ハンターが雪崩れ込む
文字数 5,980文字
ルナが踏ん付けられている青年を睨むのをやめ、苦笑する。
ちなみに、青年の方でも縛られたまま、ジタバタ暴れていた。
「八神君は、恐れられているのねぇ」
「人聞きの悪い。だいたい、元々僕にちょっかいかけてきたのは、向こうなんだけどね」
肩をすくめて亜矢のそばに近寄ると、ようやく彼女は僕を見た。
捕虜を見張っているのもあって、振り向きたくても我慢していたのは、さすがだ。
まあ、この子って僕の気配が読めるらしいし、不思議はないかもだが。
「よくやってくれた、亜矢。助かったよ」
こうして無事を確認したのはいいが、本来はここで「おまえ、こんなことに関わっちゃ駄目だろっ」と叱るべきだろう。しかし、僕にその資格はない。叱責するくらいなら、最初からこの子と関わらなきゃよかったのだから。
だからただ、髪を撫でて褒めてあげた……それにしても、髪にちょっと触れただけで、なんという魅惑の手触り!
「……いえ、最初に彼らの手に落ちてしまい、本当に申し訳ないです。守さまにご面倒をおかけするところでした」
亜矢はぽおっと僕を見つめたまま、謝罪した。
「それと、電話で申し上げたように、縛り上げたこの人の仲間が、まだ多数いるようです。ここへもやってくるかもしれません」
「うん、覚えてる。その情報も参考になった。ますます、さすがだ」
「いえ……先程申し上げたように、先に捕まってますから」
とろんと僕を見つめたまま、もごもごと言った。
ああ、いつもの桜井亜矢だ。
「いやいや。結果的に自力脱出して、逆に敵を捕虜にしたんだから、仮に失点があったとしても、もう大逆転さ」
「……ありがとうございます、守さま」
その潤んだ瞳で見るの、やめて欲しいな。
少女漫画的な大きな瞳ってのは、実際には有り得ない。だけどこの子の場合、小顔のせいか、印象はマジでそんな感じだし、今やモデル体型のアイドルだからな。
僕が勘違いして「結婚して」とか口走ったら、どうするんだ。しかもこの子、即答で「はい」とか答えそうだし。
そのあたりでルナの笑顔が消えたので、僕は我に返った。
「ところで、さま付けはよそうってことで落ち着いたろ?」
「あの……それですが」
亜矢がふいに辛そうな顔で僕を見た。
「クラスメイトのいないところでは、許可して頂けませんか? 守さんと呼ぶと、なんだか胸が苦しいんです……自分が、とても不敬でひどいことをしている気がして」
「ふ、不敬だぁ?」
落ち込んでいた石田氏が、思わずといった感じで口を挟んだ。
「最初に言っておきますが、誤解しないでくださいね」
返事を保留して、僕は石田氏に釘を刺した。
ルナの重苦しい沈黙も気になるが、理解してくれていると思いたい。
「主従関係じゃないですよ。亜矢はただ……ちょっと人と違う目で僕を見ているだけです」
「どうかな? 実際おまえが人と違うのは確かだが」
「八神君にも、わたしと話すのと同じ態度で接しなさいと言ったでしょう?」
ルナが低い声で警告し、石田氏がてきめんに項垂(うなだ)れた。
ヴァンパイアの使徒原則第一条、使徒は主人に逆らえない。
「すまなかった……です」
しおたれた声でわびを入れてくれた。
いかん、いま噴き出しそうになったぞっ。
「い、いいですって。指示には従ってもらいますけど、僕へは普段通りでいいですよ。貴方が常に最優先すべきは、ルナです」
そこまで話したところで――祭壇前の長椅子の陰に伏せた馬鹿が、叫んで寄越した。
「なるほど、実に貴様らしいな、化け物っ。ヴァンパイアを保護した挙げ句、いたいけな少女を己好みに作り替えて、汚したのかねっ」
「……あんたは、インチキ週刊誌の暴露記事並に節操がないな」
僕は綺麗さっぱり笑顔を消して、通路を前へ進む。
片手をポケットに突っ込んでいるくらいで、特に警戒はしていない。
「人を非難するなら、まずそこを出て僕の目の前にたったらいかが? それとも、またお得意の能力で、言うだけ言ってトンヅラする気ですか?」
「こちらには武器があるっ」
やや慌てたような声が口走った。
「そりゃあるでしょうとも。だから、どうかしましたか?」
言い返したのみで、僕は立ち止まりすらしない。
「わからないのかっ。下手に近付くと撃ちまくるぞ! おまえはともかく、他の者は無事では済むまいっ」
「あ、勝てそうもないからって、そういう卑怯な手段に出ますか? これまた、相変わらずですね」
僕は振り向き、冷静に指示した。
「亜矢、捕虜はルナに任せて、近くの長椅子の陰に隠れてくれ」
「わかりました!」
僕の言うことに疑問を持たない亜矢は、質問も意見もすることなく、たちまち言われた通りにささっと隠れてくれた。
縛られた青年がここぞばかり転がって逃げようとしたが、あいにく代わりにルナが素早く踏んづけた。
「どこへ行くの、どこへ? おまえの目当てはわたしなんでしょう?」
見目麗しいセーラー服の美少女達に交代で踏まれるとか、なんと幸せな。
……冗談はさておき、これであっちはあっちでなんとかしてくれるだろう。
「さ、神父さん。そんなに撃ちたいなら、もういいですよ。どうぞ、出てきて弾が続く限り、好きなだけ撃ちまくってください。ここは周囲に住宅もないから音も届きにくいし、後はもう、撃たれても平気な者しか残ってませんし」
「いや、待て待てっ。俺はよっ。忘れてくれるな!」
石田氏が喚いて寄越したが、振り向くまでもなく、ルナがしれっと指摘してくれた。
「馬鹿ね。あなたはもうわたしの使徒だから、銃弾なんか効かないわよ。わたしが死ぬまでは無事ってこと。よかったわね」
「マスターであるあんたが死んだら?」
「誰があんたよっ。……わたしが死んだら、その瞬間にあなたも死ぬに決まってるでしょっ。それが使徒ってもの」
ルナはずばっと宣告した。
これぞまさに、一蓮托生というヤツだろう。
「マ、マジかっ。いや、マジですかっ。うああああ」
いかん、悲嘆に暮れた石田氏の声に、また笑いそうになった。
「悲観しなくてもいいじゃないですか。いずれ僕だって同じ道を歩むかもだし」
僕はニヤけつつ、再び前進を再開した。
「ところで、肝心のインチキ神父! 今の貴方のお名前は? もう立花とは名乗ってないんでしょうね? どうせそっちも偽名だったけど。……そうだな、真っ黒の服だから、カラス神父とかにしときますか。今だけの仮名で」
「ふざけるなっ」
僕の接近を阻止できないと悟ったのか、あるいは仮名のカラス神父にむかついたのか、ようやくインチキ神父が立ち上がった。
こちらは、ハンターの持つ武器ではなく、普通に自動拳銃など構えていた。
「いつも貴様の思い通りになるとは限らんぞっ、八神っ」
「いや、いつも思い通りになるなんて、考えたこともないですね」
立ち止まった僕は、平然と言い返す。
「僕の場合は、相手によっては、敗北がないってだけのことです。なぜなら、小悪党は巨悪には決して勝てない――多分、そういうルールなんでしょうよ、世の中は。貴方は最初から、僕に手を出すべきじゃなかった」
「私が小悪党だというのかっ」
「お、俺がおまえに手も足もでなかった理由って、それかっ」
憤然とした神父の声と、素っ頓狂な石田氏の声が重なった。
「あー、そういえば説明すると言いつつ、どうして貴方に勝つチャンスが皆無なのか、ちゃんと説明してませんでしたね」
仮名カラス神父にではなく、背後の石田氏に向けて僕は語った。
「まあ、ほとんど今のが答えも同然なんですが、詳しいことはこのゴタゴタが済んでからにしてくれません? のんびりしてる時間もないことだし」
「いやしかし、おまえは前も同じことを言ってそれっきり」
「いいから、黙りなさいっ」
しつこい石田氏を、ルナが止めてくれた。
「八神君の邪魔になるでしょう!」
「……あ、はい」
「くっ」
いかん、石田氏のしゅんとした声を聞く度に、いちいち笑いが込み上げてしまう。
僕はこんな笑い上戸じゃなかったんだがな。
「あいつが使徒にされているのも、どうせおまえの差し金だろう、八神。他人の不幸がそんなに楽しいか?」
僕の笑みを見て、神父が嫌みを言ってくれた。
「貴方に言われたくないですけどね」
お陰で、笑いが引っ込んだな。
「三年前に貴方が起こした馬鹿騒ぎのせいで、親父は死ぬわ、うちの家庭はぶっ壊れるわで、散々迷惑したんですが」
途端に、神父が底意地悪そうに目を細める。
「確かに使命感からおまえを糾弾して事件を起こしたのは私だが、父親が死んだのは――」
僕はロクに聞かずに、壁側にある小さな入り口の方をちらっと見て、「あっ」と声に出した。
「――むっ」
よし、見事に引っかかってくれた。
向こうが妙に嬉しそうな顔でそちらを見ようとした隙に、僕は背中側のベルトに突っ込んであった銃をさっと抜いた。
ついさっき、石田氏から取り上げたベレッタM950である。
石田氏が先に撃っているが、まだ弾は数発ほど残っているはず。
「ま、待て!」
気配を察して向き直った彼は、銃を構えた僕を見て、たちまち喚いた……自分だって、ゴツそうな自動拳銃を構えているくせに。
めんどくさいから、このまま弾が尽きるまで撃ちまくるか?
しかし、彼には「シャッフル」という名のふざけた切り札がある。自分が逃げるのに特化した力だが、どうしてどうして、僕から見てもかなりやっかいな力なのだ。
というのも、僕の能力には遠く及ばないにせよ、シャッフルもまた、世界の因果律を改変し、この世の大きな流れを強制的に「曲げて」しまう力だからだ。
発動条件はきっちり定まっているが、かなりやっかいである。
「この期に及んで、話し合いの余地もないでしょう。僕が死ぬか、貴方が死ぬかです……まあ、僕が死ぬことは有り得ませんけどね」
言いつつ、僕はこっそり接近していく。
かなり近付いているけど、まだ望む場所に当てるほどの距離じゃない……別に僕は銃の玄人というわけじゃないし。
今は、確実に頭に当てて、即死させたい。下手に一発で死ななかった場合、神父が自殺を試み、彼お得意の「シャッフル」が発動してしまう。
「そこから動くなと言ったぞ!」
ドンドンッと連続で銃声が響き、一発は僕の頬の(多分)すぐそばを掠め、もう一発は頭髪を何本か持っていった。石田氏の銃とは違い、耳鳴りがするほどの風切り音がした。
しかし、肉体には掠りもしない。
もっとも、背後ではルナが叫んでいたし、石田氏もなにか喚いていたが。
「さっき、教えてあげたでしょうに! 貴方じゃ僕を殺すのは無理だっ。巨悪を倒したいなら、同じく巨悪でないとねえっ。しょっぱい正義の味方ならともかく、本物の巨悪なんて、今の世にいるかどうか知りませんがっ」
そこで僕は大股で彼に接近していく。
その間もこいつは何度か撃ち、さらに一発が僕の身体を掠めた。全てが至近距離か、あるいは服を掠めているのに、一発として命中しない。
「チェックメイトだ、インチキ神父っ」
ようやく必中距離と言えるほどの至近に迫り、僕はこいつの頭にまっすぐ銃を向けた。
さすがに、この距離なら当たるだろうっ。
「はっは! 仮に地獄が実在するなら、貴方の席はとうに約束されていることでしょうよっ」
笑顔で罵声を浴びせ、引き金を引いた。
次の瞬間、「よしっ、今回は倒した!」と思った。
というのも、神父は寸前で逃げようとしていたが、それでも頭部から大量に鮮血が飛び散り、派手に後ろへ倒れたからだ。
しかし、銃口を下げようとしたその時、神父が脇へ転がり、またしても長椅子の陰に隠れようとした。
どうも、今の一発は側頭部をやや抉(えぐ)っただけに終わっただけらしい。
「なんて悪運が強いんですか、あんたはっ」
駆け出した僕は、すぐに先頭に置かれた長椅子の前に回り込み、今、まさに自分の口に銃口を突っ込んだ神父を見つけた。
「またシャッフルで逃げるつもりですかっ。往生際が悪すぎる!」
僕は狙いを付ける暇すら惜しみ、銃口を向けてガンガン撃ちまくってやった。
一発は倒れた神父の太股に当たり、もう一発は額を掠めて、またぱっと血が飛び散った。しかし、致命傷ではない。
まだ引き金を引こうとしている。
しかも、この肝心な瞬間にルナが叫ぶ声がした。
「八神君、誰かの足音がするわっ」
「なにっ」
さすがに、僕の注意が削がれた。
気のせいではない証拠に、今や僕の耳にも外の靴音が聞こえる。すぐに壁際の小さなドアが開き、三名ほどの男達が駆け込んできた。
全員、金髪碧眼の異人さんであり、捕虜にとった青年と外見が似てる。
これはもしかして――
「ハンターっ!」
嫌悪感まみれのルナの声が届き、僕の推測を裏付けてくれた。
当然、棒立ちの彼らもルナを認めて叫んだ。
「――っ! 貴様はっ」
「ええい、ややこしい時にっ」
一旦そちらを放置し、僕はしつこく銃口を神父に向け直したが……むかつくことに、神父はちょうど自殺を決行したところだった。
口に突っ込んだ銃の引き金を引き、頭部がガクンと仰け反った。
「……あ~あ」
がっかりした僕は、銃を下ろしてため息をつく。
死んだ後の神父の顔が、やけに満足そうなのも、むかつく原因だ。引き金を引いた瞬間、己が逃れ得たことを確信したのだろう。
「本気で悪運強いな、この人……」
あるいはこれは彼の悪運などではなく、僕の能力が逆転した結果かもしれないが。
以前、一度逃げられているだけに、「今回こそはっ」と意気込んだのが、裏目に出たらしい。己の選択にちょっとでも疑いを持つと、このザマだ。
「おい、おまえっ」
後から入ってきたうちの一人が、僕とルナを交互に睨んで喚いた。
「まさかおまえもあのヴァンパイアの――」
途中で、不自然に語尾が消えた。
「ああ、はいはい。もう何を言われても遅いです……神父のシャッフルが発動しちゃいましたから」
僕が投げやりに手を振るうちにも、彼らの姿は徐々に薄れ、完全に消えてしまった。
もちろん、死んだはずの神父の身体も。