第13話 生贄

文字数 1,747文字

『島に移住しませんか?これまでの生活を忘れさせてくれる夢のような暮らしがあなたを待ってます』
榊原は都会の生活に疲れていた。新聞で見つけたこの広告に惹かれ、会社に辞表を出し、住んでいるアパートの家賃を精算して島に向かった。
チャーター船を降りると島では村長が出迎えてくれた。その夜に催された島の歓迎会では村の人達が次々と酒を注ぎに来た。榊原は酒が嫌いな方ではないがさすがに身体に堪えた。トイレに行く途中の渡り廊下で少し休んでいたところに女性がやってきた。
「どうも」
「随分飲んでましたね」
彼女は聡美。島生まれの島育ち。化粧を殆どしていないが、その分、素顔の目鼻立ちの良さが引き立っていた。
島の朝は早く、漁船が前日に収穫された野菜を船に積んで出ていった。燃料代を節約するために獲った魚と一緒に沖合で本土の船に引き渡された。
榊原は島で仕事のアテがあるわけではなかったが、朝は漁港の手伝い、昼は畑の手伝いで貰える給金と魚や野菜で十分すぎるほどの生活ができた。島の料理屋では村人たちが昼間から酒盛りをしていた。よそ者の榊原を何の躊躇いもなく仲間に受け入れ、翌日には覚えていないような話で盛り上がった。榊原が後悔することがあるとすれば、もっと早くに島に来れば良かったということだった。
聡美はいつもぼんやりしているようにも見たが、その笑顔に利発さを感じさせるものがあった。榊原が聡美と浜辺を散歩しているところを見かけた者からは後で冷やかしを受けることになったが、決してそれは嫌味なものではなく、やきもちはあっても祝福の気持ちを感じさせるものだった。榊原と聡美はそもそも二人が惹かれ合うのが運命だったかのように関係を深めていった。
夏になり、村は祭りの準備で賑やかになってきた。
「聡美のことを惚れとるか」
村長がデリカシー無く聞いてくる。
「ええよ、ええよ。若いってのはホンマええこっちゃ……ところで榊原さんよ。たっての頼みがあるんやけどな」
今年の夏祭りは五年に一度の大祭で、大祭のときには犠牲祭が開かれると話した。
「その犠牲祭っていうのは?」
「この先五年間の島の安全を願ってなぁ、男女が東の崖から海に飛び降りるんや」
飛び降りるのは相思相愛の男女でなくてはならず、飛び降りて今まで死んだという話は聞いたことがないから安心して欲しいと。ただ不思議なことに飛び降りた者は、程度の差はあれ、少しだけ過去の記憶を失うことがあるのだと付け加えた。
「嫌ですよ。記憶が無くなるなんて」
「いや、大したことはないよ。ホンマは村長のワシがやるべきなんやろうけどな。相思相愛っちゅうのがアカンのや。ハハハ……。村のためや、一肌脱いでくれよ。後のことはちゃんと面倒見るから」
そもそも榊原は高いところが苦手だし、聡子を道連れにもしたくない。丁重に断った。
「逃げよう思うてもアカンで」
翌日から榊原を見る村民の目つきが変わったような気がした。少しでも逃げるような素振りをしようものなら直ぐに何人もが飛びかかってくる勢いを感じた。榊原と聡美はどうやって逃げるか相談しはじめたが、そんな時、村長の息子が助け船を出してくれた。
「すまんな、親父が変なことを頼んで……犠牲祭なんて迷信や。でもこのまんまやと皆に無理やり東の崖から飛び降りさせらされることになる。大祭の夜、西の岬から逃げられるように手配するから僕についてきいや」
大祭の夜、二人は村長の息子に促されるまま西に向かった。二人が逃げたことが分かったようで、たくさんの松明を掲げて村人が後方から追いかけてくるのが見えた。
西の岬。高い崖になっている。村人が迫ってきた。どこから降りていけるのか、村長の息子に指示を仰ごうと振り返ったとき、二人とも棒でつつかれ崖下に突き落とされた。
追いついてきた村長が息子に言った。
「うまいこといったみたいやな」
翌日、聡美は島の海岸に打ち上げられた。命は助かったが記憶はすっかり失ってしまっていた。榊原の方は潮の流れで沖に流されてしまったようだった。
四年後、通勤電車に揺られながら、疲れた顔の榊原が新聞を拡げた。パラパラとめくり、隅に掲載された広告に目が留まった。
『島に移住しませんか?これまでの生活を忘れさせてくれる夢のような暮らしがあなたを待ってます』
       (了)
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