別々の階段
文字数 1,981文字
ぽたり。
テーブルの上に妹の涙が落ちた。
父も母もその反応は予想外だったようだ。
父は損保会社に勤める、いわゆる『転勤族(どさまわり)』だった。
僕たち家族は、南は長崎から、北は北海道まで各地に移り住み、僕は四つの小学校に通い、妹は五つの小学校に通った。妹が一つ多いのは、社宅が旭川市の郊外から街なかに変わり、中学の僕はそのままバス通学が出来たが、小学生の妹は転校せざるを得なかったからだ。
前の学校を去るときは、折角できた友だちと別れるのは淋しかったが、『転校慣れ』とでもいうのだろうか、僕も妹も、淋しさを早く消し、新しい集団に慣れる術を覚えていった。
父から話があったのは、僕が中三、妹が中一の冬休みに入る一週間前だった。
「来年の春から東京本社勤めになった。さんざんお前達には苦労をかけたが、転校はこれで最後だ。」
父母の実家は共に千葉で、やや遅いがマイホームを建てて故郷に錦を飾ることにもなる。万事めでたし、というやつだ。
俯いて話を聞いていた妹から、一粒涙が落ちる。
もう一つ、また一つと涙が落ち、やがてポタポタと滴り落ち、引きつけのような嗚咽が加わった。
「クミ、あなた転校すると友だちがいっぱい増えるって喜んでたじゃない。東京にも、いつか行ってみたいって言ってたじゃない。」
母は戸惑いつつ、妹の背中をさすりながら諭す。
「それ、今じゃない!」
震える声でそう言って、妹は自分の部屋に駆け込み、閉じこもった。
信じられないという表情で、父と母は顔を見合わせている。
僕には少しだけ妹の気持ちがわかった。
中学に入った妹は、吹奏楽部に入り、仲間達と朝練、放課後練と、かなりの時間を一緒に過ごしてきた。これから冬休みも年末年始を挟んで毎日の練習、そして合宿もある。
妹は、あまり感情を表に出さない。
『転校慣れ』などしていなかった。学校が変わる度に淋しさを重ね、それに独りで耐えて来たのだ。遂に限界を超え、我慢という堤防を決壊させて、涙の洪水となってしまったのだ。
僕は決心した。父が勧める千葉の高校は受験せずに、此処の公立高校を受ける。
両親に頭を下げて頼んだ。妹は卒業するまで、ここに残して欲しい。僕が『父兄』として面倒をみる。高校に入ったら、自分の下宿代はバイトで稼ぐけど、なんとか妹の分は出してあげて欲しい。
父は憮然として黙ったまま。母はオロオロするばかり。母は此処に残る訳にはいかなかった。祖母が体調を崩し、故郷に戻って支えなければならなかったからだ。
「好きにしろ。でも新居には、お前達の部屋も作っておくからな。」
半分喧嘩別れのようにして、僕たち親子は別々に暮らし始めた。
母が年に何回か様子を見に来てくれたが、僕たち兄妹が『新しい実家』に帰ったのは、祖母の葬式に出た時だけだった。
妹は部活で忙しかったし、僕は僕でバイトが忙しかったからだ。
こうして、僕たち兄妹は、転校の果てに行き着いた北国の街に住むことになった。
冬は大変寒さが厳しい場所だったが、銭湯の帰り、二人で濡れたタオルをぶんぶん回して、カチカチの棒状にして、アハハと笑い合った。
僕は北海道の大学に進み、就職先も道内と決めている。妹は高校を卒業すると自衛隊に入って吹奏楽を続ける予定だ。
父と母は、僕たちがもう千葉の家に戻ることはないと悟ったらしく、子供達の部屋を改築し、賄い付きの下宿屋を始める、と手紙をよこしてきた。
私は後悔しているのだろうか。あの時、無理矢理にでも、あの子達を本州に引っ張って来た方がよかったのだろうか。それが妻として、母としての私の役目だったのかも知れない。
・・・でも。親子四人でいることが本当に幸せだったのだろうか。それは今でもわからない。
わかっていることは、今までの時間はもう取り戻せないこと。そして、二人の部屋を下宿部屋にしてしまった以上、これからも新たに四人の時間を積み重ねることはできない、ということだ。
“ピンポーン”
ドアのチャイムが鳴った。ほら、時間だ。部屋を下見したいとう人が約束通り訪ねて来たのだ。
私は玄関まで迎えに出る。玄関は二つに分け、直接二階の部屋に上がれるように階段を改造した。お風呂と洗面台とトイレのユニットも設置した。
私と夫が住む一階専用の玄関のドアを開くと、制服姿の二人が立っていた。
「あの、連絡した田口です。親の転勤で私たちは此処に残ることになりまして・・・お電話でご相談したとおり、私は高校生で、この子は中学生なんですが、部屋をお借りすることはできますでしょうか・・・決してご迷惑をおかけしません。私、がんばりますので。」
お姉さんは、小声ながらもしっかりと自分の意志を伝え、学生服の男の子の肩に手を置いた。
私は、ドアを大きく開け、二人を招き入れる。
「さあ、どうぞ入って。ゆっくりお話をお聞きしましょう。」
テーブルの上に妹の涙が落ちた。
父も母もその反応は予想外だったようだ。
父は損保会社に勤める、いわゆる『転勤族(どさまわり)』だった。
僕たち家族は、南は長崎から、北は北海道まで各地に移り住み、僕は四つの小学校に通い、妹は五つの小学校に通った。妹が一つ多いのは、社宅が旭川市の郊外から街なかに変わり、中学の僕はそのままバス通学が出来たが、小学生の妹は転校せざるを得なかったからだ。
前の学校を去るときは、折角できた友だちと別れるのは淋しかったが、『転校慣れ』とでもいうのだろうか、僕も妹も、淋しさを早く消し、新しい集団に慣れる術を覚えていった。
父から話があったのは、僕が中三、妹が中一の冬休みに入る一週間前だった。
「来年の春から東京本社勤めになった。さんざんお前達には苦労をかけたが、転校はこれで最後だ。」
父母の実家は共に千葉で、やや遅いがマイホームを建てて故郷に錦を飾ることにもなる。万事めでたし、というやつだ。
俯いて話を聞いていた妹から、一粒涙が落ちる。
もう一つ、また一つと涙が落ち、やがてポタポタと滴り落ち、引きつけのような嗚咽が加わった。
「クミ、あなた転校すると友だちがいっぱい増えるって喜んでたじゃない。東京にも、いつか行ってみたいって言ってたじゃない。」
母は戸惑いつつ、妹の背中をさすりながら諭す。
「それ、今じゃない!」
震える声でそう言って、妹は自分の部屋に駆け込み、閉じこもった。
信じられないという表情で、父と母は顔を見合わせている。
僕には少しだけ妹の気持ちがわかった。
中学に入った妹は、吹奏楽部に入り、仲間達と朝練、放課後練と、かなりの時間を一緒に過ごしてきた。これから冬休みも年末年始を挟んで毎日の練習、そして合宿もある。
妹は、あまり感情を表に出さない。
『転校慣れ』などしていなかった。学校が変わる度に淋しさを重ね、それに独りで耐えて来たのだ。遂に限界を超え、我慢という堤防を決壊させて、涙の洪水となってしまったのだ。
僕は決心した。父が勧める千葉の高校は受験せずに、此処の公立高校を受ける。
両親に頭を下げて頼んだ。妹は卒業するまで、ここに残して欲しい。僕が『父兄』として面倒をみる。高校に入ったら、自分の下宿代はバイトで稼ぐけど、なんとか妹の分は出してあげて欲しい。
父は憮然として黙ったまま。母はオロオロするばかり。母は此処に残る訳にはいかなかった。祖母が体調を崩し、故郷に戻って支えなければならなかったからだ。
「好きにしろ。でも新居には、お前達の部屋も作っておくからな。」
半分喧嘩別れのようにして、僕たち親子は別々に暮らし始めた。
母が年に何回か様子を見に来てくれたが、僕たち兄妹が『新しい実家』に帰ったのは、祖母の葬式に出た時だけだった。
妹は部活で忙しかったし、僕は僕でバイトが忙しかったからだ。
こうして、僕たち兄妹は、転校の果てに行き着いた北国の街に住むことになった。
冬は大変寒さが厳しい場所だったが、銭湯の帰り、二人で濡れたタオルをぶんぶん回して、カチカチの棒状にして、アハハと笑い合った。
僕は北海道の大学に進み、就職先も道内と決めている。妹は高校を卒業すると自衛隊に入って吹奏楽を続ける予定だ。
父と母は、僕たちがもう千葉の家に戻ることはないと悟ったらしく、子供達の部屋を改築し、賄い付きの下宿屋を始める、と手紙をよこしてきた。
私は後悔しているのだろうか。あの時、無理矢理にでも、あの子達を本州に引っ張って来た方がよかったのだろうか。それが妻として、母としての私の役目だったのかも知れない。
・・・でも。親子四人でいることが本当に幸せだったのだろうか。それは今でもわからない。
わかっていることは、今までの時間はもう取り戻せないこと。そして、二人の部屋を下宿部屋にしてしまった以上、これからも新たに四人の時間を積み重ねることはできない、ということだ。
“ピンポーン”
ドアのチャイムが鳴った。ほら、時間だ。部屋を下見したいとう人が約束通り訪ねて来たのだ。
私は玄関まで迎えに出る。玄関は二つに分け、直接二階の部屋に上がれるように階段を改造した。お風呂と洗面台とトイレのユニットも設置した。
私と夫が住む一階専用の玄関のドアを開くと、制服姿の二人が立っていた。
「あの、連絡した田口です。親の転勤で私たちは此処に残ることになりまして・・・お電話でご相談したとおり、私は高校生で、この子は中学生なんですが、部屋をお借りすることはできますでしょうか・・・決してご迷惑をおかけしません。私、がんばりますので。」
お姉さんは、小声ながらもしっかりと自分の意志を伝え、学生服の男の子の肩に手を置いた。
私は、ドアを大きく開け、二人を招き入れる。
「さあ、どうぞ入って。ゆっくりお話をお聞きしましょう。」