第1話
文字数 3,589文字
夜の波打ち際とでも呼べそうな場所で、油断なく身構えていた。
第三の眼と同じく異相である二対の腕には、剣と槍、槌と斧が握られている。
頭部以外は地肌がほぼ見えない、完全な重武装。
(終わった――? ……いや、まだだ――来る!!)
勘は外れなかった。
目の前で空間が歪み、自身を軽々と一
そして、問答無用とばかりに襲い掛かってきた。
(何匹目だ、これで――!?)
内心で愚痴りはしたが、数える事には重心が無い。
なぜなら、覚えていない。覚えておくつもりがない。
今までに撃破した敵の数は100万や200万ではきかないからだ。
頭部と頸部だけで構成された有機物とも無機物ともつかない巨大な首が、生え揃っていた巨大な牙を銃弾のように吐き出す。
「……っ!」
掠っただけで即死。そんな威力があるのはとっくに承知していた。
「はっ、その程度か! その程度で俺が獲れると思うなら――くたばるのは、貴様だっ!!」
牙の砲弾を防ぐ壁のように歪んだ空間から光の柱が撃ち出され、異形の頭部を直撃する。
一瞬で根元まで破壊されて、消失した。
「……はあ、はあ、はあ……」
(終わりか!? それともまだ、増援が――)
油断なく、周囲に気を配る。
どれだけ身構えていただろうか。音すらろくに無い空間で、男はようやく構えを解いた。
そこへ。
「よう、お疲れさん」
いきなり、親し気に声を掛けて来る男が現われた。
「――――」
額の眼と二対の腕は魔族にのみ許された異相。目の前の男は、同族。
だが。
「どうしたよ?」
気を許すどころか顔を硬くした男に、新しく現れた男は笑いかけた。
「……くたばった、と聞いていたが――
笑顔が拍子抜けしたように歪んだ。
「なんだ、バレてたのか――」
そして、悪意が加わる。
「だったら、解ってるだろう? もう、俺は昨日までの俺じゃない! お前達全てを呑み下せる力と
「寝言は、寝てからにしろ――!!」
疲れ果てていた。このまま、気絶したいほど。
だが、食われるわけにはいかない。
それでは意味が無い。全てを捨てた意味が無い。幾人もの先達を、後続達の死を看取ってまで戦い続けた意味が無い――!
残してきた者の為にも、戦い続け、勝ち続けなければ――。
己の内から力を呼び覚まし、練り上げて、敵に最適な武具に変えていく。
敵には増援が在る。無尽蔵と言ってもいい戦力が控えている。けれど、男には無い。男が最後の一人だ。
ただ、戦場は此処のみではなく、基地と呼べる場所も他に在る。
だが、救けを求めることは出来なかった。
ギリギリのところで戦っているのは、男だけではない。皆同じだ。そもそも、そんなことをしている暇自体が無い。
食われたくなかったら、護り続けたかったら、生き続けていたかったら――――
殺せ。
戦い続けろ。
泣き言を言う間に剣を
それ以外に
此処は――戦場だ。支えも、寄る辺も、何一つ無い。
弱音など吐ける暇が有るのなら、一匹でも多くの敵を
けれど、今日は何時になく疲弊していた。
もしかしたら、狙われたのかもしれない。この戦場で最古参になる男を食らおうと、手ぐすねを引かれたのかもしれない。
しかし。
今日に限っては、余計な割り込みがあった。
「――――!!」
世界が一瞬で光の乱舞に染め上げられた。
不意を打たれた、と死を覚悟した。盟約を果せずに力尽きた
不毛以外の言葉では形容できない戦いを何万年も戦い抜いた。最後まで、戦い続けたかった――。
「……あのう、感傷的になっているところ、大変申し訳ないのですが――」
妙に緊迫感に欠けた、しかし、男の声に、割り込んできたものの正体を悟る。
「まさか、……
男は愕然と呟いていた。
視力が戻った世界はモノクロで
刻……それは、盟約が果たされた瞬間。男が不毛な戦場で戦い続ける唯一の理由にして、たった一つの褒賞を手にする時間。ずっと、待ち望んでいたもの。焦がれ続けていたもの。
「ええーと……、どう言ったらいいかなあ……?」
今さら言葉を選ぶ他人行儀に、男は失望を覚えた。
待ち望んでいたのは、この果ても切りも存在しない戦場に自身を送り込んでくれたモノ。
あらゆる感情を叩きつけて尚足りない、この世でたった一つの
目の前のそれは……違う。男の知るそれとは違う。
悪びれられる筋合いは在っても、他人のように遠慮される義理は無い。
「失せろ。お前に用は無い」
「ええーっ、そんな言い方は――!」
「……お前、俺を此処に送り込んでくれた奴じゃないだろう!」
「うっ。…………御名答、だけど。でも、助けてあげたんだよ? 話ぐらい聞いてくれても!」
「仲間は今も戦い続けている!! [停止]を解け!!」
世界をモノクロに塗り替えた犯人――握り
ところが。
半泣きめいた気配が好奇心を漂わせ始めた。一体、何が
「……へえ……、結構、硬いんだねえ。でも、それは俺の用事が済んでからだね。ちなみに、これ大技だからね。〈界〉の中でならまだいざ知らず、此処で此処までの真似が出来るのは――」
目線の高さに固定されていた光の球が、ふよふよ、男の周囲を適当に漂い始める。
自慢話の終わりは見えそうになかった。
(……これだから、神という奴は――!)
マイペースにも程が在る上、人相すら存在しない光の球のくせして、万華鏡のように細かく印象が変わっていく。
聞き分けの無い子供が
掴み所も、捉え所も無い変な所だけ奴とあまりにそっくりで、妙に腹が立った。
「失せろ!」
「やーだもん。大魔王の
苛立ちを殺気に変えて、解らせる意味も込めて叩きつけた。
「……押し通る! 殺してでもな」
剣閃が光の球を両断する――とはならなかった。
外したはずはないのに、光の球は目の前にある。
「んもう! 伝言だって持ってきたのにー!」
驚きを表すようにふるふると震え、腹立ちを表すようにぽんぽんと跳ねる。
それを早く言え!! そう怒鳴りつけてやりたかったが――。
「……ほんと、聞いてた通りの気性だねえ……」
そして、光の球は勝手に男の頭頂に陣取った。
「心配しないで大丈夫よ? ぜーんぶ時間が止まってるからね!」
「やかましい。さっさと伝言を伝えろ」
引き剥がそうと頭を
「えー、話ぐらいしようよー」
虹に光る球体が転がるような動きで肩に降りて来る。
「断る。二君は持たない主義だ」
「わあお! スカウトしたくなるくらい素敵ー! でもね、慌てる乞食は
「……おい!」
呑気さに釘を刺そうとした次の瞬間。
停止空間にひびが入る音を聞いてしまった。
「何っ(不味い! 今の俺ではこいつを護れない!!)?!」
[停止]が砕かれる。モノクロに染め上げられた世界が粉々になっていく。
しかし、肩から聞こえたため気は何処までも呑気だった。
「……っとに、もう!」
そして、一瞬で豹変した。
「水を差そうなど――万年は早い!」
襲い掛かろうとしていた敵を、虹色の
「――――」
たったそれだけで崩れて塵になり、水に溶かされるように消えていく。
呆気なさ過ぎる決着だった。
「牙を剥こうなど、とんだ身の程知らず。姿形を得た程度で、よくぞそこまで
感情を感じさせない平板な口調。
傲慢な台詞なのに、単純な事実を語るような
そして、恩人になるのだろう…………一応。
少しだけ、妥協してもいい気分になっていた。
「伝言が先だ。話にも、少しでいいなら、付き合ってやる」
「――ん? 本当?! いいの!?」
一瞬で得体の知れない深沈さが、世間知らずの呑気に取って代わる。
それだけでもため息ものだったのに。
「――あ。ちょっと待っててね。今、
段取りの悪さに、ため息が抑えきれなくなる。
しかし、一瞬で虹色の光芒が氾濫し、世界を再び無限の色彩の中に消し去ってしまった。
「――――」
別「神」だとは解っている。
それでも。
世界を一方的に塗り替えていく虹の輝きは、あの日あの時のままと思えるほど変わらなかった――。