第26話 夫婦生活のやり直し

文字数 1,889文字

アキラはサヤカと結婚して十年。恋人どうしの延長線のような甘美な新婚生活は遠い昔のこと。最近は、何故だか毎日増えていく家事の分担が二人の会話の殆どを占めていた。
アキラは仕事を終えて家に戻るのがいつも苦痛だった。サヤカは有名メーカーの法務課長で、弁護士資格も持っている。収入もアキラより随分良い。アキラが帰宅してもサヤカは残業で居ないのだが、サヤカの帰りを待つ時間が嫌で、毎晩飲み歩いていた。
行きつけのバーで、一か月ほど前からミドリが働き始めた。ミドリはまだ学生だった。どことなく、ミドリはサヤカの学生の頃の面影を感じさせた。きっと、サヤカはいつもの高音で一刀両断否定するだろうが、ふとした仕草に昔を思い出させることが何度かあった。今のサヤカとは違い、アキラが話しかけると、ミドリは興味を持って聞いてくれるし、そして切り返してくる言葉がアキラの心をくすぐった。尋ねて貰いたいことを聞いてくれた。サヤカも以前はミドリのように接してくれたように思うのだが、乾いた会話が長く続いたせいで、記憶は断片的だった。
ミドリと会っていると、サヤカと別れて、ミドリと一緒になれたら幸せだろうと何度も思った。しかし、家に帰るとそんな考えは消えた。何しろサヤカはキレキレの弁護士だ。離婚など切り出そうものなら、丸裸で追い出されるだけでは済まない。
サヤカが死んでくれれば、とも夢想するが、健康で病気になりそうにない。ジムに通って身体を鍛えていた。殺す、という恐ろしい考えすらも頭に浮かんだが、町中に監視カメラが設置されていて、誰にも知れずに殺人などは土台無理な話だった。
どうせサヤカと一緒に過ごさなくてはいけないのなら、なんとかうまくやれる方法はないものか。考えるうち良い考えが浮かんだ。
アキラは、テーブルで音を立ててパソコンを打っているサヤカに切り出した。最近開発が進んできた別の惑星への移住をしないかと。太陽系から何万光年も離れているが、人口冬眠して超光速航法ワープで行ける。環境を変えて、また二人でやり直したいと。
アキラは今の仕事を辞めるのに何の未練もないが、サヤカにとっては折角のポジションを投げ出すのはハードルが高く、簡単には決められないだろうと思っていた。案の定、サヤカは躊躇し、暫く沈黙が続いた。しかし、意外にも口から出てきたのは、自分もやり直したいと思っていたという言葉だった。
それから慌ただしい準備が始まった。大きな人生の転換期にもかかわらず出発の日まではあっという間だった。
宇宙船の出発ラウンジは長旅を控えた客で賑わっていた。離陸後直ぐに人工冬眠に入るので、出発前十二時間は、食べ物は勿論、飲み物も禁止されていて、ラウンジも簡素でソファが並んでいるだけだった。腹が減ってくると怒りっぽくなる人も居る。アキラとサヤカの前に座っていた若い男女が喧嘩を始めた。男の浮気の話が発端だったが、それをきっかけに、男が変わってしまった、とあれやこれやと挙げて、女が非難していた。
男は人間に見えるがきっとアンドロイドだとサヤカが囁いた。無線でアンドロイドのCPUを操作すると、性格や行動を変えられるらしい。女性のことを好きな男が居て、アンドロイドの彼氏と別れさせるためにプログラムを変えたのだろうというのがサヤカの推測だった。サヤカが居た会社は、アンドロイドを生産していたので説得力があった。
出発の時間が来てカプセルに入ることになった。惑星に着いたら、新しくやり直しましょうと言って、サヤカが先にカプセルに入っていった。蓋が自動的に閉じ、ゆっくりとガスが噴出し始めた。アキラは思い出したように、眠る前にトイレに行ってくると声を掛けた。サヤカは右手を上げて手を振った。
トイレで用を足しながら、アキラは笑みが隠せなかった。うまくいった。ここで逃げれば、サヤカは何万光年先まで飛んでいく最中だ。アキラが生きている間に会うことはない。
下船前に、確認のため、サヤカのカプセルを覗いてみた。しかし、そこに入って眠っていたのはミドリだった。何故?カプセルに近づいてじっくり見てみたが、やはりミドリだった。一旦冬眠に入ると解凍に時間がかかる。間もなく出発だ。ミドリを起こして確認する時間はなかった。どうする?ミドリと一緒ならそれで良いかと、アキラもカプセルに入ることにした。
ガスが静かに充満してきた。ミドリとの新しい生活に期待が膨らんだ。しかし、サヤカとどうやってすり替ったのだろうか?サヤカはアキラよりも遥かに賢い。まさかミドリがアンドロイド? カプセルを開けようとしたが、アキラの意識は徐々に遠のいていった。
(了)
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み