あげちゃったんだもん。

文字数 1,245文字

妻が入院した。

早産の懸念があるので、予定日の一月前から、病室で安静。

この夏。
初めて三歳の娘、美玲と二人きりの生活になる。僕たちの両親は高齢な上に、遠く田舎に住んでいるので、応援は頼めない。

育休と夏季休暇を組み合わせ、妻の退院まで美玲と一緒にいることにした。

二人きりのぎこちない生活が始まる。
食事は僕も土日に作っていたが、平日の朝ごはん、夕ごはんは妻に頼りっぱなし。美玲のデフォルトは、ママの味なのだ。

ずっと家にいても、お互いストレスがたまるだろうと、なるべく外出した。

ママのお見舞い。
これ、美玲は意外とそっけない。甘えん坊と思われないように意地を張っているんだろうか?

プール。
近くの区民プールは、ウォータースライダーなどもあって遊べる。
美玲もおおはしゃぎするが、そうかと思えば、僕と手を繋ぎ、寂しそうな表情を見せる。

スイーツ屋さん。
ネットで調べ、女子に評判の店を見つけ、予約する。
「いらっしゃいませ。美玲様ですね。お待ちしておりました。」
お店に着いて、名前を告げると、娘と僕を丁寧にもてなしてくれる。
「パパ、おいしいね!」
スプーンを片手に娘が微笑む。そして、次の瞬間、寂しそうに下を向く。

父親の限界か、僕自身の問題か。

「お父さん、これは、仮病じゃないんだからね。ほんとに病気なんだから。」
以前、美玲がお腹が痛いと騒いで、かかりつけの小児科に連れていった。そのときに先生に第二子が生まれることを伝え、返ってきた言葉だ。赤ちゃんがママのお腹の中にいて、親がその子ばっかり気にかけていると、上の子がまいってしまう。 
先生は胃薬を処方してくれた。

あの時のことを思い出し、翌日、妻との面会の時間を多くとろうとした。

でも。
「おうち、帰る。」
と美玲から切り出す。
「もう少しいていいのよ。」とママ。

「いい、帰る。」
そう言うと、ベッドに置いてあった縫いぐるみの頭をポンと叩いて、病室を駆けて出て行った。
あの子が、ママと赤ちゃんの用心棒代わりにあげた、ぬいぐるみの『くますけ』だ。
寝るときも遊ぶときもいつも一緒だった。

僕と妻は顔を見合わせた。

美玲を追って階段を降りると、ロビーの椅子にちょこんと座っていた。

僕は、美玲の真似をして、頭を軽く叩く。
それでスイッチが入った。

「だって、ママにあげたんだもん! いもーとにあげたんだもん! さびしくないもん!」
そう言って大泣きした。わんわん泣いた。僕との二人暮らしの間に溜まっていたぶん、涙を流した。

そのあと、街のショッピングモールに連れていった。
おもちゃ売場の奥のぬいぐるみコーナーには、同じクマが五匹並ぶ。
娘は二十分かけて、新しい友達を選んだ。
その子を「くまごろう」と名づけた。親譲りでネーミングのセンスがいい。

その夜。
お風呂から上がると、美玲は、くまごろうを抱いてベッドに潜った。
僕のベッドだ。

熱帯夜でエアコンの効きが悪く、親娘で汗びっしょりだったが、娘は涼しそうな微笑みを浮かべて寝ている。

思えば、この夏、いや今まで僕と一緒に寝てくれたのは、初めてかもしれない。
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