蒼玉編◆第5話
文字数 4,829文字
他人の思惑に踊らされた果てに死ぬはずだった男を、まんまと生還させてしまった。そのせいで、
そんな所だろう。
気持ちとしては解らなくもないが、知ったことではない。
スカウトが失敗したわけではないし、現状はむしろ、糞親父が首尾よく高得点を稼ぎ出した結果、と言っていいからだ。
数日後の花婿殿は、
4時間で終わるはずだったアルバイトが、一週間連続になった――ぐらい、
宮仕え、なんて口にはするが、時間という兎に追い立てられているわけでもない。
でなかったら、父親より数百歳は年上の息子、なんて在り得ねーからな。
それに。今はどうでもいい愚痴に恐れ入るよりも、気を使わなければならない事が在った。
今日は結婚式本番前の、最後の予行演習日。当日に着る予定の衣装の合わせと、儀式進行の段取りの
段取り自体はシンプルだ。
祭儀場(なんと、教会ではない!)に客が全員集合したら、神父役――正確には
(……うーん……、居心地は今一なのに、着心地は悪くない、てのはどうなんだろうなあ……)
領主
この場に居るのは衣装だけでいいだろう! が本音だが、執事長さん
「……ぐうう……!」
頭の上で糞親父がじたばた暴れているが、表向きはガン無視である。神聖なる儀式だからな、結婚式は。
そして、どうも見えてしまっているらしい。誰もが頭の上に一瞥を投げていく。しかし、それっきりだ。話しかけることはおろか、注意を払おうとさえしない。なので、会話は聞こえないよう、聞かれないよう、小細工を施していた。……1セットなどと思われてないといいなあ……。
「別に大した問題じゃないだろ? 虫の
糞親父が頭の上から俺を覗き込んできた。
「そこが問題の原因だろうが! お陰様で、
「
「それは……」
「
「…………」
「急ぎたい理由でも?」
聞いておいてなんだが、答えは解っている。無い、だ。
「…………むう」
納入遅延の中間報告を上げた際、似たような応答を当の依頼人から
何処か悔し気な
「だったら、四の五の抜かすんじゃねーや」
「しかし、だな」
我が父親ながら、往生際が悪い。けれど、時間だった。
「代父様、お勤め御苦労様です」
花嫁よりも先に衣装合わせを済ませた新郎が衣装合わせの部屋へやって来た。指揮を
「あいよ、っと」
ことさらに小声で、糞親父をからかった。
「……何なら、代わってやろうか? 神父役。将来に
「断る!!」
嫌がらせに人様の頭を強めに蹴って、糞親父は最近の指定席に舞い戻った。
結婚式当日。
昼日中でも薄暗い聖堂だが、今日は格好の結婚式
讃美歌を
聖堂を真ん中に突っ切る通路には赤い
席と通路の境界を示すように、燭台と花を生けた台座が交互に並べられていて、そのど真ん中を静かな所作で、悠然と歩む。
白を基調に、色鮮やかな花で飾り立てられた聖者の台座を回り込み、聖堂を一望できる壇に到着する。
そして、上り詰めるまであと数段という所で。
『――あ。チクっておいたからな』
なぜか、当日になっても頭の上に陣取った糞親父が何事かを言い出した。
「……何?」
?マークをばら撒いている内に、登壇完了――スタンバイOK!
進行役の家人が仕草で、聖堂の隅に控えていた別の家人に合図を送った。
『こんな笑えるイベント、片親だけで見守るのはもったいないよな? あと、お前が迷惑かけている先も、俺の女だしな♪』
「おい――!!」
反射的に見上げようとして(見えるはずはないが)、糞親父に不可視の力で矯正される。
『ほらほら、花嫁花婿の御入場だぞ!!』
糞親父の呑気な
畜生! 覚えてやがれっ!! とは、口が裂けても言えそうになかった。
世辞を抜きにしてもお似合いの二人で、花嫁は眩しいほどに美しかったからだ。
「そんじゃま、世話になった!」
旅支度は自力で整えた。糞親父よりは地味ながら、効果的な金策の手段が俺にもある。
母親と厄介先の確執は――――見なかったことにした。間違っても手に負えないし、実際、俺の存在はアウトオブ眼中だったなあ。……良かった! 本っ当に!! 良かった!!!
……まあ、最低限度の努力はしたよ? 視界に入らないように、とか、意識されないように地味に静かにしておく、とかさ。
それにしたって、理解不能だったのが今も婿殿の頭の上でジト目をぶつけてきたりしている糞親父だった。
祝宴の野暮にならない、という
糞親父は、こともあろうに、その二人のど真ん中で、『飯、
あの神経の太さだけは……今思い返しても、理解が全く及ばない。
そういや、昔、親父の故郷で、年下の叔父御に(正体を隠して)相談したことが在ったっけ。
「傍迷惑な話だと思わないのか? あれ」
「……うーん……。いや、あれでもギリギリの線だろうなあ。意中の男だから、見損なわれたくないし、譲るなんて論外だろうし。男は男で、無関心に思えても細心の注意を払ってるから。油断してると、選ばれ損ねるという大損害が待ってる――って、解ってる。でも――、ってところでしょう。諦めた方が早いかなあ……」
「被害はどうするよ?」
「逃げる! 火の粉が漂う前に、速攻、全力で逃亡!!」
にっこり笑っている相手に気圧される、ってのはあれが初めてだったよな。
ま、血が繋がってはいるが、他人の女の趣味だ。
そう、大事なことは、こっちに飛び火しないこと! とばっちりなんてものは特に! 絶対に!!
…………切に、願うから。頼む!!
「……あの?」
「ん? ――ああ、その……、綺麗な花嫁姿だったな、とね」
思い出し現実逃避を隠す為に褒める。そっと頬を染める姿は初々しくも愛らしい。眼福だな、眼福。――おっと。婿殿の視線が痛いか。
初夜を終えた早朝、早過ぎた目覚めに時間を持て余した婿殿と手合わせしてみたんだよな。
結果は勝ったけど、糞親父が見込むだけはある、人間凶器ぶりだった。
見かけが意外と坊ちゃんめいてるから、舐めて掛かって後悔させられるタイプだな。
ジト目の糞親父は自由気ままな旅立ちを迎える俺が気に食わないだけ。油揚げを狙うトンビを狩る余計な手間が悔しいんだろう。シカトでOKだ。……藪蛇になるのが怖いので、下手を打つ前に逃げよう。ええと、話題、話題は――と。
「しかし、良かったのかい? 式が終わってからいうのも難だが、俺みたいな風来坊が、代父なんて務めても」
「はい、その方が良かったんです。今でこそ、王家の信奉する神の教えが公国でも幅を利かせていますが、この土地の元々の婚姻の
「なるほどねえ(具合が悪い、か。……まあ、いいよな? その当のものが参列してたりしてたんだけど――、言わぬが花、だよな。やっぱ)」
「そう言えば、大層な祝儀を頂いたと伺いましたが……?」
「ん? ……ああ、それね」
婿殿が気に掛けているのは、腕輪。今も花嫁さんの腕で煌めいている――そう、例の腕輪だ。
「滞在費とか、迷惑賃とか、諸々の費用込みだから。気に病まないでもらえると、嬉しいなあ」
それに。
「それと、本当にそっちで良かったのかい? 紅玉の方が人気なんだってな?」
「蒼玉がいいです。紅玉は……、その……」
彼女の薬指で、腕輪の鋼玉よりははるかに小振りながらも、鮮やかな赤が煌めいた。誰が贈ったのかは、言うまでもないだろう。
「……
夫婦そろって、嬉しそうに、幸福そうに
「これから、どうされるのですか?」
聞いてくるのは、別れを惜しむ作法のようなものだ。知った所でどうなるものでもないし、特別な縁を結んだわけでもない。
「さあなあ……。旅から旅へ、気ままな渡り鳥だ。気の向くまま、風に吹かれるまま――さ」
二度と会うことはない、とにおわせる。
「……そうですか……」
何処か感傷的な婿殿の頭上で、糞親父様が俺にしか聞こえない咳払いをした。……頼まれなくたって、とっとと出発してやる! 手に負えない女二人の板挟みなんて、こっちから願い下げだからな!!
そう、なぜか母親と厄介先は今も客分に収まって、影に日向にバチバチとやり合っている。
下手に長居などしたら、間違いなく、俺が史上稀に見る大災害に呑み込まれてしまう。
加えて、気兼ねない異世界探訪こそが、求める極上の気晴らし。晴れやかな気分で出発できるに越したことは無い。
さあ、出発だ!! ――――の、前に。
「……ああ、そうだ。腕輪の石には、魔除けが施してあるからな。困ることが在ったら、使ってくれ」
一応、アフターケアだ。何せ、婿殿の余生があと何年になるのか、俺には
「まあ……! 何の御礼も出来ませんのに!!」
はて。何で、そこまで
「ははは。有難く思ってもらえたら、掛けた甲斐も有るってもんだ! ……それじゃあ」
背を向けて、見知らぬ土地へと続く一歩を踏み出す。
「どうぞ、
鮮やかに晴れ渡った青空の下、振り向くことなく、軽く右手を上げて応えた。