第15話 天井に開いた穴

文字数 1,671文字

「ここの株式欄に並んだ会社の中から一社を選んで切り取るんです」
「それで?」
「その紙を植木の根っこのところに埋めておきます。そうすると、木の成長に合わせてその会社の株価が上がっていくんです」
「幾らです?その植木は」
隣の男の話を榊原は熱心に聞いた。
榊原は身体を壊して会社を辞めてから、妻の宏子と定食屋を開いた。会社の同期で、仲の良かった田中が、暖簾を仕舞おうとしたところにやってきて、久しぶりに飲みに行こうと誘った。片づけはやっておくとからと宏子が二人を送り出した。
そして、二人が入った駅前の小さな居酒屋で、二人の会話を聞いていた隣の男が話しかけてきた。
「お気に障ったらすみません。お金にお困りのようですね」
そう言って、男はカバンから植木鉢と経済紙を取り出して、話を切り出してきたのだ。
「榊原、やめとけよ。こんな超がつくくらいインチキな話は聞いたことないぞ」
「いや、面白いじゃないか。やってみるよ」
田中が止めるのを聞かず、榊原は財布から三万円を抜き出して男に手渡した。男は榊原が指差した会社を丁寧に切り取って植木の根元に埋め込んだ。直接太陽には当てないで部屋の中で育てるようにとのことだった。
「究極の無駄使いだな」
「ストレス解消だよ」
榊原は、どうせ遊びなら、思い切りやらないと面白くないと、店舗の拡張資金で貯めておいたお金の半分を使ってその株を買った。
株は買ったそばからジワジワと上がり始めた。本当のところ話を信じていなかった榊原もこれはよもや本当かも知れないと、残りの資金も全て継ぎ込んだ。
経済紙を拡げることが多くなった榊原に宏子が探りを入れてきたが、榊原は素知らぬ振りをして誤魔化した。部屋の隅に置かれた植木はどんどん成長していき、それに連れて株価もどんどん上がっていった。瞬く間に何十倍にも膨れ上がり、その金額の多寡に榊原はすっかり仕事が手に付かなくなってしまった。
「あの話、本当だったよ」
「信じられないな。でもとにかく儲かったんだったら早く売った方が良いんじゃないか」
そんな田中の助言を榊原は聞き流した。
懐が豊かになってくるにつれ、出費も増えていった。榊原は店に立つこともなくなり、夜な夜な飲み歩くようになった。お金の匂いは色んな人を呼び寄せた。そんな人たちに煽てられ、足りない分は貸すからと言われ、都心の高層ビルに大きなレストランを出すことにした。内装工事も終わり、レストランでお披露目パーティを催した。バンドも入り、派手派手しく着飾った男女が踊り狂った。パーティには宏子も呼んだが、居心地が悪いと言って早々に帰ってしまった。榊原は夜通し飲み明かし、そのままソファで寝てしまった。
翌朝、二日酔いの頭を抱えて、いつものようにスマホでチェックすると、株価が少し下がっていた。買ってから毎日上がり続けてきたが、そんなことは初めてだった。何度も見直したが、見る度にジリジリと値を下げて行った。
榊原は急いで家に帰り、部屋の中の植木を確認した。青々と大きく育っていて何の問題も無さそうだった。しかしよくよく見ると、先っぽが天井に着いて少し頭を垂れていた。「これに違いない」
榊原は急いで鋸を持ってきて天井に穴を開け始めた。宏子が入ってきて驚いて大きな声を上げたが、榊原は必死の形相でひたすら鋸を引いた。
そんな榊原の行為も虚しく株価はその後も下落の一途を辿った。榊原は懸命に植木に水を注いだが、それが原因で却って根腐れを起こす始末。植木は葉を落とし、株価も急落、そして榊原には借金だけが残った。
暫く放心状態にあった榊原は、数日経って、ようやく言葉を口にすることができた。
「すまん。お前に借金を背負わせる訳にはいかないので離婚しよう」
「……そんなに多くは無いけど、ずっと貯めてきたから。これでやり直さない?」
手渡された通帳には、不規則に、細かい金額が並んだ入金明細が載っていた。

榊原はまた厨房に立つようになった。宏子も忙しく立ち回り、客足は途絶えなかった。店の二階にある部屋には、天井の隅にいびつに切り取られた穴がぽっかり開いていた。
       (了)
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