第4話 親心

文字数 1,768文字

僕の十五歳の誕生日の翌月、母が亡くなった。
父は早くに亡くなってしまい、ずっと母に育てられた。僕は引っ込み思案で人見知り。通学を除いて一人で出かけることは殆どなく、出かけるときはいつも母と一緒だった。僕もまだ子供だったので、その状況をマザコンと言うのは適切ではないだろう。単に甘えん坊だったというように思う。
小学生の頃、母と連れ立って出掛けた時のことだ。家から五キロほど離れた市民センター。何故そこに行ったのかは覚えていない。何かのイベントがあったのだろうが、僕にとって興味のないことで気乗りがしないままついていった。そこで母とはぐれてしまった。たった五キロ、いざとなれば歩いて帰れば良いと思うだろう。しかし、当時の僕は自分の家の周りの地図が全く頭に入っていなかった。市民センターと呼ばれるところに居ることは分かったがそれがどこなのかさっぱり見当がつかなかった。勿論そのころ携帯電話なんてなく、公衆電話から電話をしようにもお金も持っていなかったし、だいいち、電話ができたとしても、誰も家には居なかった。
三階建ての建物の中を隈なく歩いて回ったが母は見つからなかった。僕は流れ出る涙を人に見られないように野球帽を深々と被った。様子がおかしかったのか、警備員の人に声を掛けられたが、僕は何も言わず急いでその場を立ち去った。
大袈裟だと思われるかも知れないが、その時僕は二度と母とは会えず、家に帰れることもなく、電気の消えた建物のなかでずっと一人置き去りにされてしまう恐怖にかられた。
「迷子になったのかい?」
二度目に警備員から声を掛けられたとき、僕は帽子を一層深く被って、ただ黙って頷いた。涙は止まらなくなっていた。
中学三年生にもなればそこそこ強くはなっていて母親にも口答えするようになっていた。しかし、母が病気で入院し、そして余命も長くはないと告げられたときは、僕は母の居ない将来が不安で溜まらなくなった。そんな僕に母は新しい野球帽をくれた。
「寂しくなったらこの帽子を被りなさい」
でもその時は母の言っている意味が分からなかった。
母が死んで、僕は母の弟の家に引き取られた。叔父さんの家には僕より三つ下と五つ下の男の子が居て賑やかだった。そこに迎え入れられたが、元来人付き合いの悪いたちで僕は普通の振りはしていたものの全く馴染めずに居た。夕食が終わって部屋に戻るとどっと疲れが出て、涙が自然に出てきた。僕は涙を隠すため、母から貰った帽子を取り出して深々と被った。
「哲夫、なんで泣いてるの?」
母の声。周りには誰も居なかった。
「母さん?」
「声に出さなくても聞こえるから大丈夫。一人でしゃべってると変でしょう。心の中で思うだけで大丈夫」
「えっ、母さん生きてるの?」
「何言ってんの?この前葬式してくれたじゃない」
「じゃあ?」
「その帽子を被るとね、哲夫と話ができるのよ」
僕はそれから家に帰ると、部屋に籠って、帽子を被るようになった。学校のこと、家のこと、なんでも話した。母は僕に決して優しい言葉を掛けてくれるわけではなかった。むしろ口うるさく「宿題を先に終わらせなさい」とか「野菜を残さず食べなさい」とか叱られることが殆どだった。それでも母の声が聞けて僕は満足だった。
高校に入り、母の言葉も段々とうるさく聞こえるようになってきた。僕も面倒臭くなって黙っている時間が増、母からの説教が煩わしくなってきた。徐々に帽子を被る回数が減り、遂には引き出しにしまい込んでしまった。
その後、僕は大学に入り叔父の家を出た。卒業後就職、叔父の家とも疎遠になってしまった。結婚し、子供もでき、そしてその子供たちも成人していった。就いた仕事が向いていたのだろうか。僕は勤めていた会社で社長にまでなった。かつて引っ込み思案だった性格は消え、押しの強い剛腕と呼ばれるようになっていた。会社では皆が僕に従うようになった。家では、妻とは何年も前から会話がなく、僕の命令口調のせいか子供たちも近寄らなくなっていた。
仕事の会食が終わり家に帰ったが別室の妻は先に寝ていて静まり返っていた。なんだか居場所がない思いがした。疲れていたんだろう。ポロリと涙が落ちた。僕は引き出しからずっと手付かずだった帽子を取り出して深々と被った。
「なんで泣いてんの?」
それから数時間、母の小言が気持ち良かった。
(了)
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み