答え、石田氏を見る。彼は――なんというか、ひどく複雑な顔をしていた。
地獄の存在を確信しているが、可能なら信じたくない……例えて言えば、そんな表情である。
「今の、わけわからん『元の世界』とやらの会話もたいがい気になるが……しかし、それよりおまえの能力の方が大問題だな。嘘つけガキがーと言いたいところだが、嫌過ぎることに、多分、おまえは本当のことを話したんだろう。さすがに、明日太陽が昇らないってのは、有り得んだろうとは思うが」
しかめっ面全開で言ってくれた。
「いや、そう簡単に『有り得んだろうとは思うが』なんて決めつけない方がいいですよ。僕は、これまでの経験則で推測してますし、自信もあります。むしろ、自信あるからこそ、本気で願うとまずい。実際、僕はこの難儀な力を、エンド・オブ・ザ・ワールドと呼んでいるんです。……扱いをしくじれば、この世界は本当に終わる」
「けっ、聞かなきゃよかったぜ」
石田氏は、随分と情けなさそうな顔になった。
「とんでもねー奴にひっ捕まったもんだ。となると、俺に逃げ道なんざないな……実験がどうのが終わったところで、引き続き、ロクでもないことをやらされるわけか」
「いやいや、やってもらうことはその都度ちゃんと教えますし、わけもわかりますよ。実験が成功すれば、貴方にも全部説明しますから。それを信じるかどうかは、また別ですけどね」
そこで僕は思いつき、軽く膝を打った。
「とはいえ、貴方のやる気が激減したままなのも困りますね。実験が成功しても、嫌々働いてほしくないですし。……指示を出す度に、成功報酬を出すというのはいかが?」
ルナが「えー、こいつにお金だすの?」と言わんばかりの顔を見せたが、僕は気付かない振りをした。人間、やる気ってのは結構重要なのである。
普通は誰だって、無報酬で他人のために動きたくあるまい……多分、使徒になっても。
「報酬っていくらだ?」
石田氏は、質屋の主人が客を値踏みするような目つきをした。
「貴方の望みは?」
「……おまえ、そんな大金持ちなのか」
「前に、能力の練習のつもりで、即物的に現金を望んだことがあるんですよ。僕の場合、そういう悪徳の望みは叶いやすいんです。だから多分、貴方が想像するよりはお金持ちだと思いますね」
「ぬうっ」
これは本気らしいと思ったのか、石田氏はにわかに表情を改めた。
「俺に望むのは、情報収集か? 手に余るようなことじゃないだろうな」
「情報収集は、まさにメインですねぇ。正解です。あと、無理な指示は出しませんから」
「そうか……よ、よし、では指示されるごとに、二十万では?」
「……意外と望みが低いですね。じゃ、二十万で」
「ま、待てっ」
石田氏は、やたらと慌てふためいた。
「そんな簡単に出せるなら五十万っ――」
「駄目です、チャンスは一度。後は働き次第で報酬を上げますから、待ちましょう」
僕がきっぱり言い切ると、石田氏は実に情けなさそうな顔になった。
彼を嫌っているらしいルナが、声を上げて笑ったほどだ。
「ちくしょうっ。もっと考えるべきだった!」
「まあ、経費は別にしときますよ」
悲嘆ぶりが笑えたので、僕はそう付け加えてあげた。
そして、笑顔のまま無情に告げる。
「じゃ、そういうことで、いよいよ実験です。貴方の運命が、ここで決まりますね。さあ、はりきっていきましょう!」