虹と海色の 落とし物

文字数 1,342文字

「もしもし、落とされましたよ。」

 背後から男性の声がかかる。
 私は祖母と手を繋いだまま振り返る。
 母も釣られて振り返る。

 黒いジャケットとパンツ、黒い山高帽を被った中年の男性が、両手に何かを抱えている。

 毛糸の糸くずのかたまり。最近、祖母からそれがコロコロと落ちるのが少し気になってはいた。

「ああ、それですか。」
 母は、驚いた様子も無く返事をする。

「そうです。そのお婆さまの『思い出』の毛糸玉。」
 私は、その言葉に軽い衝撃を受けた。
 一方、母は、諦めたように言葉を続ける。

「でもそれ、おばあちゃんには戻せないんですよね?」
「残念ながらそのとおりです。」

 それを聞いて母は祖母の手を引いて歩き出そうとしていた。

「でも、映し出すことはできます。」
 母は歩を止める。
「どうやって?」

「ワタクシはコレ専用の『幻灯機』を持っています。」
 彼は、肩にかけているボストンバックのファスナーを開け空け、何やら黒い箱を見せた。

「うちに来てくれるかしら?」
 お母さん!? 私は目で訴えた。この人、無茶苦茶怪しいじゃない。

 母はタクシーを停め、祖母と謎の男を乗せた。私は助手席に座る。

 家に着くと、母はリビングの白い壁を指さした。
「さあ、ここに映して頂戴。」

 男は、ボストンバックを開け、事務的に準備を始める。
 ローテーブルに幻灯機?を乗せ、電源コードをコンセントに差し込む。

 彼は手に持っていた毛糸玉を二枚のガラス板に挟み、それを何セットか作った。
 眩しい光を放つ幻灯機のレンズの前の金具にそのガラス板をセットする。

 最初に映し出されたのは、若い男性。黒い燕尾服に白い蝶ネクタイ姿で優しく微笑んで居居る。

「まあ、武志さん、お似合いね!」
 そう大きな声を発したのは祖母だ。
壁に映し出された男性の姿をうっとりと眺めている。武志さんとは、確か祖父の名前だ。やや色褪せた色彩で映し出された祖父は静止画のまま『君のウェディングドレスは世界一だ!』と声を張り上げた。

 幻灯機の男性は、ガラス板を交換する。
 次に映し出されたのは、女の子。今にも泣き出しそうだ。

「久美子、ごめんね、ちょっとお隣にお出かけしてただけだよ。」
 女の子は大泣きして手を拡げて抱きつく。久美子とは、母の名前だ。

 母は、映写師の男性を振り返る。涙が頬を伝っている。

「ねえ、この思い出、絶対に戻せないの?」
「はい。私の力ではいかんともしがたく。」

 祖母の足もとに、新しい毛糸玉がポロンポロンと転がり落ちる。
 私はそれをかき集め、映写師さんが持っていたものも返してもらう。

「お母さん、これ、もらっていい?」
「そうね、捨てるわけにはいかないし。」

 男はいくらかの報酬を母から受け取り、暇を告げた。

 私は多彩な色の毛糸玉を抱え、自分の部屋に引きこもる。
 毛糸玉をほぐし、縒(よ)り集め、学校の家庭科で習った編み物の記憶を頼りに編み込む。セーターとか手袋とか、そんな手のこんだものは作れない。

 不格好だけど、何とかショールらしきものが出来上がった。
 不思議な色合いだ。虹色のような、深海の蒼さのような。

 最近ロッキングチェアで居眠りしている時間が多くなった祖母にそっとショールをかける。
 祖母は微笑む。
 武志さん、そこに居てくれたの?
 ……って呟きながら。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み