蒼玉編◆第2話
文字数 3,809文字
私――エリアルド=リングルードは困惑していた。
木製の机の上には一枚の手紙。出征していた婚約者の無事を伝える、心から待ち望んでいた吉報。
それを心から喜べないのは――長過ぎた
領地が戦場になったわけではないけれど、流通の
戦争を支える負担で、流通を戦争に取られてしまって、経済的な窮地に追いやられてしまった私の家は、強引な婚姻を断れない状況に
私の答えは、気持ちは決まっている。あの人を、ずっと、待ち続けていたのだから。
けれど、それは――家を、さらなる窮地に追い込むかも知れない。領地を、領民を、苦しめることになるかも知れない。
領主の娘でなかったなら、悩まずに済んだだろうか。憎い親だったら、愛想が尽きるような故郷だったら――
考えなければいけない。しかし、何もかもが上手く行く方策なんて――。
私はどうすればいいのだろう? 私はどうしなければいけないのだろう?
「…………」
考え詰めることに疲れて、気分転換を選んだ。
そして、見つけてしまった。
何と言ったらいいのだろうか。けったいな運命、とでもいうべきものと出会ってしまった――気がする。
この、恐ろしく美しい腕輪を見ると、いっそう、思いは強くなる。
きっと、あの伝説を覚えていた事さえ、仕組まれた運命に違いない、と――。
近隣に伝わる、魔法使いを巡る
魔を払う力を持つという人物は、どういうわけか、筋骨
「……ZZZZZ……」
「――――」
土が
(……えーと……)
端的に言って、困った。
見合いを数日後に
しかし、領主の娘でもある。それも、跡取り、と付く。行き倒れを放置するのは、
問題は、
(かなり
道の真ん中とはいえ、此処は領主の
不審者として通報する方が自然ではあるが……旅人という可能性も捨てきれない。……良心的に考えて。
「……ZZZ……ZZZ……」
(……怪しい。すっごく、怪しい! のですけれど……)
迷っている時間がもったいない気もする。覚悟は、決めるしかない。
「もし。もし。
男の胸に手を当て、揺さぶってみる。
「ZZ……、……んー……、もう、ちょ――、!?」
男が跳ね起きた。
「――きゃああっ?!」
勢いに
「えっ!?」
男は
「――――、あ……あら?」
てっきり、打ち身を作るものと覚悟していたら……いつの間にか寝ていた。青々とした草の上で、白い雲が泳ぐ青い空を眺めていた。
「おい、大丈夫か? あんた――」
無愛想な顔で無遠慮に
「……ありがとう、ございます……」
ぼんやり、手を取ってしまったのが
「――あ、あの。その、私――」
想像する以上に雄偉な殿方に抱きしめられると、
「……別人だ」
「はあ?」
男の腕から力が抜けた。
呆然と辺りを見回している内に、そっと身体を離して、距離を取る。目を離さないように、しかし、手を伸ばしても捕まえられない所まで。
「あの、どうされました?」
「え? あ、いや――」
いつの間にか距離を取られていたことに目を丸くし。
「これでも、結婚が控えてますので」
「――、へえ……」
表情を凍り付かせてから、苦笑を浮かべた。
やらかしたことが理解できている。そんな感じだった。
「旅の方ですか?」
「えっ? ……まあ、そんな――感じ……かなあ」
適当な生返事をする偉丈夫に微笑みかけながら、慎重に、かつ素早く値踏みしていく。
白か黒か。判断をつけなければ。
白――ただの行きずり。道で寝ていたことにお説教をして、放免である。
黒――
「別人とおっしゃってましたけど、どなたか心当たりでもお有りですか?」
「えっと……、それは――その――、あー……」
何と言っていいのか。そう言いたいのが解かる。そして、少し意外だった。服の上からでも押しの強い逞しさ透けているのに、困り顔には
そして、押し問答の結末を決定づけたのは。
「――――」
「…………、まあ」
盛大な腹の虫だった。
とりあえず、裏口から館の
腹が膨れて気分も良くなったところで、尋問に応じてもらおうという算段だった。
「
けれど。
「……あー、食った食った!」
たった一秒でそれは霧散し、
家主に断りもなく、くつろぎ出した偉丈夫に、少しだけ容赦を
「さて。貴方のお名前をお聞きしてもいいかしら?」
「ん? ……ああ、そいうや、まだ名乗ってなかったっけ? 俺は――ラガル。ただの行き倒れだ」
(名乗りを考えるなんて……偽名ですね。まあ、無いよりはマシですけれど)
「どうして、あんな場所で行き倒れていたんですか?」
「それは――って、あんたは?」
気づかれてしまっては、仕方がありません。
「……失礼しました。私は、エリアルド。リングルード領主の娘です」
途端に、男の顔が輝いた。
「――へえ、領主の娘さんか! じゃあ、この辺りの土地とかには詳しいんだよな? 是非、聞きたい事があったんだ! 教えてくれ!! ここは何処だ? 時代は
「……ちょ、ちょっと――!」
いきなり身を乗り出してきた男に戸惑うと。
食器を片づけに来た料理番の男が粉物を練る時に使う棒で、偉丈夫の頭を一撃した。
「――だっ!! ……何しやがる!」
牙を
「
「ああ?! ……っと、お嬢様、だっけか。御領主様の」
「どうされますか? 何なら、牢屋に放り込ませますが?」
料理番が
「――げっ」
そして、どうも、普通に話が通じる人のようだった。
領主の娘が博識だと考える。それは、領主という立場が知識層に在ると看破しているからだ。つまり、領主が蓄えている知識を理解できる頭を持っているのだ。……怪しさも、いっそう増してしまったのだけれど。
生活に必ずしも密着しない知識を操る。それは、特権だ。
官吏には見えない……となると、最低でも
尚のこと、偉丈夫の正体を暴かねばならなくなった。
……ああ、例外的な人々もいましたっけ。冒険者を名乗る開拓者たち。けれど、彼らの存在は今此処で重要な事ではない。
「まあまあ、それはまだ待っても良いでしょう。見た所、
「迷子、ねえ……」
料理番の眼は
「…………」
此処で暴れたら、牢屋にまっしぐらだと解るのだろう。知らん顔をして料理番を無視していた。
だが、そんな態度が
「……ええと。それでは、何故、そのようなことがお知りになりたいのですか?」
「それは――……だなあ……」
どう説明したものか、と考えているのが解かる。
申し訳ないけれど、余程見事な理由でもない限り、納得されてあげるのも難しそうだった。
そこへ。
「お嬢様!!」
悲鳴を上げて、ばあやが駆け込んできた。
「グルンガルド様が、グルンガルド様が――!!」
「――えっ?! それは」
どういうことなの? と、続けようとして。
「エリアルド殿、是非、お話をお聞き――」
若くて
「これは、一体――」
聞いていない。彼はまだ――戦場に居なければならないはず――。勝利の報は届いてない。手紙に在った赴任地からリングルード領までは、どんなに早くても、一か月は――。
「…………、これは、一体――?」
硬い顔も、私を明確に非難する声も、尻すぼみになっていく。
それはそうだ。怪しい
けれど、では、私の何を彼は怒っていたのか?
そして。
一拍遅れたタイミングで、彼の背後から両親が持ち込んできた縁談の相手であるいけ好かないちょび
……料理番が居てくれて、本当に幸運だったと思う。二人きりだったら、問答無用でアウトだった。私の方が。