第7話 リモコンを置いて

文字数 1,487文字

最後の荷物が運び出され、智子の家具が置いてあったあとがいびつにぽっかりと空いていた。
この部屋には三年前から智子と住み始めた。ここに住み始める前は別々に部屋を借りてお互いの家を行ったり来たりしていたが、家賃を二重に払うのも勿体ないからと二人で此処を借りて住むことにした。重複する家具はどちらかを処分して、僕らの共同生活は始まった。
智子と結婚しないのかと問う友人も居たが、僕らは自然に惹かれ合っていて、結婚なんて型にはめる必要を全く感じなかった。永遠という時間を体験したことはないが、智子が居ない明日が来ることが想像できなかったから、結婚などしなくても、こういう生活が永遠に続くのだろうと勝手に思っていた。
絨毯に食器棚の跡。お湯を掛けて叩くと元に戻ると書いてあったがそんな訳はなく、何度繰り返しても、凹んだままだった。
智子の家具が無くなったせいでたちまち困ることが出てきた。ダイニングテーブルも無ければソファテーブルも無かったので、あり合わせの食材で作った肉野菜炒めを段ボール箱の上に置いて、ソファから前のめりに屈みながら頬張らなければいけなかった。
八畳の部屋には不釣り合いに大きなテレビが鎮座していた。このテレビを買ったとき、智子は最初、食事中はテレビを観るのをよそうと言ってたが、いつの間にか何をするにもテレビはつけっ放しになり、そして徐々に僕たちの間には会話がなくなっていった。
そのテレビのリモコンが智子の引っ越し荷物の中に紛れ混んだのか見当たらなかった。僕はスマホを手に取って、一瞬の躊躇いを振り切って智子に電話を掛けた。
「どうしたの?」
「いや……荷物は落ち着いた?」
「全然、これから」
「……」
「何か?」
「いや、テレビのリモコン、荷物に紛れ込んでないかと思って……」
「分かんない。荷物全然片付いてないし。見つかったら送るから」
その後、智子からの連絡はなかった。
毎日、灯りの点いていない部屋に帰り、一人分の食事を作った。湯船にお湯を溜めることはもうなくなった。大して面白くないテレビをつけたままソファで寝てしまう日が多くなった。
恋人どうしが別れる理由は様々だ。
 聴きたい音楽が違う。いびきがうるさい。家事を手伝わない。食事の時にくちゃくちゃと音を立てる。浮気。
きっとそれらは理由ではなくきっかけだろう。それにしても僕らの場合はそのどれにも当てはまらなかった。何がどうというわけではなく、何故か急にずっと一緒に居られる気がしなくなってしまった。そういう気持ちに片方だけがそう思ったとしたなら、時間が過ぎればやっぱり一緒が良いと、元の鞘に戻るものだと思うが、二人ともがその波長で合ってしまい、別れ話のスイッチが入ってしまった。
智子が出て行って一年が経った頃、会社の帰り道、家で料理を作る気がしなかったのでコンビニで総菜を買った。家に向かう途中、前を歩いていた智子を見かけた。
「智子」
周囲を憚らず大きな声を出すと智子が振り返った。
「ああ……丁度良かった。リモコン見つかったから。はい」
 追いついた僕に小さな手提げ紙袋が渡された。中を覗くとリモコンだけが入っていた。
「有難う」
「じゃあ」
「あの……智子、久しぶりに一緒に晩御飯でも食べない?こんなだけど」
コンビニの袋を顔の高さまで掲げた。
「ご飯は作ってるの?」
「今日はこんなだけど昨日は作ったよ」
「何を?」
「えーっと、なんだっけ……」
「はは……このテーブルちょっと低くない?」
段ボールのテーブルの隅には智子が持ってきたリモコンが置かれていた。
僕たちは、何も映っていない黒いディスプレイの前で他愛のない会話をした。
       (了)
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