第3話(前編)
文字数 3,893文字
家の入口である、木の階段に腰かけたままため息をつく。目は青い空を
(あんな、妙な場面目撃しなかったら――黙ってられた……かなあ……)
村一の美人。それが母親だ。
それに言い寄る間男が、この村の村長で族の
母は村一の戦士――父と結婚し、未亡人になった。
間男を憎からず思っているのなら、息子といえど、口を挟むような事じゃない。
だが、母の本命は別にいる。しかも、それは多分、契約絡みだ。
だから、族長といえど、不用意に口を挟まない方がいい。
だから、わざと喧嘩に持ち込んで、こてんぱんにのしてやったんだが――守ったはずの母に
身の置き所がなくなって、母とも口論して出てきてしまった。
『うちの負け犬は居るか?』
「お!? ――おう」
突然降ってきた明確な声に、ついびっくりしてしまう。
あのあと、息子らしい偉丈夫(外見的には一回りは年上に見える)をおぶさって一人で暮らしている家に帰り、客間のベッドに転がして放置した。
魔族の村に、人間が流れ着く――無い話ではないが、聞こえは良くない。
出来れば隠しておきたかったが、速攻でバレた。
今朝の喧嘩とは別件で叩きのめされた村長が、文句をつける為に待ち構えていたからだ。
そして、長が感心し兼ねる女の元に通っている――というのは、村人なら誰しも知る所であって……。
長に灸を据えようと、家を遠巻きにして隠れていた金魚の
あっという間に大騒ぎになって…………あっという間に鎮火した。
仲間から袋叩きにされても不思議はなかった状況が消滅したのは、あの、父親を自認する怪生物のせいだ。
翼の生えた
それだけなら、具合の悪い空気に頭を痛める破目になったはずだ。
ところが、若干名の、空気が致命的に読めないアホのおかげで、実力の片鱗までもが披露されてしまった。おかげで、残る全員が知らん顔を決め込む判断を下してくれたのだが。
『水と適当な残飯をあてがっときゃ、自分で適当にどうにかする』という助言にも素直に従った。
気が付けば、割と横柄な態度の居候と化したし、敵に回したくないのは父親の方だ。
おまけに、偉丈夫はこの辺りの地理などには
土地、国、人、時代等々、様々な事柄を、手当たり次第に尋ねられた。
問題にならない範囲で教えはしたが……魔族の隠れ里、という物にも興味が
だから、居るはずだった。けったいな親父を嫌がって、夜中の内に脱走などしていなければ。
昨日のような喧嘩をされては大変なので、いそいそと後を付いていった。
「ふわあ……」
タイミングがいいのか悪いのか。偉丈夫が客間から出て来た。
朝には遅いが、昼には早い時間である。欠伸をしているのは、二度寝でもしたからだろう。
(……成程、適当に、か……)
感心半分、呆れ半分でため息をつく。
昨日の喧嘩の
『おう、負け犬。いい御身分――――重役出勤か!? 畜生! 俺様はせせこましい宮仕えの合間を縫っているというのに!!』
「悔しかったら、有給でも取れよ。……てか、朝っぱらからテンション高え。あと、
『頭が高いわああっ!!』
一瞬で偉丈夫の頬に四枚のモミジが張り付く。
巻き込まれた家具――食器棚とか、趣味で集めている書籍の棚とか――が、おくたばりあそばされたかと、青ざめた、が。
「……おい。本っ気で糞親父から馬鹿親父様に格下げしていいか!? ……ここ、他人様の家だってこと、忘れてねえだろうな!!」
見た目通りにタフなのか。腹の上でマウンティングポーズを取る掌サイズを鷲掴みにし、立ち上がると無事だったテーブルに叩きつけた。
ちなみに、家具は無事だった。
『忘れとらんわ、負け犬! 迷惑賃も込々だわい!!』
小さな指がぴっ、と適当な角を指すと、大量の食糧が詰められた木箱が出現した。
偉丈夫が「大丈夫か?」と、視線で尋ねて来る。
「壊されなければ、多少は」
返事もそこそこに、お詫びだという食料の吟味を始めた。
葉物、色とりどりの実物、果物、獣肉、魚介……多種にわたる素材ばかりか、調味料まで込々。
鮮度もサイズも申し分なしの上物がこれでもかと詰まっていた。保存を間違えなければ、一か月は食うに困らない。
地下の貯蔵庫に箱ごと移動させようとしたら。
『
妙な物言いに呆れ。
「――――」
親父殿の申し出に同意するような腹の虫に、さらに呆れる破目になった。
「……で? 何をしに来やがったんだ」
穀物を挽いたパンと、鶏卵を溶いて焼いた物、獣肉の薄切りと菜っ葉の油炒め、獣骨から出汁を取ったスープに牛乳。
少し早い昼食を客間で平らげ、氷で冷やした果汁(コップは木製)を
喧嘩は勘弁して欲しいのだけれど。
『貴様に押し付ける面倒が決まった。以上』
呆れていいのか、感心すべきなのか、さっぱり解らなかった。
「――おい。何で俺がバカンスの最中に」
勝ち犬が不穏な空気の負け犬の顔面めがけて投げつけたのは――大粒の
「紅玉と蒼玉……?!」
片付け物の合間に一匹と一人を窺っていて、こんなに驚かされようとは。いや、驚かない方が無理か。
滅多に見ない程深く鮮やかな色彩に、対と呼ぶ事が出来るほど安定した大きさ。
小指の先程度の大きさでさえ、数年~数十年は働かずに食っていけるだけの価値を持っている。
おまけに、宝石は存在そのものが貴重で、希少。
あれなら、片方だけでも6人家族が一生食っていけるはず。
そして、鋼の名に恥じない硬さ。
凶器と呼んでいい速度で飛んできた鋼玉を、偉丈夫は難なく受け止めて見せた。
「……くれんの? 迷惑賃?」
『
偉丈夫の顔面に星形の
『それに見合う台座を作れ。そして、持ち主を見つけて押し付けて来いっ!! それが、お仕置きだ! ちなみに、無様な台座を作りやがった日には……
「へえへえ。……負け犬、負け犬、うっせえわ……!」
小声で愚痴った直後、星形の痣が二つ追加された。……地獄耳とはこのことか。
『ああん?!』
小さな形では迫力不足のはずの凄みだが、”糞”親父は伊達じゃない、と感心してしまう貫禄があった。
「…………くっそう……! ほらよ」
不満気に
(――今のは?!)
魔術や魔力に
怪生物は中空で腕輪を受け止める。そして、慎重な仕草で吟味を始めた。
(こうしちゃあ、居られない!)
洗い物をさっさと片して、一匹と一人のやり取りを一望できる位置に陣取ることにする。
これは損だ。見ておかなければ、絶対に損をする!
あんな風に力を使えたら――母を護れるだろうか。楽な暮らしをさせてやれるだろうか。
今は別居状態で、中々長く村に居つかない母ではあるけれど。
一応、喧嘩が始まった時に被害を受けないよう、部屋の出入り口に一番近い場所を選んだ。
『――ふむ。ま、よかろ。鋼玉に鋼とは面白くもないが……合わぬこともあるまい。どれ』
宝石を嵌める穴が開いているだけの腕輪の表面が水のように波立つと、磨き上げた鏡のように世界を映し出し始める。そして、花を付けた
「――――」
『よしよし』
絶句している家主には気づきもせずに。
『…………ん?』
嵌めるはずの宝石を
『おまいなあ……それで、俺様を糞だの馬鹿だの抜かしやがるのか……!!』
「ギクッ!! ……いいじゃねえか! バカンスだって先立つ物が要るんだし、慰謝料みたいなもんだろ! 親父なら、こんなのいくらでも手に入るじゃねえか!!」
『だーい、きゃーっか!!! それこそ、お前の母ちゃんから釘
「――あ、あら?!」
こっそり偉丈夫の影を踏んで、足止めをしていたことに気付いて貰えたようだ。
『…………えーと……?』
「村長と喧嘩していて、受けが良くないんだ。泥棒を出した、なんてのは噂でも嬉しくない」
「――そ、そいつぁ、ごもっとも――」
偉丈夫は半分以上涙目だった。
きっつーい灸――それこそ、折檻が確定したのだから。
『――――』
無言で、今までの扱いに温情が存在していたとはっきり解かる冷気を