第5話 二千年前の忘れ物

文字数 1,666文字

日曜日の午後、家内や子供たちは出掛けていた。たまの一人の時間、コーヒーの香りを楽しみながら、スピーカーから流れるジャズを楽しんでいたが、玄関の呼び鈴の電子音に邪魔された。
ドアを開けると四十代半ばと思われるスーツ姿の男が立っていた。
「はい、何でしょう?」
受信料の請求ではなさそうで、営業職の臭いがした。そう言えばケーブルテレビ勧誘のチラシが入っていたのでその売り込みかも知れないが、あいにくそんな余裕などなかった。五年前にこの家を借金して買い、これから先の人生は地上波だけだと決めていた。
「素敵なおうちですね」
「はあ、あの、どちら様でしょう?」
「あっ、失礼しました」
そう言って差し出された名刺には『鍜治橋不動産』と書いてあった。
「不動産屋の方ですか。何か?」
「いえ、その、実は、この家をお譲り頂けないかと思いまして」
「いや。まだローンも全然減ってませんから売却なんて考えていませんよ」
「そうですか。実は事情があって、ちょっと急いでいるものですからね。相場より少し高めでも、とは考えているんですが」
「高めって、どのくらいですか?」
この家を買う前までは、不動産はずっと値上がりを続けていた。巷でもバブルではない、暫く上がり続けるという話がされていた。家賃を払い続けるよりは良いだろうと新築分譲を買ったら、そこがピークだった。多少高く買ってもらっても、銀行への借金が残るだけで、案の定、提示された価格は僕にとっては魅力的なものではなかった。でもこんな辺鄙な場所の家を欲しがる事情というのは何だろうと不思議に思った。
「いえね。話しても、きっと信じてくれないと思いますから」
そう言われると聞かないわけにはいかず、しつこく問いただした。
「実は欲しいのはこの家ではなく、この家の下に埋まっているものでして……」
「この下?えっ、じゃあ買ったらこの家はどうするんですか?」
男は黙って手を横に倒した。安普請の家とは言え、まだ新しいこの家を壊してまで取り出そうとするのは、よほどの物が埋まっている違いなかった。宝物ならその話を言うわけはないので、逆に危険なものが埋まっていてそれを取り出そうということではないかと不安になった。
「危ないものではないですよ」
「じゃあ、何が?」
「いやあ、忘れ物をしたらしいんですよね」
「は?忘れ物?ここにですか?この家を建てた工務店がですか?」
「いえ、それよりずっと前のことです」
「?」
「そうですね、二千年くらい前です」
これは質の悪い地上げだと確信した。
「譲ってくれないとなると少し手荒なことも考えなくてはいけなくなりますので」
「何をするって言うんですか」
「その……ミサイルでボンとか」
もう話をしても意味はなかった。男は一週間後にまた来ると言って、帰っていった。
夕食の時間、妻と子供に話したら、妻は僕の留守中にその男が来たらどうしよう、と怖がってしまった。息子と娘は絶対に家の下に宝が埋まっているはずだと面白がっていた。
そして次の日曜、その男はまたやってきた。
「考えて頂けましたか?」
「売るわけないじゃないですか。家族も怖がってますからもう来ないでください」
「そうですか、残念です」
「二千年前の忘れ物って言いましたよね。二千年前なんかこの辺りは山の中ですよ。いったい誰が忘れたって言うんです」
男は黙って人差し指で上を差した。見上げても青い空が広がっているだけ何も無かった。
「まあ、この前の倍の金額出すなら考えても良いですけどね」
僕は断り文句として言った。
「あなたは分かってませんねぇ。譲らないと吹っ飛ばされるんですよ。金額の交渉してる場合じゃないでしょう」
それ以上の会話は不要だった。こうやって脅して物件を仕入れているとは酷い仕事だと思った。
男が立ち去ろうと背中を向けたとき、男のお尻から何かが出ているのに気づいた。最初はシャツの端が出ているのかと思ったが、それはそれ自身が意志を持っているかのように、細長くくねくねと伸びてきた。先には目玉のようなものが付いていて、なんとなく、哀れみの目でこちらを見ているようだった。  (了)
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