第12話 リュウグウノツカイ

文字数 4,907文字

大学の正門から始まる銀杏並木では学生たちが行き交っていた。十二時近くになり学食の入っている建物に学生たちが吸い込まれていった。学食内は様々なサークルが常時半分ほどのテーブルを占拠しており、サークルに属さない学生が残りの半分を使っていた。陽太郎は空いている席を見つけてトレーを置いた。彼はサークルの何とも軽い雰囲気に馴染めず、一人で過ごすことが多かった。誰に見られているわけでもないのに、忙しさを装ってスマホを横目で見ながらカレーライスをかき込んだ。
「ここ空いてますか?」
彼女は陽太郎の頷きを確認してから彼の前の座り、カバンの中から弁当箱を取り出した。彼女も独りだった。化粧っ気はなく、その素朴さが陽太郎の好みのタイプだったが、彼に話しかける勇気はなかった。
「カレーライス美味しいですか?」
「いや、そういうわけでも……単に食べてるって感じです」
「……良かったらこれ食べませんか?」
弁当箱が差し出された。陽太郎は野菜が好きな方ではなかったが、好みの女性からの申し出を断る理由などなく、薦められるまま口に入れた。歯ごたえが良く、ほんのりと甘さが広がった。
「美味しい……」
彼女の名前は乙美と言った。野菜は実家で作っているものが送られてきているのだと話した。農薬や化学肥料は一切使ってないとのことだった。
「へえ……、それで虫とか来ないの?」
「虫は居るけど野菜を全部ダメにしてしまうほどは増えないの。うまくバランスしているのね」
都会育ちの陽太郎には新鮮な話だった。乙美も学校では誰も知る人が居らず、ホームシックに陥り掛けていたところだった。だから陽太郎と過ごす時間は本当に彼女には有難かった。二人は頻繁に会うようになっていき、ある日、陽太郎は乙美を自宅に招いた。
「これ召し上がってください」
乙美は実家から送られてきたという食材をを持参した。野菜は不揃いで泥がついていて、タッパーに入った肉は血が染み出ていた。陽太郎の母は少し顔を歪めながら取り繕った笑顔で冷蔵庫に収納していった。
陽太郎の母は普段よりも気合いを入れた料理を用意したが、乙美は殆ど料理に手をつけず、食べていたのは自分が持ってきたブドウだけだった。陽太郎の父も母もブドウの美味しさには感心していたが、母は気に障ったようだった。
陽太郎が父の車を借りて、乙美とビーチに行ったときのことだった。天気も良く砂浜に来ている人も多かった。陽太郎が伸びをしている横で、乙美はカバンから袋を取り出して、海岸に落ちているゴミを拾い始めた。ちぎれたビニール袋、ペットボトル、釣り糸を拾っていった。
「このせいで魚も鳥も迷惑してんの」
陽太郎も一緒に手伝わざるを得ず、あっという間に袋はゴミで一杯になった。
それから二人は週末のたびに砂浜にゴミ拾いに出かけるようになった。拾っても拾ってもゴミは減っていかなかった。
「また乙美さんと会ってたの?」
家に戻ってきた陽太郎に母が尋ねた。
「あの子、良い子だと思うけど、ちょっと変わってるなぁ」
陽太郎の父も被せた。親から友人を否定されると友人との関係がぎくしゃくし始めるか、親との距離が開いてしまうかだが、この場合は後者だった。両親との会話は減り、口を開くと衝突することが増えていった。
「私の実家に来てみない?」
ふさぎ込むことが多くなった陽太郎を乙美が誘った。乙美の実家はコミュニティと呼ばれている共同体になっていて、少しの時間でもコミュニティで過ごすと心が落ちつくのだと言った。閉塞感を感じていた陽太郎は二週間後に始まる夏休みを待たずに出かけてみることにした。
「陽太郎、お前まだ授業終わってないだろう」
両親は強く反対したが、息子を納得させられる言葉は持ち合わせていなかった。陽太郎は意を更に強くして、悪態をついて家を出て行った。
駅に着くと、乙美の兄が二人を出迎えた。そして、そこから一時間ほど掛かる海辺の村にバンで向かった。
コミュニティのある村の海岸線は人工の造作物はなく自然のままに残されていた。入り江は浅瀬になっており、そこに入ってきた魚を手づかみで獲れるということだった。丘に沿って色とりどりの果物が実っていて、鳥がさえずり合い、気の向くままに果物をついばんでいた。丘の上では太陽光パネルが並べられ、一基の風車がゆっくりと回っていた。村は自給自足の循環型で成り立っていた。
コミュニティでは食事は村の人達が一同に集まって食べることになっていた。大勢で食べると食材に無駄が出ないからだという話だった。大きな食卓に飾られた野菜は農園で獲れたもので、サラダは勿論、火を通した野菜も噛むと音がなるほどしゃきしゃきとしていた。放し飼いにされた豚や鳥も食卓に並んだ。デザートの果物は不揃いだが、それぞれ極端に甘すぎず、香りが優しく口内に拡がり、本来の味を楽しめた。
食事が終わるとギターを取り出す者が出てきて、歌が始まった。食事中は会話の邪魔にならない程度に聞こえていたピアノも遠慮なく鍵盤を躍らせた。みんなで声を合わせて歌い始め、曲に身を任せて踊った。
テレビもスマホも無かったが、時間は瞬く間に過ぎた。今日が何日か、何曜日かといった会話も無かった。ただただ陽が昇り、入江で魚を獲り、畑の収穫を手伝い、日が暮れると集まって食事と歌と踊りを楽しむのだった。陽太郎はコミュニティに来て本当に良かったと思った。もう学校に戻るつもりはなかった。何故もっと早くここに来なかったのか、そしていつまでもここに居続けたいと心から願った。
陽太郎と乙美は関係を深めていった。寂しがり屋の乙美は陽太郎の側を離れず一緒に農作業をし、浜辺で陽太郎を待ち、そして食事を共にした。陽太郎もまた乙美との時間を喜び楽しんだ。
ある晴れた日、二人は誰も居ない砂浜を歩いていた。そこに波に乗せられてコンビニのビニール袋が流されてきた。
「僕らが捨てなくてもゴミは流れてくるね」
毎日続く饗宴も時折参加者が少なくなるときがあった。陽太郎はその理由を聞いたが乙美は答えなかった。
「知らなくても良いから」
陽太郎は益々興味をそそられて、夜中に戻ってきた乙美の兄に聞いてみた。
「乙美からは誘うなと言われているんだけど」
彼らが住んでいる村に居るのは、全員「コミュニティ」のメンバーだけで、ここで自給自足の循環型の暮らしをしながら、環境保護活動をしており、時々村の外に出ていくのは、その活動のためだということだった。
「今度僕も参加させてください」
「良いけど……乙美には内緒でな」
ある夜、宴の席に陽太郎の姿がなかった。不思議に思った乙美が陽太郎の部屋を覗いてみたが見当たらなかった。
そのころ陽太郎は乙美の兄が運転するバンに乗って高速道路を走っていた。車の中には六人の男たちが居た。車内には会話は無く、物々しい殺気立った空気が流れていた。高速を降り、到着したのは工場らしき建物だった。車を降りた男たちは鉄柵を駆け上がり敷地内に下りていった。
『昨晩、〇△市のプラスチック成型工場で火災がありました。警察は最近県内で発生している工場の火災と同様の手口による連続放火事件と捉え捜査を行っております』
「なんか物騒ねぇ……」
テレビから流れる報道を見ながら陽太郎の母がつぶやいた。
陽太郎たちはその後も度々出掛けていった。海洋プラスチックごみを減らすには元から断たなければということで、プラスチック工場を燃やしていけば、いずれ生産ができなくなり、製品の価格も上がり使用量が減るだろうという考えだった。
「この工場を燃やせば、県内の工場は全部なくなりますね」
工場前にバンが横付けされた。鉄柵を越えようとしたところで隠れていた警察車両に囲まれた。目を開けていられないほどの眩しいヘッドライトが浴びせられ、サイレンの音がこだました。陽太郎はとっさにカバンから火炎瓶を取り出してパトカーに投げつけた。その隙に全員バンに乗り込み、パトカーに衝突も抜け出していった。後方ではパトカーが爆発する音が聞こえた。
村に戻った陽太郎たちから漂う緊張感に村の人達は異変を悟った。
街で流れているテレビでは『コミュニティ』のことをカルト集団と呼んでいた。実行犯を個別には特定できていないが、コミュニティのメンバーによるものだと報道されていた。
村は周辺は徐々に騒々しくなり、バリケードが築かれた。こういう事態も想定して、乙美の兄たちは自衛隊の兵器庫を襲い武器を入手していた。何度か警察が村内に立ち入りしようとしてきたが、そのたびに小さな衝突が起きた。そしてメンバーの一人が威嚇目的で銃を上空に向けて発砲してからは、いつ銃撃戦が起こっても不思議ではない緊張感が村の境界線に漂った。
コミュニティは連日ニュース番組を賑わせた。世論にも押され、コミュニティはテロ対策特措法の対象にも認定され、機動隊の突入準備が行われた。
一方、そんな外の様子を感じさせず、村の中ではいつものように魚を獲り、野菜を収穫し、食材が盛られた宴が催され、歌と踊りに盛り上がっていた。宴の途中、乙美が陽太郎を呼び出した。月明りの下で、乙美は鍵も付いていないシンプルなブリキの箱を陽太郎に手渡した。
「どうしようもないくらい寂しくなったらこれを空けて」
「僕は乙美と一緒に居れば寂しくないから……」
陽太郎は食堂の玄関前の岩の下に穴を掘って渡された箱をそのまま埋めた。
次の日の夜、機動隊が突入してきた。皆で夕食を摂っていたときのことだった。催涙弾が撃ち込まれ、村の誰かが銃で応戦した。それを口火に機動隊からも容赦なく弾が浴びせかけられた。陽太郎は催涙弾に目を濡らしながらも、乙美が撃たれて倒れるのが見えた。
そもそもメンバーは武闘集団ではなく、戦闘が長くなってくると火力の違いが明確にってきた。そして一時間ほどのうちに全員逮捕されてしまった。鳴り響いていたパトカーと救急車のサイレンの音も朝日で薄明るくなる頃には消えていた。
乙美や乙美の兄を含め三人が死亡し、逮捕された陽太郎は十年の刑期を務めることになった。コミュニティは解散させられ、逮捕を逃れたコミュニティのメンバーも村から強制退去、土地も接収された。
十年後、刑期を終えて出所した陽太郎は行く当てもなく町を彷徨ったあと、以前住んでいた家を訪れた。実家の壁にはあちこち落書きがされていた。「死ね」「テロリスト」「社会の敵」……。両親は引っ越したらしく、そこはもう長く空き家になっているようだった。
その後、彼は電車を乗り継ぎ、コミュニティのあった村に向かった。綺麗だった海岸にはあちこちにゴミが流れ着き、タイヤまでも流されてきていた。魚が手掴みで獲れたはずの入り江の前は柵に囲まれ、工場建設のための資材が積み上げられていた。丘に植えられていた果樹も切り落とされ住宅開発が進みつつあり、大型トラックが残土を運び出していた
彼はかつて夜な夜な宴が開かれた食堂のあった場所に行ってみた。木造の建物には苔が生え、屋根も半分崩れ落ちた状態で、人影もなく静まり返っていた。
食堂の玄関の前の石を持ち上げると乙美から貰ったブリキの箱がそのまま残っていた。玄関の上がり框に腰を下ろして、箱を膝の上に取った。そして暫く見つめたあと、そっと開けてみた。
箱の中身は手紙だった。三十はあるだろうか、全て陽太郎の両親から陽太郎に宛てたものだった。陽太郎は手紙の封を開けた。
乙美のことについて酷いことを言ってしまったことを後悔していること、父が身体を壊して勤め先を辞めたこと、食材をスーパーで買うのを止めて有機食材の通販に替えたこと、田舎に移住して農業を始めることにしたこと、いつか乙美と二人で来て欲しいといったことが書いてあった。陽太郎は肩を震わせながら全ての手紙に目を通した。

陽太郎はバスを降りて畔道を歩いていった。果樹園で父と母の姿を見つけ声を掛けた。母は声を出せずただ震えていた。母の肩に手を回しながら父が口を開いた。
「このブドウ、ようやく実がなるようになった。陽太郎、食べてみて」
ぶどうは粒の大きさがバラバラで見た目は良くなかったが生き生きと艶があって美味しそうだった。
       (了)
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