第8話<1日-4>

文字数 2,033文字

やっと家に帰ったのはもう月が昇り始めていた。
玄関先で靴を脱ぐや否や、祖母の罵声が響いた。
「あんたって子は!なんで昔からそんななの!あんな写真まで撮られて!恥ずかしいは思わないの!高校生にもなって、何しに学校へ行ってるの?え!恥ばっかりかかせて、そんなに私に恥をかかせたいの?だったら、ここで裸になって、外で走り回れば良い!」
背中を思い切りたたかれる。母はそれを止めようと、必死に祖母の手を押さえる。
私は玄関から中へ上がり込む。這いつくばるようにして、祖母からの攻撃から逃げた。
「待ちなさい!あんたも手を離しなさい!」
母と祖母がもみ合いになる。
2人は結局、その場にへたり込む形になり、祖母がその隙に靴のまま、私の所まで追いついてくる。
「あんたがそんなんだから、私が周りから孫の話聞かれても答えられないんだよ。この出来損ない!なんで普通に出来ないんだ!」
祖母は諦めずに、私の事をたたいてくる。
平手だし、老人なので痛みは少ないが、祖母の口から出てくる呪いのような言葉に、深く胸をえぐられる。
母は止めようとするが、頭に血が上っている祖母は暴れまくっている。
私は何も持たず、一心に玄関を目指し、靴を持って飛び出した。
背中からまだ祖母の罵声が飛んでくるが、振り向かずに走った。
時々、後ろを振り返りながら、必死に。
気がつくと、いつものあの河川敷にたどり着いていた。
足の裏が傷ついたのか、ひどく傷む。ようやく持っていた靴を履いた。
夜の河川敷は初めてだった。暗くて川の流れもよく見えない。どこかに虫がいるのか、風流にもチロチロチロという泣き声がする。ああ、もう秋なんだなと思いながら、いつもの場所に腰を下ろした。
祖母に言われた言葉が今も頭でループする。
出来損ない・・・・
そう、私は出来損ない。顔も体も頭も・・・全部、何かを忘れて生まれてきた。
何一つ誇れる物もなく、人に嫌われるだけの、出来損ないだ。
例え今日写真の件が片づいたとしても、明日から私はどんな顔をしてあの教室へ入れば良いというのか。
私の顔が悪いのは私のせい?私が貧乏なのは私のせい?性格が暗いのも私のせい?
前向きに生きろと啓発本は言う。容姿よりも性格だという人もいる。お金よりも愛だという人もいる。
でも私にはそれを受け入れられるだけの、余裕はない。
確かにそうなのかもしれない。ただ私が卑屈に捉えているだけかもしれない。
でもこんな状況で、どう前向きに生きられる?容姿も性格もだめならどうすれば良いの?愛でお腹がふくれるの?そんなことばかりが頭に浮かんで、その度に自分が汚い人間のように思えた。
大人になれば、いろんな事が解決出来るかもしれないと考える事もある。
就職してお金を稼げば、表面上の自分は変えられるかもしれない。
化粧して、容姿を磨けば自信も付いて、変れるかもしれない。
でも、今この状況を乗り切るだけのスキルがなさ過ぎて、ただ声を殺して生きていくのが精一杯で、苦しいまま何の為に生きているのかも分からなくて。
私はただ普通に生きたかっただけ。
友達とくだらない事で笑い合ったり、たまに豪華な外食に出かけたり、優しい祖母に頭を撫でられたり、そういう普通に生まれたかった。
でも現実は違う。どんなに頑張っても、そんな普通は訪れない。
小さな虫の鳴声とサラサラ流れる川の音がやけに大きく聞こえる。
立ち上がって、そっと川岸に近づいて見る。伸びきった草の向こうには川が流れているはずだ。
もう一歩だけ前へ進む。斜めになった足下に少しふらつきながら、そこで足を止めた。
スマホを取り出す。母と祖母、そしてあいつらに、それぞれメッセージを残す。
感謝も恨みも願望も全てをその文面に載せる。そして、スマホと靴をその場においた。
これでおしまい。
もう何の思い残しもない。きっと祖母は怒るだろう。体裁が悪いと詰るかもしれない。
でも、もう何を言われても、私には聞こえなくなる。
あいつらは反省なんてしないだろう。それでもいい。もうあいつらに怯えることはない。
母は悲しむだろう。母のことは気にかかる。それでも、身軽になって新しく良い人生を送って欲しい。
ここから先は、私の自由。私はこれで自由になれる。
私はもう一歩前へ進む。
まだ川にはたどり着かない。もう一歩、もう一歩・・・・
やっとつま先に水が染みる位置まで来た。そこで後ろを振り返る。
今までの苦しみをちゃんとここに置いて行けるように。
河川敷を照らす僅かな光だけが私を見送ってくれている。
そのまま前へ進み、もう腰の位置まで水につかっている。もう少しもう少し前へ。
進めば進むほど先へ行くのが困難になるが、それでも水を掻いて進んだ。
水の流れが急に速くなり、足を取られる。
そのまま水の渦へと引き込まれた。もう足は付かない。
肺の空気が一気に水の中へと吐き出される。
覚悟して水に入ったのに、体は酸素を求めて水面へ出ようともがく。
それでも水流は私の体を離さない。
苦しい・・・・・くるしい・・・・
もがきながら、私の意識は途切れた。
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