第7話<1日>

文字数 2,683文字

窓も何もない空間では目が覚めても、時間が分からない。
まだ真っ暗な状態の中にいるという事は、あの男はここにまだいないという事だろう。
相変わらず体は動かない。
喉が渇いて、口がひっつく様な感覚がする。
そういえば昨日から、何も口にしていない。しかし自分で動けない以上、水を探すことも不可能だ。
そう思うと、部屋に響く水音がやたらと耳について、余計に水が欲しくなる。
頭の中が水のことで一杯になり始めた頃、頭上の電気がパッと付いた。
いきなりの光に目がくらむ。
目がなれてきた頃、男は私の隣に立っていた。
「水、持ってきたよ。少し飲もうね。唇もカサカサになってる・・・」
唇を指でなぞりながら、ゆっくりと私を抱き起こす。コップの縁を唇にあてて水を流し込まれるが、上手く飲み込むことが出来ない。
それでも、口の中の不快感は軽減され、喉の奥を少しずつ通る水の感触が堪らなかった。
「またあとで、もう少し飲もうね。今日は君を完成させなくちゃ。」
毛布を取られ、白い布を剥がされると、また裸の自分が男の目にさらされる。
「綺麗にしたら、衣装を着せてあげるよ。楽しみだね。」
もう恐怖は感じなかった。全てが夢の中の出来事ように主観的に自分を見ている私がいる。
男は昨日と同じようにせっせと私の体を拭いている。それが終わると、髪の毛を洗い始めた。
念入りに時間をかけて長い髪を洗い、乾かし梳かす。まるで人形遊びをしている子供のように、楽しげに。
それから私に服を着せていく。どこから手に入れたのか、中世の貴族がはめていた様なコルセットからはじまり、淡い緑色のドレスを、私の体を上手く動かしながら着せていく。
男が触れた所、全てが気持ち悪い。
私には自分がどうなっているのか見ることは出来ない。窮屈な衣装であることが分かるくらいだ。
「あぁぁ。やっぱり君は僕のオフィーリアだ。なんて美しいんだろう。」
まるで自分の作品に酔いしれる様に男は雄叫びをあげる。そして私の顔の前に自分の顔を近づけると、唇に軽くキスをする。そして私に化粧を施し始めた。
「大丈夫。僕が君を最高の物に仕上げるから・・・」
やたらと大丈夫と言うが、私は全く大丈夫でもないし、そんな言葉で私が安心するとでも思っているのだろうか。
男の息づかいさえ聞こえる程の至近距離で化粧をされる。よく見れば、この男自身、綺麗な顔をしている。
決してコンプレックスを抱くような顔ではない。むしろ、女性に振り向かれるレベルの顔だ。
「オフィーリアを描き終えたら、どうするの?私を殺すの?」
男は化粧筆を止めると、驚いたような顔をして私を見る。
「なんで殺すの?僕のオフィーリアなのに。大切に保管しなきゃ。殺したら全部終わっちゃうでしょ?」
「いっそ、殺して。こんなの耐えられない。辛いの。私が大切なら・・・」
「だめだよ!僕がやっと見つけたんだ。君は僕の物。だから、君は何も心配しなくて良いよ。僕がちゃんと面倒見るから」
なんでそんなに嬉しそうな顔が出来るのか・・・この男はこれが犯罪だと理解しているのだろうか・・・
「私をここに連れてきたこと、犯罪だって分かってる?」
「なんで犯罪なの?僕の物を持ってきただけだよ。人の物は持ってきちゃだめだけど、君は僕の物だから、ここに持ってきても、犯罪にはならないよ。」
そういうとケタケタ笑う。
本当に分かっていない、これが悪い事だとは考えてもいない。そんな相手に私はどう抵抗したら良い?
「私はあなたのものじゃない。オフィーリアでもない。」
「オフィーリアは君で間違いないよ。」
それきり男は黙ってしまった。そしてまた筆を動かす。
全てが完成し、男は道具を片付けると、私を抱きかかえた。
力の入らない体は男のなすがまま運ばれていく。
連れて行かれたのは、あの作られた小さな池の中だった。男の腰くらいまでの深さの池の中には、水面すれすれに台が設置してあるらしく、私はそこに寝かされた。顔の半分が浮いている状態で設置される。
私にも分かる。あのオフィーリアの絵と同じ構図なのだと。
そして私の周りを慎重に花で飾っていく。
「死、貞節、無邪気、無駄な愛、後悔・・・・」
花を一つ飾るごとに、男の口から言葉が添えられる。
全て飾りおえたのか、男は私をその場に残すと、ゆっくりと池から去って行く。
冷たい池の水は私の体温を容赦なく奪っていく。
「ほら、ほら!君はやっぱりオフィーリアだ。完璧だよ!素晴らしい!」
一段と大きな声で歓喜したかと思ったら、急に静かになる。
男がガタガタ音を立てながら、池の外で作業をしている間も私はそこに置かれたままだった。
白いキャンバスが私の視界の隅に入る。
絵を描くのか・・・・
鉛筆がこすれるような音が鳴り響く。
視線を感じるのは、私を見て絵を描いているからだろう。
ああ、そういうことか。
ここにきてやっと男の目的が全て理解出来た。男はただオフィーリアを描きたかっただけなのか。
男の中のオフィーリアに私が当てはまってしまったのか。笑顔で接客したせいで、会話をしたせいで、私はオフィーリアになってしまったのか。
男は必死にキャンバスに向かって描いている。オフィーリアに取り憑かれた男・・・・
ガタンッ!
「ああ!!違う、違うんだ!目が、目がもっと虚ろでないとだめなんだよ。」
急に男は立ち上がり、私を池から出して元の台の上の乗せると、頭を掻きむしりながら、独り言をブツブツ言い始める。そうかと思ったら、急に気配がなくなり、また一人私は取り残された。
私はどうなるんだろう・・・。
すぐに戻ってきた男は点滴の管の様な物を私の腕に差し込む。
「これできっと君はもっと綺麗になる」
管からポタポタと落ちているのは、血液だった。見る間に私の視界にもその赤褐色が目に入る。
私の血・・・・
抵抗も出来ない体では、広がっていく血溜まりを見ている事しか出来ない。
そのうち、眠いような気が遠くなるような感覚に襲われ始める。すると男は私の腕からその管を抜き、血を
止め始める。
「君はもう、ここから出られない。僕の物だ。オフィーリア。」
耳元でささやき、そっと私の頬を撫でる。この世界に酔いしれる様に、男の目も虚ろだ・・・。
しばらくして、また男は私を抱えて、池の中へ・・・・
動いた花を元に戻すと、ゆっくりと去って行く。
さっきと同じ態勢で設置された私は、薄れそうな意識の中、池に漂っていた。
また、沈黙の中、男の筆を走らせる音だけが響いている。
オフィーリアはこんな気分だったのだろうか・・・・
私はオフィーリア・・・・なのだろうか・・・・・・
あぁもう無理・・・・・ごめんね・・・・・
私の意識はもう持ちこたえられず、目を閉じた。
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