第10話

文字数 2,363文字

 数日後、ゴールデンウイークにもかかわらず、春喜は信夫の家でぐだぐだと過ごしていると、谷村の親父が訪れた。
 県議会議員をしている谷村の親父は、なかなか貫禄があった。恰幅がよく、目も鼻も口もでかくて、威圧感のある顔をしている。そのお偉い人が、ぺったりと畳に額を押しつけ、土下座して礼と詫びを述べた。
「この度は、うちの息子の自分勝手な行動で、皆さまにご迷惑をお掛けして、まことに申し訳ありませんでした。息子を診察してくださった医師からは、あともう少し遅ければ、命に危険が及んでいたかもしれないと聞かされまして…」
 二人は目を丸くして恐縮し、なんとかこの堅苦しい空気をほぐそうと親父をなだめた。
「いや、でも、その、そうそう、息子さんを発見できたのは、彼、ハルちゃ、春喜くんのおかげですから」
 親父のぎょろ目が春喜に向いた。突然、話をふられて、ただ首をぶんぶんと左右に振るのがやっとだ。まさか、オハギの手柄ですとは言えない。
 長々と感謝の言葉を述べた谷村の親父は、ノブをじっと見つめると、今度は意外な話を持ち出した。
「今回のことは、学校側に管理責任があるとはいえ、私たちは日頃から、子供たちに、自然の怖さと楽しさは表裏一体だということをちゃんと教育しなければならないと、思い知らされました。そこでですな、田端さん」
 この先の展開が読めずに、信夫は身構えた。
「あなたは、自然のさまざまについてたいそうお詳しそうだ。しかも、元自衛官だそうですな。なんでも足を負傷して、退官されたとか。長らく、さまざまな災害や事故の現場へ行かれて、救助活動に携わってこられたのでしょうな」
 信夫の返答を聞かずに、親父は一人でふむふむと感心している。
「そこでです、あなたに、お願いがあるのですが」
 ますます嫌な予感がして、信夫は怪訝な表情を浮かべた。
「どうですか、県内の学校に出向いて、子供たちに、自然の素晴らしさと恐ろしさ、災害の怖さ、また、いざというときの命を守る方法を教えていただけませんか」
 信夫はきょとんとした顔で話を聞いていたが、すぐに首を横に振った。
「そんな大げさなこと、俺には無理ですよ」
「まあ、そうおっしゃらずに」
「県内の学校に出向くとか、あれでしょ、体育館とかで講義するみたいなやつでしょ、俺にはそんなの向いてねえ、無理です」
 頑なに断る信夫に対して、谷村親父もまったく引く気がない。あまりにもしつこく頼まれて、信夫が面倒になってきたとき、春喜のポケットの中に隠れていた二匹のオハギがチチチとか細く鳴いた。
 それを耳にした信夫はふと顎に手を添え、何かを考え込んだ。そしてちらりと、谷村親父に上目を向けた。
「学校へ出向くのは嫌だが、子供らがこっちまで来るってんなら、考えないでもねえ」
 面倒になってすっかり敬語が消え失せていたが、谷村親父はそんなことは気にする風もなく、身を乗り出した。
「もしかして、この町で自然学校ですか。それはいい、その方が臨場感もあるし、ちゃんと身につくかもしれませんな。そうですな、それではこちらの公民館をお借りして…」
「いや、それより、もっといい場所があるんだ」
 谷村親父は瞬きをして首をかしげた。
「ちょっと一緒に来てくれ。見てもらいたいモンがある」
 そう言って連れていったのは、あの、廃校になった木造の小学校だった。
「これは、なんとも立派な校舎だ」
 谷村親父は木造の校舎を見上げて感嘆の声を上げた。
「ここはこの春で廃校になったんだ。築百年は超えてる。近々、取り壊すって話なんだがな、もったいないと思わねえか」
「確かに。文化財になってもおかしくない建築物ですな」
「ここを使って、なんだ、その自然学校ってやつを定期的に開くってんなら、手を貸してもいいけどな、どうだ、県議会議員さんよお」
 谷村親父は腕を組み、う~むとうなり声を上げながら首を捻った。
 パタパタと飛んできたコゲラが、校舎の壁を伝って上り、コツコツとつつき始めた。その様子をじっと見ていた谷村親父は、ふうっと息を吐き出し、うっすら笑みを浮かべた。
「わかりました。確かに、こんな風景を目の当たりにしてこそ、本当に学べることは多いかもしれませんな。まずは、この校舎を修復して残せるよう、各方面に手を回しましょう。恐らく、ご期待に添えるかと思います」
 谷村親父は信夫の手をとり、固く握手をかわすと「またご連絡します」と白い歯を見せて笑いながら帰って行った。
 信夫と春喜はそのまま並んで、木造の校舎を眺めた。
「よかったな、ノブさん。俺もさあ、この校舎、潰すのはもったいないなあって思ってたんだ」
「ああ、ここはなあ、俺の原点だ。オハギと出会った場所だしな」
 ポケットのオハギがチチチと鳴いた。
「俺さあ、自衛隊やめて、こっちに帰ってから、ああ、このまんま、クソみたいな時間がすぎてくんだろうなあって思ってた。でもなあ、この場所で、今まで俺が培ってきたモンを活かすのも、悪くないなと思ってな。また、誰かのために、何かができそうだろ」
 そうか、ノブさんはずっと、今の自分にモヤモヤしてたんだな。だからオハギが帰ってきたのかもしれない…
 春喜はそう思い、ポケットのオハギの頭をなでた。二匹のオハギたちは何もいわず、気持ちよさそうに丸まっている。
「よっし、そうだ、ここが残るって、アキラにも知らせてやろう。あいつも、あちこちでごねてたんだ」
 信夫が大きく伸びをして、晴れ渡る空を見上げたとき、春喜の携帯が鳴った。母の律子からだ。
「もしもし、はい、え、え~、わかった、すぐ行く」
 けだるそうに電話に出ていた春喜の声が、ただ事では無い様子に変わったのを見て信夫が眉間に皺を寄せた。
「な、なに、どうした?」
 それは、伯父のアキラが、仕事中に倒れて救急搬送されたという知らせだった。
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