第3話<4日-3>

文字数 3,390文字

タクシーを降りて、マンションの一つ目の自動ドアを抜ける。広くはないがセキュリティ対策がしっかりしたマンションだったのでここに決めた。職場からは少し遠いが家賃も中心部よりは安く、静かなのも気に入っている。
自分の部屋番号の書かれたポストの暗証番号を押して中身を取り出すと、そのまま握りしめてエレベーターで5階まで上がった。指紋認証で鍵を開け、我が家に到着するとテーブルに荷物を置いて、そのままお風呂に入った。
濡れた頭をバスタオルで拭きながら、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して一口飲む。
テーブルに投げ出したままの荷物を片付けてから、ポストから持って上がった郵便物に目を通す。
DMに何通かの請求書と一緒に、見慣れない封筒が紛れていた。
確かに私宛の手紙だが、裏には差出人の名前はない。
中身は堅い紙のような物のようだ。
なんか嫌な予感がする・・・・・
そう思いながらも、封を開ける。中から出てきたのは・・・・そう「オフィーリア」。
絵はがきであろうその中身は、あのSNSに貼り付けてあった物と同じ絵画だった。
「ひゃぁ!」
よく分からない声と同時に、そのはがきを床に放り投げた。
初めて本当の危機感を感じた。それまではまだ、私の気のせいだと思っていた部分が大きかったが、気のせいではない。あの絵は、何らかの意図を持って私に送られてきたものだ。
しかも、住所を相手は知っているという事だ。
そう考えると、鳥肌が立つほど恐ろしくなり、慌てて涼に電話をかけた。
しかし、仕事中なのか電話に出ない。留守番電話のメッセージが流れてくる。
とにかく急いで電話が欲しいとメッセージを残した後、SNSでも涼に連絡をした。
一人でいることが堪らなく恐ろしい。自分の心臓の音でビックリするほど恐怖を感じていた。
相手の目的も、姿形も何も分からない。意味が分からず混乱してそれが余計に恐怖だった。
「オフィーリア」
ハムレットの中に出てくる女性で、劇中の台詞に出てくる、不幸にも川に落ちて浮いている時に、古い歌を口ずさみながら、泥水に沈んでいくその一瞬を描いた作品。そんな絵画を私に送ってくる意味が分からない。
もしかして、殺人予告?とか考えてしまう。こんな風に私を殺すといいたいのか・・・・いや、殺したいのなら何かしら恨み言ぐらい書いてもいいはず・・・では何故、住所まで調べてこれを送りつけてくるのか。
考えれば考えるほど、迷宮に迷い込んでしまう。都合の良いように解釈したいが、気味が悪すぎて、悪い事ばかりが頭に浮かぶ。
スマホを握りしめ、寝室の隅に座って震えることしか出来ない。
一応、包丁をベッドの上に置き、寝室の扉に鍵をかけてはいるが、そんなことでこのパニックは収まらない。
ひたすら扉とにらめっこをしていると、突然、耳をつんざく程の着信音がなった。
実際にはそんなに大きな音ではないはずだが、恐怖に支配されている状態では、音すらまともに聞こえない。
体が跳ね上がり、心臓が今にもはじけそうな状態の中、スマホの画面に目をむけた。
「坂崎涼」
その文字を見ると同時に、慌てて電話に出る。
「どうしたの?なんかあったの?」
その呑気な声を聞いて、体の力が少しだけ抜ける。
「あの・・・あの・・・」
上手く言葉が出てこない。
「大丈夫?なに?どうした?危険な状態か?おいっ!」
言葉が出ないことで何か感じたのか涼の声が荒くなる。
「あの・・・・どうしよう・・・怖い・・・」
「今どこ?家?警察行かせるか?とにかく落ち着いて話せるか?」
落ち着けと言われても、どうしたら良いのか分からない。涙があふれて余計に言葉に詰まる。
「とにかく、誰か行かせるから!家でいいな!俺も抜けれたらすぐそっちに行くから。」
「いや!電話切らないで、通報も良いから、とにかく少しで良いから、切らないで」
電話を切ろうとする気配を察してやっと言葉が出る。
涙を拭い、深呼吸して息を整える。
「何があったか話せるか?あんまり時間は無いけど・・・不安なら誰か行かせようか?」
「ごめんなさい。忙しいのに。話すにしても、時間がかかるから、仕事終わったらこっちに来てくれない?とにかく、どうしていいか分からない。どうすればいいか・・・ここにいることも怖い。」
震える声で、何とか分かるように説明したいが、仕事を抜け出せないことは分かっているし、これが事件なのかも分からないのに、警察を呼ぶのも気が引けた。
「分かった。とりあえず、梨沙に行かせるから、それまでは家から出るなよ。梨沙だと確認するまで玄関も開けるな。早めにそっちに行くから。」
「ありがとう。」
そう言ってやっと電話を切った。梨沙というのは涼の妹で私も仲良くしている。私より2つ下だが、兄と同じく警察官を目指しているだけあって、私よりもしっかりしている上に強い。空手3段の腕前だ。
涼の声を聞いて少し自分を取り戻した私は、それでも足に力が入らないほど恐怖に駆られている自分に気がつく。
片手にスマホ、片手に包丁をもったまま這って寝室のドアまでたどり着く。
その手すりを支えに立ち上がる。何とか立ち上がる事が出来るようになった。
そっと鍵を開けて、ドアをひらく。
電気は全てつけっぱなしの状態で、周りはしっかりと見て取れる。
何も変わったことはなく、シンとした空気だけが充満している。
足をソロッとドアから出して、ゆっくりとキッチンへと進む。
机の下にあのオフィーリアが落ちている。白い顔とうつろな瞳が私に向いているような気がして、目をそらす。
恐怖は消えていないが、梨沙が来てくれるという安心感からか肩から力が抜けていく。
包丁を机の上に置いて、椅子に腰掛ける。
丁寧な字で書かれた私の家の住所。真っ白な封筒の縁にはうっすらとレースの模様が浮き出ている。
その文字にも見覚えはない。
触る気にはならないが、目に入ったその封筒をじっと見つめていた。
――ピンポンーー
また急に鳴った音に、一気に体が硬直したが、梨沙かもしれないと思いモニターの前まで進んでカメラで確認をする。やはり梨沙だった。
「瑞季さん、大丈夫?あけて」
手元のインターホンを操作して1階の自動ドアを開ける。
私は玄関の前で梨沙を待ち、梨沙が玄関に入ってくるなり、抱きついて泣いてしまった。


「落ち着いた?」
私にココアを入れてくれながら、梨沙が話しかけてくる。
「うん。ゴメンね。取り乱して・・・」
持って来たココアをテーブルに乗せながら、
「そろそろ話せる?兄さんが取り乱して連絡してきたから、心配してると思う。私もビックリしたし・・」
「夜中にゴメンね。どうして良いか分からなくて。」
そういって封筒と絵はがきを梨沙の前に置いた。
「何これ?なんか有名な絵?どっかで見た気もするけど。コレがどうしたの?」
封筒とはがきをいろんな角度から見ながら梨沙が不思議そうにしている。
他の人から見れば、タダの封筒と絵はがきだ。私にとっては恐怖の対象だとしても。
今までの経緯を細かく話をして、今日帰ったときにポストに入っていたその封筒の意味を梨沙が理解するまでにそこまで時間はかからなかった。
梨沙はその封筒と絵はがきをジップロックに入れて封をする。
「瑞季さん、警察に相談した方がいいと思う。いたずらにしては度が過ぎてるし、SNSの人と同一人物としか思えない。今はストーカー規制法もしっかり出来てるし、相談だけでもして、巡回してもらうだけでも違うと思う。もしくは兄さんの家に一時的にでも避難するとか。」
いれてくれたココアに口をつけながら、梨沙の言葉に耳を傾ける。
本当に心配してくれたのだろう、ほぼ寝間着の状態の梨沙を見て、申し訳ないという気持ちになった。
「住所を知られたことに気がついて、たぶん部屋にまで来ることは無いと思うけど、怖くなって。けど、ただの絵で警察に行くのもためらわれるし。でも梨沙が来てくれて良かった。ありがとう。」
実際、梨沙が来てくれて大分落ち着いた。たかが絵はがき1枚に振り回された自分が何だか滑稽だった。
それでも、誰かがこの絵はがきを、何かの目的で私に送ってきたことには違いない。
「とにかく、兄さんが来たら相談しよう。私も来るまではここにいるし、心配せずに眠れるなら少しでも眠って」
私は笑みを返しながら、それでも眠ることは出来ないだろうと思っていた。
今寝たら、悪夢を見そうで怖かった。あのオフィーリアの夢を見てしまいそうで・・・・・・
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