第1話
文字数 5,285文字
どうして、こんな事になったんだろう――。そう思わずにはいられなかった。
私は今、山道を歩いている。一人で歩いている。
村を救う為に。
私は村
その
人より恵まれた人生を過ごしたから、の。
私は生贄として、村を
「…………」
(……きっと、食い殺されるんだわ……)
嫌な予感は、
一応、志願した。村長の娘という立場から出た義務感でもあった。
足がすくんでしまうのは、仕方がないことだと思う。死を予感させられているのだから――。
それでも、行かなければ。村を
竜が
そんな事を許さない為に――。
「――――」
出来るなら、逃げ出したい。今からでも。でも、私が行かないと――。
板挟みになる心の逃げ場を求めて、私はお気に入りの腕輪を
母が母――つまり、祖母から
息を
かつて、村を
母がこの腕輪を贈ってくれたのは、私の身を案じてくれたから。けれど――、役に立たないかもしれない。多分。……間違いなく。
「……?」
何故だろう。宝石が輝いた気がした。大丈夫だ――そう、語り掛けられている気がした。……もしかしたら、気が触れてしまったのかもしれない。覚悟を決める為に、巨大な竜を見据えようとして。
竜と目が合った。
「――――!?」
次の瞬間には、竜の目の前に立っていた。
「……嘘、どうして――?!」
全力で走っても、30分はかかる距離が在ったはず――。
なのに、今、私は竜の真ん前に立っている。
竜は強大な魔力を秘め、操る生き物。そんな知識は私には無かった。
逃げられない。そうと
そして、それでも生き延びたいと願う程、私は平凡だった。
目を閉じて、地面に
だから、見逃してしまった。運命が変わる――いえ、変わった瞬間を。
「……あの」
「!?」
絶句したのは、人間の声だと思ったから。
私の運命は竜の生贄になることだと、固く信じて疑っていなかったから。
目を開けて、さらに
「……
「――――」
炎のように赤い髪に、輝くような金色の目の、屈強な若者が恥じらっている。
禍々しい程の竜の
お気に入りの腕輪が無くなっていたことにも気づかずに考えていた。
◆暗がりに
一体、どうしてこうなった――?
私は頭を抱えたかった。
村を護る為、村長の娘という立場の為、ただ一人、生贄になりに旅立った我が娘。
二度と会えぬと、覚悟してなお足りなかった愛しい娘。
それが今、目の前に居る。伴侶になるという若造と共に――。
そう、娘は生贄になりに行って、
そして、これが頭痛の原因だった。
素直に娘の無事と幸せを喜べないのは、ひとえに婿殿の正体のせい。
隠してくれていたなら――
なぜなら、この
この地を去る代わりに、娘を妻としていただいて行く。それだけの事実を一方的に告げに来た、それだけなのだ。
「良かったな、おめでとう」
素直に言えたなら、どんなに良かったか……。
現実の世界に
「……婿殿。こちらの事情を承知の上で、娘を
可愛げも何も無い、
薄情であり、非情ですらあるけれど、私はこの
「何……?」
案の
けれど、
「娘を妻に欲しい。そう願う殿方は一人ではない。……そういうことです」
「争え、と?」
「いいえ。父母である
食えない奴だ。婿殿の瞳がそう語っていた。
……私だって、平凡な父親でありたかった。叶うことならば、こんな危険な橋は渡りたくない。
竜――それは、超常の生き物の一種であり、最高にして最強の魔獣。
魔王にも目されるほど
そんなものを相手に、駆け引きだなんて。
けれど、この村が置かれた状況は、
原因はと言えば、何のことはない、人間同士の
ありきたりと言ってもいい、貴族同士の勢力争い。それを複雑にしたのが、この村の立地だった。
国境にほど近い、
この村は、貴重な足場なのだ。
より広い領土を所有し、治めている、と主張する為の。
同時に、侵略の為の足掛かりとしても高い価値を持っていた。
貴族同士の争いだけでも傍迷惑なほど頭が痛いのに、隣国が虎視
村の成り立ちが、
いずれにしろ、傍迷惑だ。今はもう、公国のれっきとした領土の一部。
けれども、これだけなら、まだ、健全な人間同士の勢力争いに過ぎなかった。
事態が格段に厄介になったのは、魔王を名乗る魔族とその郎党がしゃしゃり出て来たからだ。
(自称)
心当たりなどさっぱり無い! 突っ
どう返答したものか、考えあぐねていたら――要求が上乗せされた。
「娘を差し出せ。ならば、見逃してやらないこともない」と。
とんでもない話だった。
だが――。
貴族の勢力争いに首を突っ込めるはずもなく、命からがら逃げだして来た元故郷への未練など皆無に等しい。
峠に巨大な怪物――竜、が現われた、などということになれなければ、娘は極めて高く売れるはずだった――のだ。
褒められた話ではない。けれど、そんな風に考えていかなければ、村の
そこに。そこに! である。
現われたのだ。乱麻を断つかもしれない、快刀かもしれない人物――いや、存在か、が。
持ちかけることを
どの手を取っても、
「ふむ。
娘を妻にするという若者は、にやりと笑った。
◆交接点~
「どうして、どうしてこうなった――!?」
男は
魔王を自称できるまでに育て上げた徒党が壊滅し、今や単騎で必死に落ち延びなければならなくなっていた。
「よもや、飼い犬に手を噛まれようとは――!」
男が噛む
一度はその魂を奪い取り、配下に収めていたはずの竜。
突然それが腹から消えてなくなり、不吉な予感に駆られて現場に駆け付ければ――容赦なく牙を
それだけなら、何ということも無かった――はずだった。
何度反抗されようとも、片手でねじ伏せられる自信が在った。
けれど。
いつの間にか、より
「糞っ、糞っ、糞――!! 忘れるなよ! きっといつか
男は
しかし。
「いいや、それは叶うことの無い夢さ」
という、
「――何奴!!」
徒党を失おうとも、魔王を名乗った
「いよう、馬鹿兄貴。随分、
「?」
「……覚えてねえか。たった、数百年前のことだろうによ。ま、捨て駒にした弟だ。どんなに化け物じみていても、関係なかったよな」
「……何?」
戸惑うのは無理もない話だった。
弟を自称する男の声は、明らかに自分よりも年上の男性のもの。そして、
「俺は俺で、もうどうでもいいんだが――面倒臭えことに、仕事なんだよな。これ。きっちり、落とし前をつけてから帰らなきゃならねえってことなんだよな……ほんっと、面倒臭え」
「……弟、だと――?」
確かに、居た。子供の頃からずば抜けて魔力に恵まれ、死に別れた父母にも愛情を注がれていた、どう見ても化け物にしか思えなかった、弟と呼んでもいいのか解らなかった
だが、それは
だから、自分は旗を上げた。死体でもいいから弟を探し出し、血族の遺産を奪還して、自分が継承者となる為に。生きていようと、死んでいようと、どうでもいい。自分の
「薄情者め。最後に、一つだけ情けを掛けてやる。今日、これから起こることの因果の起点は何処に在るのか、を、教えてやるよ」
「――――!?」
待て、と
そして、目覚めた時には終わっていた。
「あ、――なんだ? ……俺に、何が起きた?! ……まさか、この肌、耳――、まさか、まさか!!」
信じたくない現実を否定する為に、わざと自分の
しかし、流れ出した血の色は――赤。無情にも、鮮やかな赤だった。
「ば、馬鹿な――魔族を一人、丸々人間に作り換えたとでも――?!」
現実を急には
「有難く思えよ? やり過ぎたあんたを生かしてやれる唯一の可能性が、これだったんだからな。魔王に成り上がろうという
元魔王は、ただ一点を見つめていた。その手には、男が残した書置きが握りしめられていた。
そして、歩き出す。
「……と。俺もさっさと帰るか……! 何でか知らねえけど、最近餓鬼共に
男が姿を消すと同時に、元魔王は歩みを止めた。
「覚えてろ! 何者かは知らないが、俺は絶対に――――!!」