第6話<2日>

文字数 3,568文字

体が痛い・・・・
そう思いながら目を開けると、真っ暗だった。目は確かに開いているのに何も見えない。
ここは・・・どこ?
すぐ近くで水の流れるような音が聞こえる。空気もどこか湿った感じがする空間だが、まだ何も見えない。
カビ臭い匂いの中に、かすかに花のような香りがする。
私は・・・どうして・・
まだ頭がはっきりしないのか、何がどうなっているのか分からなかった。
頭をふって、目をギュッとつぶり、もう一度目を開いた。
そうだ・・・私、涼の家で・・・・
冷や汗が吹き出す、血の気がひく、全身の毛が逆立つ・・・
意識があるのに、何故か体が全く動かない。まるで金縛りに遭ったかのように、ピクリとも。
眼球だけは動かす事が出来るが、見える範囲は限られているはず。そのどこにも光の気配がなかった。
混乱は究極に達し、動こうともがくが、やはり動かず、ただ感覚と意識だけが存在しているだけで、何も出来ない。
私はここで死ぬの・・・・?
そんな恐ろしいことが頭に浮かぶ。死ぬだけならましかもしれない。もし拷問でもされたら、ここで暴行でもされたら・・・そんなことばかりが頭をよぎる。
「うーうーーうーー!」
叫ぼうとするが、口に何かが詰まって声が出ない。
もう恐怖しかなかった。恐怖が最高潮に達したとき、また意識を失った。


「起きて。ねぇ起きて。」
耳元で声がする。
「起きて」
ハッとして、一気に瞼を上げた。
そこには若い男の姿が見える。しかもかなりの至近距離で。
「やっと起きたね。おはよう。」
少し離れて、笑顔でこちらに話しかけてくる男には見覚えがあった。
ノワールの客だ・・・。
「やっと僕の物になった。どれだけ僕が君を待っていたか分かる?見て、部屋。ここは君のために用意したんだ!」
満面の笑みで話しかけてくる。やはり体は動かず、意識と感覚だけ。先ほどとは比べものにならないくらい眩しい光が当たっている。周りにはコンクリートむき出しの壁が見える。
「あぁ声が出ないよね。ちょっと待ってね」
そう言うと、私の口に入っていた詰め物を取り出す。
「何がしたいの!何なのこれ!家に帰らせて!私に何したのよ!」
「そんなに一気に質問されても困るよ。傷つけたりしないから、大丈夫。」
男は動じることもなく、何かしながら私に返事をする。
「何がしたいか・・・うーんと、絵が描きたい。家にはまだ帰れないかな。だって描き終わってないもの。何をしたかは・・・・何もしてないよ。ここに連れてきただけ。まだね。」
絵が描きたい・・・全く理解が出来ない。絵が描きたいって何?
混乱している私に男が近づく。油の匂いがする。
「何!何するの!」
動かない体に近づくと、私の肩の下に片手を差し入れ、起き上がらせた。
「見えた?ここが君の部屋だよ。」
部屋の隅に小さな池を模した場所が目に入る。まるで舞台セットのような見覚えのある風景・・・・
―オフィーリアー
「・・・・・・・・・・」
言葉を失った。絵が描きたいとは、もしかして・・・・
「僕はね、オフィーリアを描きたいんだ。あのミレーの描いたオフィーリア。君も見ただろう?あの美しい描写を。生と死の間の一瞬を描いたあの絵を。知っている?あの絵に描かれている花の意味。ミレーは全てに意味を込めてあの絵を描いたんだ。僕はあの絵をどうしても完璧なものにしたい。本物をモデルにして、初めて完璧になるんだ!」
狂っている・・・・・
きっと何を言っても通じない・・・・この手の人間には理屈は通じない・・・・
「綺麗だろ?後は君が必要だったんだ。この絵の最後のパーツとして」
「なんで・・・」
「ん?何?」
「なんで私なの・・・」
私とオフィーリアはどんな見方をしても似ていない。髪の色も。肌の色も、顔のパーツもどこをとってもオフィーリアにはなり得ない。
「君は僕のオフィーリアなんだよ。ミレーのではなくね。あの店で君を見たときから、君と会話したときから、もう僕は決めていたんだよ。僕のオフィーリア。」
そう言うと私の手の甲に軽くキスをする。気持ち悪くて振り払おうにも体は動かない。
「やめて、気持ち悪い!」
バンッ、バンバンッ!!!
私の言葉と同時に、私を支えていた手を離し、台を力一杯叩く。
支えを失った私は、そのまま後頭部を台に打ち付けた。
目の前に火花が散り、鋭い痛みが頭を襲う。それを見た男は慌てて私を支え直すと、打ち付けた後頭部の髪をかき分けながら確認をする。
「だめだよ。そんなこと言ったら。頭は大丈夫みたい。血は出てないよ。」
能面のように張り付いた笑顔。その顔は崩れることはない。
「まだオフィーリアになれてないんだね。でも大丈夫。綺麗にして、服を着替えたらきっと君も気に入るよ。」
「私はオフィーリアじゃない。」
「うーん。それは僕が決めることだから。」
本当に理解が出来ない。話せば話すほど意味が分からなくなる。
男は私を再び台の上に寝かせると、部屋のどこかで何かをしている。
ここからでは何をしているか見えない。見えないからこそ怖い。
心臓の鼓動は早くなる一方で、息苦しい。恐怖は常に頭を支配し、冷静さを保てずにいる。
しばらくして男が戻ってくる。
「僕は見たんだ。ある日の晩に川に浮かぶオフィーリアを。ただそれは僕のオフィーリアではなかった。残念だけど。でもそのおかげで、僕はオフィーリアを描かなくちゃいけないことに気がついたんだ。だから、探したよ。僕だけのオフィーリアをね。そしたら君が現れた。運命だと思ったよ。」
男は絞ったタオルで私の腕を拭き始める。優しく撫でるように。
私はその不快感に目をつぶる。
「君は僕に笑ってくれたんだ。満面の笑顔で、僕を見つめてた。その瞳は透き通ってみえた。あぁこの目が虚ろになる瞬間がきっと僕の求めていた物になるって確信したよ。」
男は私の服のボタンを外しにかかる。
「何するの!やめて!いや!」
必死に訴えるが、男の手は止まらない。
「やっぱり、君の肌は綺麗だ。でもちゃんと拭かなきゃ。汚れていたら台無しになる。」
涙があふれる。嫌悪感と不快感でグチャグチャな感情は言葉では言い表せず、喉が詰まる。
服を全部剥ぎ取ると、丁寧に体を拭かれていく。全裸で寝かされているであろう自分を想像するだけでも気が狂いそうだった。
「泣いちゃだめだよ。目が腫れちゃう。後で氷持ってくるからね。大丈夫。綺麗だよ。」
何が大丈夫なものか!体さえ動けば、コイツを殺してやりたい!
自分が人を本気で殺したいと思う時が来ることなど、想像もしていなかった。私の小さなプライドや羞恥心もズタズタに切り裂かれ、今すぐここで死んでしまいたいほどの屈辱を味あわされている。
理由なんてもうどうでもいい。何故私なのかなんてことも、どうでもいい。
この恐怖と屈辱から抜け出せるのであれば・・・・
「さぁ、綺麗になったよ。お化粧の前にその目をどうにかしなくちゃね。一番大切な部分だから。」
そういって男はどこかへ歩いて消えていく。気配すら感じなくなったという事は、ここではないどこかへ行ったのだろう。一人にされた空間で、天井につるされたライトを見る。
天井はそんなに高くない。もしかしたら、ここは地下なのかもしれない。でもどこの・・・・
今頃、私を誰か探してくれているだろうか・・・・そういえば・・・スマホ!
涼が私のスマホに位置情報アプリを入れてくれたはず。電源さえ入っていれば、ここを見つけてくれるかもしれない。確かズボンのポケットに・・・
脱がされた服を視線を動かして探してみるが、見えない。
あいつが気づいていなければ、もしかしたら・・・・。
そんな小さな希望が湧いた。間に合ってくれたら、生きて出られるかもしれない。
「ごめんね、一人にして。氷持ってきたから、冷やそうね。」
急に頭上で声がして、ビックリしたものの、すぐにタオルで目を塞がれ、冷たい感触が瞼を覆う。
「目の腫れがひくまで、他の所を綺麗にしようか。」
唯一の視界を塞がれ、見ることが出来ないことで更に恐怖が増す。
左手をつかまれ、親指を握られる感触がする。そして指先に冷たい金属のあたる感覚・・・
パチンっという音とともに指先に衝撃が走る。爪を切っているようだ。
右手も指も全て爪を切られ、ヤスリをかけられる。丁寧に丁寧に、1本づつ整えられた頃、やっと目からタオルがはずされた。
「うーん。もう少し腫れてるけど、今日はこれくらいにしておこうかな。冷やしすぎも良くないし。お化粧は明日だね。衣装も明日着せてあげるから。」
そういいながら、私の上に白い布をかぶせる。その上から毛布らしき物が乗せられた。
「風邪ひいたらいけないから、今日はこのままお休み。トイレとか行けないだろうけど、また明日綺麗にしてあげるから大丈夫だよ。」
そういって、私の腕に注射器で何かを打ち込む。
ゆっくりと薄れていく意識の中で、最後に見た物はやはり男の張り付いた笑顔だった。
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