第2話
文字数 4,957文字
森を鮮やかに染め上げる虹色の
伝え聞く”神の
どう答えればいいのか、そもそも答えていいものなのかどうか。
魔族と神は大概において不仲だ、とされる。青年もそう
しかし、戸惑ううちに呼子は消えてしまい、元通りの、変哲もない森が戻ってきた。
「何だよ、一体……!」
悪態をついて、呼子が生まれた場所に背を向けた。
狙いを外さないという”神の呼子”が、何故、目の前で発生したのか。
そんな事は考えたくもなかった。森を一直線に突っ切る。
「ぎゃああああっ!!」
足を止めるに十分な絶叫が聞こえたのは、どんな巡り合わせだったのか。
魔族に従わない魔物も少なくない森である。慌てて、悲鳴の発生源を突き止めにいけば――。
「……へ、へるぷ……みい……」
広場のように拓けた場所の真ん中で、
目に見えない何かを掴むように伸ばされた手の延長線上に、魔族の青年が居る。
『ぬわーにが、……へ、へるぷ……みい……、だ!! 貴様なんぞに救いなど無用! 使い古された雑巾よりも
「……ん、んだとう……、このっ」
わなわなと震える男の後頭部に、珍妙な生き物の飛び蹴りが命中した。
男は地面に顔面から激突させられる。
何故、珍妙なのかと言えば、それは握り
(……聞いた事無いんだよな、
だしだし、と音を立てるように偉丈夫の後頭部を踏みしだく怪生物の
『くぬっ、くぬっ! 貴様のせいで、貴様のせいで――!! 何が悲しゅうて仕事場にまで押しかけられた挙句、にこやかに凄まれにゃあならんのだ?! 俺様の、貴重な休暇を不意にしてくれおってからに――。その罪、万死に値する!!』
「し、知るか、よ――そんな事――!!」
震えながら起き上がった男が後頭部の怪生物を掴み取って、地面に叩きつける。
けれど、地面から赤い光が立ち上った直後。
「ぎゃああああっ!!」
再び偉丈夫の悲鳴が響き渡った。
『ふんっ、地獄流星七段脚、食らい足りなかったようだな!!』
宙返りからの着地を決め、敗残者の背中の上で仁王立ちのポーズを取る。
真っ黒なのに愛嬌が拭えない様は、いいのか悪いのかよく解からない。
偉丈夫が両腕で地面を
「…………ち、畜生っ、こ、の、……ば、か……お――」
すかさず、怪生物が宙を舞った。
『たあああっ!! 誰が抗弁を許したか?!』
飛び蹴り→踏みつけのコンボを決めて、頭部を地面にめり込ませる。
(――死んだんじゃないだろうな……!?)
状況に流されたように様子を窺ってしまった青年は、今、真面目に青ざめていた。
人間になど興味は無い。好意も無い。
しかし、一方的に
救けを求められたのに、救けに行けなかった後ろめたさが為す
ふと、偉丈夫の近くに生えていた小さな雑草が不自然な伸び方をして、怪生物に絡みついた。
『――む!』
「……大人しくのされてやってりゃあ、調子に乗りやがって、この、糞親父――!!」
(――はあっ!?)
青年は絶句した。
偉丈夫は確かに呼んだ。怪生物を、父、と。
と、なると――目の前の光景は
何故か、見た目通りのまともな人間じゃなかったと解った瞬間に安堵してしまう。
『……調子に、だと――?! 貴様の不行状に起因する因果だと、まだ、悟ってやがらなかったのか、この糞畜生が……!!』
雑草に絡まれた怪生物の身体が、その眼球のように赤く光った途端、草は炭になって崩れ落ちた。
「――ああ!? 俺様が何時、きっ――糞親父様に不行状を働いたよ?!」
『ほう……。知らぬ存ぜぬと白を切るなら、問い
「ああっ?! …………って、あれか――! って、チクりやがったのか、あの野郎っ!!」
途端に、地面から飛び蹴りが炸裂する。
今度は仰向けにひっくり返された偉丈夫の顔面に、掌サイズの黒いドラゴンが着地を決めた。
『馬鹿たれっ!! チクるまでもねーんだよ! あっちが
顔面の小型怪生物を
(……初耳、って顔だよな、あれ……)
「……それ、マジ……?」
『
怪生物の全身が真紅の輝きに包まれる。
見かけの小ささからは想像も出来ない程濃密で強大な魔力の波動が、離れた場所で息を潜めている魔族の青年の頬を焦がさんと
球状に膨れ上がっていた魔力が、ピタリと、時間を止められたように動きを止める。
(うわ……、超大噴火一秒前だ……)
「し、知るわけねーだろ! そんなの!!」
偉丈夫は青ざめた顔で、しかし、素晴らしい速度で後ずさりする(遠ざかってくれる方向で、青年は心底安堵した)。
そして、十分な距離を取ったと確信したのだろう。不意に立ち上がって、背を向けた。
『ざっけんな――!!!』
走り出しの一歩目を狙い澄ましたタイミングで、灼熱の魔力が解き放たれる。
背中から直撃を食らった偉丈夫は、吹き飛ぶよりも、高々と打ち上げられた。
「ぎゃああああっ!!!」
三度の絶叫、そして、無数の打撃音が炸裂した。
青年は見てしまった。偉丈夫が地面に蹴り落とされた瞬間を。
加えて、悟らされた。
どうも、十二分に手加減がされているらしい。
てっきり、死なないまでも消し炭の如く焼き尽くされた物体を拝まされるかも、と本能的に覚悟が完了していたのだ。なのに、派手なのは見た目と音量だけで、偉丈夫の地肌に増えていくのは、(軽度の)焦げ目と打撲傷ばかり。
(あれじゃあ、死にようがないよなあ……。そもそも、高高度から蹴り落とされて潰れてないんだから。……って、治療術なんてスタンバイして、何してんだ? 俺。割って入るつもりだった……のかな?)
本能的な反応とはいえ、自分の行動に愕然としてしまう。
『決まったか……地獄流星脚十四連SP! さあ……、灰になるがいい!!』
小さな怪生物の足元で、偉丈夫がわなわなと震えていた。
「たまるか……! 灰なんぞになってたまるか――!!」
しかし、
『む』
槍が命中し、網に絡め捕られて、地面に落下する。
ようやく、偉丈夫が起き上がった。
「……ざっけんな! 元はと言えば、手前の管理不行き届きじゃねーか!! なんで俺が四六時中――は、言い過ぎか。でも、事あるごとに笑ってるんだか怒ってるんだか判らない、あの無言の圧迫に
『断る!! 俺様も怖いっ!!!』
(……無傷か……。でも、網の中でふんぞり返るようなことなのかな……?)
突っこみが届いたわけではないだろうが、怪生物の一睨みで槍と網は塵に還った。
『それにな、貴様なんぞとは違って、俺様は宮仕えが忙しいのだ。貴様が、貴様で何とかするがいいっ!!』
「…………っけんな」
(だよなあ……)
『そもそも、貴様、人間だった俺様が貴様の母親と致してなかったら、今、この時、この場、この時間に存在できてねーだろーが!!
「大!! 却下!!! 養育を全部おふくろに押し付けやがったくせして、厚かましいにも程が有るわっ!!」
『――む。それを言われると弱い……気も、するなあ……。よし。罪一等減じてやろう。我が腹いせになれ』
どの辺が譲歩なのか、はっきり言わなくても、よく解らなかった。
「…………。……くそっ、泣ける! こんな、非常識にも程が在るのが親父だなんて……!! 俺も大概悪党だのなんだの
(……へえ、どっちも悪党なのか。……帰ってもいいよな、そろそろ)
親子喧嘩に水を差さぬよう、青年はそっとその場を離れた。
『けっ、泣きたきゃ泣けよ。その代わり。泣いたら最後、涙ごと灰にしてやる――縁切りだ』
「……ざっけんな、この
『……懐って……。確か、俺より二、三百歳は年上だったよな、お前』
「関係ねーだろ! 言質を取った以上、年齢差なんざ知ったこっちゃねえ!! 絶対に、親父の甲斐性を分捕ったる!!」
『……それ、俺様が人間だった頃にも言えよ……』
「うっせ! あんたが人間だった頃は、大部分の時間敵味方だったじゃねーか!」
『おう。最低のろくでなしだったお前を、儚く散らせてやったのも俺様だぞ! ……なのに、まあ、何だって、助けちまったかね? 人間の俺様は――あり? 親父の甲斐性なら、もう、見せてんじゃね?』
「知らなかったろ! 親子だなんて、当時は!! つか、あんなんで足りるか――!!」
『ほほう。まだ足りぬ、とな? ならば、尚の事、俺様の腹いせになるがいい!!』
「あああん?!」
(――あれ!? 戻って来ちゃった――何で?!)
一触即発が解消されそうにない一匹と一人を
迷子になりたくてもなれない程慣れた場所がこの森なのだ。
何遍、家出に使ったことか。村出に使って、連れ戻されたことも数えきれない。
そして、親子喧嘩は
『……女神だけならまだいざ知らず、魔女にも流れてんだよ、お前の愚痴りの一切合切が……!』
「――え? それは、流石に俺も解んねー……」
真相は、女神から(嫌味がてら)魔女に流れ、不肖の愚息が(恋)敵の元にしけこんでいる理不尽に衝撃を受けた――という流れである。
『何で俺様が、ちくちく、針の
「本人に、
『却ー下!! 女とは
偉丈夫も我慢の限界なのだろう。腕まくりして、牙を
「ざっけんな、かつ、上等だ!! 返り討ちにしてやる!!」
しかして、一匹と一人の喧嘩は、一匹の勝利で終わった。
『ふっふっふっ……さあ、負け犬! 勝ち犬を
「……泣きたい……なのに、泣けねえ……。何でだ?」
そこが頃合いと判断して、魔族の青年はわざとらしいくらいの大声で割り込んだ。
「あのー、盛大な親子喧嘩中、申し訳ないんですが! ……道を聞いてもいいですか?」
あれから何度も、喧嘩を放置して村に戻ろうと試みたが、何処をどう歩いても喧嘩の現場に戻ってきてしまう。
声を掛けたのは、仲裁しないと帰れないらしい、という結論の元に導かれた妥協案だった。
「『はて……、どちら様かね? Mr.……』」
帰りたいのに帰れない、という体験も初めてなら、気絶した負け犬を不可視の力で盾にして、その口を勝手に使って応対する勝ち犬を見るのも初めての経験だった。