第6話 会田愛菜 END

文字数 4,294文字

私のこれまでは、順風満帆とは言えなかった。
6歳から祖父母に育てられたが、その前の記憶は、4歳くらいからの物しかないが、それは辛く苦しいものでしかない。
22歳になった今でも、大きな音や声が突然すると恐怖で身が縮む。
祖父母に引き取られてからの私は、本当に自分が居ていいのかと戸惑うほど幸せだった。
暴力のない世界。
はじめこそ、母のいない生活が悲しかった。
ここには、母の写真も何もない。母の存在を思わせるものは皆無だった。
祖父母に母のことを聞いても、いつも悲しい顔をするだけで、何も教えてもらえなかった。
祖父母たちなりの配慮だったのだろうと今は思う。
父という存在は私の生活にはなかったから、いなくても気にならなかった。
病院から出て、初めて車に乗って祖父母の家に来た時、初めて自分の部屋というものをもらった。
そこには,大きな机やランドセル、ベッドなどが用意されていた。
見たことのないものがたくさんあって、触れたことのないものに触れた。
でもその空間にしばらくは慣れることができなかった。
一人でいるには広すぎて、綺麗すぎたから。
外に出る事もこわかった。
多くの車が行き交い、人通りも多い。外へ出る度に過呼吸をおこした。
ここでは、ご飯を探さなくても時間になるとちゃんと用意されていて、毎日お風呂に入り、服も毎日きれいなものに着替えさせられた。ぼさぼさの髪は整えられ、痣も次第になくなっていった。
テレビは毎日、好きな時に見ることができた。チャンネルを変えても、もう誰も怒らなかった。
誕生日には大きなケーキと大きな熊のぬいぐるみのプレゼントをもらった。自分の誕生日を7歳で知った。
大きなツリーに飾りつけもした。サンタクロースもちゃんとプレゼントをくれた。
大きなピンクのリボンの付いた子犬だった。最初は触るのがこわかったけれど、子犬の方から近づいてきて鼻をなめてくれた。それからは私の大切な相棒になった。
フワフワした毛並みの雑種だったが、ポンと名付けて、夜は一緒に眠った。
ポンが来てから私は少しずつ、外へ出ることができるようになった。
ポンの散歩がてら、祖母と買い物に出かけることもあった。
祖母はいつも一つだけお菓子を買ってくれた。どれでも好きなものを一つだけ。
初めての買い物で買ってもらったのは、かわいい犬の人形が付いたガムだった。
おまけの犬は少しだけポンに似ていた。
ガムは飲み込んでしまって、祖母はずいぶん慌てていたが、ガムは味がなくなったら吐き出すものだと知った。
何もかもが初めてだったけれど、本当に楽しかった。
小学校には2年生になって初めて行った。
みんな、始めこそ興味津々で話しかけてくれたが、私はうまく返すこともできず、そのうち誰も話しかけてくれる人はいなくなった。過呼吸も度々おこした。勉強にも追い付けず、苦痛でしかなかった。
でも行きたくないとは言えない。
言えば怒られると思っていた。また殴られるかもしれないという恐怖は、どんなに優しい祖父母に対してでも消えなかった。
けれど、その様子を見ていた担任が祖父母と話し合いをした結果、保健室登校から始めることになった。
そこには私と同じようにクラスになじめない子が数人いた。最初のうちは平仮名をノートに写したり、写真を見て物の名前を覚えたりと一人で出来るような勉強ばかりしていたが、次第に一人の女の子と話をするようになり、仲良くなった。
これが初めての友達だった。その友達とはもちろん今も仲良くしている。そのおかげで次第に保健室登校にも慣れ、近所のお姉さんが家庭教師として勉強を教えてくれたおかげで、4年生になる頃には勉強にも追い付けるようになった。
私は母には恵まれなかったものの、その後に出会えた人のおかげで普通の子供になれた。
高校生になったとき、母のことが気になって、ネットで検索をしてみた。
情報はたくさんあった。もちろん私のこともしっかり書かれていた。
虐待の内容や、母の逮捕時の写真から裁判の内容までありとあらゆる情報がそこにはあった。
その中の数件を見てみたが、気分が悪くなり、途中から読めなくなった。
過去の自分が拒否反応を示しているらしい。
それからは二度と検索することはなかった。
高校は成績もまぁまぁのところを維持し、地元の大学へと進学した。
そしてこの春、無事に大学を卒業し、晴れて社会人となる。
大学を卒業した日、祖父から母の話を聞きたいかと問われた。
即答はできなかった。母のことは、今でも理解できない。恨んでいるのとは違う。ただ、分からない。
なぜ、私はあれほどまでに母に嫌われてしまったのか、なぜ殴られるほど憎まれてしまったのか。
辛いことは大人になっても、ふとしたきっかけでよみがえる。
殴られた痛みや、母に言われた言葉、いい思い出があったかすら、分からない。
何も分からないから、今さら知る必要があるのかとも思う。
今でも残る無数の火傷の跡・・・
そのせいで今でも半袖は着られない。
こんな思いをしなければならないほど、私は悪い子供だったのか。
二日間、いろいろ考えて、悩んで。聞くだけなら聞いてみようと決心した。
母を理解するためではなく、自分の為に。これから先の自分が迷いをもって生きなくていいように。
そう話をすると、祖父は1枚の封筒を私の前に差し出した。
「中は自分が読みたいと思ったら、その時に読みなさい。」
裏には 会田愛穂 と書かれている。母からの手紙らしい。
それから私の前に座ると、祖母もその脇に腰をおろした。
祖父の話は母と絶縁する前から始まった。
母はおしゃれが好きで、よく笑うどこにでもいるような女性だった。大学を卒業し銀行に就職。それを機に独り暮らしをし始めた。
2,3年はここに盆、正月には帰ってきたそうだが、その後は仕事を理由に訪れる回数が減っていった。
だが、ある日、結婚したい人がいると連絡がきたそうだ。
祖父母もそれを聞いて、ああこの日が来たかと喜び半分、寂しさ半分で、二人を迎えた。
しかし母が連れてきたのは、格好こそ普通ではあったが、仕事をクビになり無職状態、挙句の果てに離婚して間もないとのことだった。つまり、母と付き合った当初はまだ妻がいたということになる。これから結婚しようというのに、仕事についていないとなれば、それだけでも親なら反対をしても仕方がない。
母は無職の状態だからこそ、この人を助けたいのだと祖父母に結婚の許可を求めたが、せめて仕事が見つかって安定してからにしろと祖父が反対したことで、母は祖父母との関係を切り、その後は私の存在を知るまで消息はつかめていなかった。
その後、収監された母に祖父母が会いに行って聞いた話では、一度は結婚したものの、母の収入に頼りきりで、男は仕事もせず、他に女が出きて母のもとを去ったという。祖父に反対された手前、母は祖父母たちに連絡を入れることもできず、その後は仕事もやめ、点々としているうちに、私の父となる男性に出会った。
2人は結婚することも視野に入れて付き合っていたが、結局、喧嘩別れとなり、その後私を妊娠していることが分かった。妊婦で働くには限界がある。実家にも頼れなかった母は消費者金融からお金を借りて、私を産み、その後は借金を返しながら母子年金とパートで稼いだお金で生活をしていたらしい。
ここまで聞いて、なんかよくある古いドラマの設定みたいだ・・・とすこしおかしくなった。
最初こそ、私のために懸命に仕事をし、生活していたが次第にそれが苦痛になっていったという。
赤ん坊が居てはでフルタイム労働は難しく、頼れる人もいない状態で生活は荒れ始めた。
その頃から、私に暴力を振るい始めたらしい。
私が2歳になる頃、坂本という男とバイト先で知り合い、付き合うようになってからは、私のこと鬱陶しいと思うばかりで、坂本が私に暴力を振るっても、気にしなかったという。
「お前は何一つ、悪くはないんだよ。私たちが愛穂の育て方を間違えただけだ。」
祖父はそう言った。
同情も感傷も何もなかった。とどのつまり、母にとって私は邪魔者ということだ。
100歩譲ってシングルマザーで生活をすることがいかに難しいかは理解できたとしても、そこに私を殴る正当な理由はない。
もっと母には母なりの苦労や辛さもあって、そこに私を殴らざるをえない何かがあったのだと思いたかった。
でも答えはただ母の人生の邪魔だったから。
あまりの理由に、そしてそこに気付かなかった自分を笑いたくなった。
勝手に産んで、勝手に困って、勝手に傷つけていただけで、私に何の否があったのだろう。
「お前には本当に悪いことをしたと思っている。申し訳ない。」
祖父はそういうと涙を流しながら机に手をつき、頭を下げた。
「頭を上げて。おじいちゃんは何も悪くないよ。もちろん、おばあちゃんも。私が今こうして幸せを感じて生きているのは、おじいちゃんと、おばあちゃんがいたからだし、正直、お母さんに恨みもない。というか、恨む気にもならない」
祖母はエプロンで顔を覆ったまま、泣いている。
恨みなんて湧きようもない。私にとって母は過去の人だから。恨む意味もない。
「恨みって、幸せじゃないから湧くものだと思う。自分が不幸だと思うから、恨むことで自分の置かれている状況を理解しようとする手段なんじゃないかな。確かに私は人から見たら不幸な生い立ちかもしれない。それに、人よりも臆病だし、愛が何なのかも正直分からない。でも、でもね。おじいちゃんとおばあちゃんのおかげで、私は今こうして生きてる。幸せを感じることができる。」
「だから、何も謝る必要はないんだよ。」
泣いている祖父母を見ながら、こんなにいい親がいる母がなぜああなってしまったのか、少し不思議だった。
私の記憶にいる母はいつも怒っていて、こんなに優しい目で私を見てくれた記憶はない。
もし、腹を立てるとしたら、ここにいる祖父母を泣かせたことだ。孫に頭をついて謝らせたことだ。
「話してくれて、ありがとう。」
祖父母が居なければ、私はきっと母を恨んでいただろう。もしかしたら、もう生きていないかもしれない。
体の傷が治り痛みを忘れても、心の傷までは今になっても私を苦しめている。
必要なまでに人の顔色を窺い、もめ事を極端に避け、悪夢にうなされる。
火が怖くて、料理すらまともに作ることができず、失敗すること、注意されることに人一倍恐怖を感じる。
それでも、そんな私をずっとそばで守ってくれた祖父母がいたから、私は生きていられた。
だから母を恨むことはこれからもないだろう。私の家族はここにいる。
まだ泣いている祖父母の肩をそっとなでた後、私は手紙をもって自室へと戻った。


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