第22話 昼の花火

文字数 5,296文字

朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。
「どういうこと?」誠也は目を丸くした。女性キャスターの横に座っている男性アナウンサーも驚いた顔を隠さなかった。スタジオ内が騒然とする様子が伝わってくる。画面が静止画に変わった。「暫らくお待ちください」の文字。
その女性キャスターは誠也の幼馴染の柏木麻衣。二人は海辺の町で育った。麻衣の家は誠也の家の通りを挟んだ向かい側。成人して働き出した後も、二人ともまだ同じ家に住んでいる。麻衣は誠也の二つ年下で、子供の頃からよく一緒に遊んだ。麻衣が中学に入って、麻衣の身体が丸みを帯びてきた辺りから、さすがに一緒に遊ぶ頻度は減ったが、未だに顔を合わせると「お兄ちゃん」と話しかけてきた。
麻衣は小さい頃から可愛く、愛嬌のある顔をしていた。大きくなるにつれ、その容貌は際立ってきて、周りの男子からは大変人気があり、仲良さそうにしている誠也はうらやましがられた。誠也も実のところ、麻衣の仕草にどきっとすることはあった。しかし誠也にとっては妹のような存在であり、恋愛対象として見てはいけないという一線が自分の中に引かれていた。きっと麻衣もそう思っていただろう。
麻衣は頭も良い子だったが、不思議なところがあった。突拍子もないことを言ったり、したりして周囲を驚かせた。
小学校のときだった。誠也の家族と麻衣の家族とで花火を見に行った。近くの浜辺で毎年花火大会が開かれていて、地元の人たちは大変楽しみにしているイベントだ。最後のフィナーレが終わって、皆が帰り始めたあとも麻衣だけは夜空をずっと眺めていた。その日の夜中、麻衣の部屋に、宇宙人がやってきたそうだ。そして、一晩中、話し込んだと真顔でみんなに言った。そんな話をしたせいで、学校で奇人扱いされてしまった。哀しそうにしていた麻衣を随分と慰めた。そして、嘘はダメだと諭そうとしたが、「本当だ」と譲らなかった。そのとき、麻衣の両親もふざけて、「麻衣は月からやってきた人だから」と誠也に言うので、しばらく誠也は混乱してしまった。
中学のとき、麻衣が一人で勝手にボートを漕ぎだして海に出たことがあった。静かな海の上でずっと空を眺めていたらしい。しかし、ボートは潮に流されてしまい、海上保安庁も出て大騒ぎになった。救助されてからも、本人には周りがなんで大騒ぎしているのか全く見当がつかなかったらしい。ただ会う人会う人から叱られて、当惑していた。誠也が港に迎えに行ったとき、安心したのか誠也の胸に飛び込んで泣き始めた。
麻衣のそんな不安定さゆえだろう。血のつながりはなくても、誠也に自分は「兄」だという意識を強く持たせた。
テレビの放送が元に戻ったとき、そこには麻衣の姿はなかった。男性キャスターが放送事故について何度も謝っていた。
朝のニュース番組を録画している物好きも居るようだ。午後にはネットで麻衣の放送がそこかしこでアップされていた。
誠也が仕事を終えて家に戻ってみると、向かいに位置する麻衣の部屋に電気が点いていた。訪ねてみると麻衣は何とも無い顔で出てきた。
「テレビ見たよ」
「そう?」
「TV局大騒ぎだったんじゃないか?」
「物凄く怒られちゃった。多分クビかな」
「せっかくアナウンサーになったのに……」
「良いの。どうせあと七日で世界は終わるし」
そう言って、麻衣は悲しさや未練など全く感じさせず、にっこりと笑った。
それからも、SNSでは麻衣のことで賑わっていた。最初は、麻衣を中傷する投稿で占められていた。テレビ局でいじめられた仕返しだ、とか、ディレクターと不倫しているとか、まことしやかに書かれていた。
「なんだかネットで騒がれてるな」
「知ってる」
「直ぐ近くで見てたみたいな書かれ方だけど」
「びっくりするくらい全部嘘。ほんと腹立つけど、反論したらまた炎上するから」
麻衣はなぜテレビであんなことを言ったんだろうか。麻衣が発信しているブログが最近炎上した。大したことじゃない。ついたコメントに麻衣が反対意見を言ったら、しつこくクレームされるようになった。それが火をつけて、色んな人の書き込みが続いて、止めに入った麻衣がさらに吊るしあげられるという意味不明の展開になった。それがあってから麻衣はブログを閉じた。
ネット上には「麻衣は学生時代から変わっていた」という投稿もポチポチと出始めた。それまで有名人の友達だと自慢していた連中が、こうやって問題が出ると、急に証言台に立って非難しはじめる。
「そのうちここの住所もネットに書かれそうだから、ちょっと避難してくる」
そう言って麻衣はリュックサックを抱えて出掛けていった。そう言えば、時々家の周りを行ったり来たりするやつが少し増えてきた気がした。
麻衣の過去の突飛な行動の話が盛り上がってくると、逆に、柏木麻衣「神」説が徐々に目立つようになってきた。世界が終わるという麻衣の言葉は、神の予言だと断言する輩も出てくる。麻衣には人には見えない未来が見えているんだと。
確かに麻衣には不思議なオーラが漂っていると感じることがあった。そこに居るけどそこに居ない感じ。手を伸ばせば届くのに、触れてはいけないと感じさせる何か。それはテレビを通じて麻衣の姿を見ても感じさせるものだった。そんな麻衣には、余り目立たないものの、熱狂的なファン達が居たようだ。
話題の中心は、世界が滅びるかどうかに移り、白熱していった。ネットニュースのトップ画面は世界の終わりについての話で占められていた。
それでもテレビ局は麻衣の所属している会社はもちろん、他の会社もこの話を取り上げようとしなかった。この話に触れること自体が、メディアの良識を問われることになるという考えだった。どんなにネットで盛り上がろうと、テレビ局としては関知せずの姿勢だった。テレビ局は事実を伝えないことによっても、事実を曲げることができる。
しかし、テレビや新聞の沈黙など全くお構いなしと、ネット上ではその盛り上がりが冷めることはなかった。むしろ話は、日本だけに留まらず、各国語で世界中に拡散していった。
そんななかだった。九州で大きな地震が起き、休火山だった山が噴火、溶岩が噴出した。テレビには、もうもうと流れる煙。そして、時折見えるオレンジ色のマグマ。それを見た人の恐怖を大いに煽った。
折しもアメリカでは季節外れの竜巻が各地で発生した。自動車や小屋が巻き上げられている映像が流れた。
そしてアフリカではバッタの大群が畑を襲う。空を覆い尽くした群れは太陽を遮った。
こうした映像が連続して流されると、世界の終わり説の信憑性が増してくる。世界は終わりに向かっているということを確信させるような映像が幾つもアップされ、動画サイトに溢れた。
株式相場も反応した。米国市場の下落は日本、アジアの暴落を呼び、欧州市場も急落、負の連鎖が続いた。
経済に影響が出始めて、遂に政府も動いた。記者会見を開き、「世界が終わりを迎えるような科学的な根拠はなく、各地で起きている自然災害も特段異常なものではありません。通常のサイクルで起きている自然現象です」と説明した。しかし、その真面目な否定ぶりが、皮肉にも、却って事態の深刻さを印象づけたようだった。
不安が高じると先ず影響が表立って出るのがスーパーマーケットだ。食品や生活用品を買い集める客が長い行列を作った。それが更なる不安を煽り、行列は伸びる一方となった。待ちきれない客がレジを乗り越えて走り抜けたのをきっかけに、何人もが堰を切ったかのように出口に向かった。もはやレジに並んでお金を払おうとする人は消え、恐怖を感じた店員も店から消えてしまった。
「麻衣、えらいことになってきたぞ」
火をつけられ、炎を上げている車を避けながら、誠也は事態の深刻さに、不安を募らせた。このままでは麻衣もただでは済まされないだろう。
ガラスのショーウィンドウに石が投げ込まれて、アラームが鳴り始めた。警備員が来ることはない。警察すらも、暴徒の数が多すぎて、手の打ちようもなく、ただその場で成り行きを見守るしかなかった。
政府は懸命に秩序の回復を訴えた。しかし、そんな状況のなかで、ある大臣がテレビ番組で口を滑らせてしまった。
「皆さん、落ち着いてください。もう数日で世界が終わるっていうときに、そんなにたくさんの食品を盗んでも意味がないでしょう?」
余裕と皮肉に富んだ話で、興奮する国民を落ち着かせようと企図したものだった。しかし、政府が遂に公式に世界の終焉を認めた、と解され、火に油を注ぐ結果となってしまった。パニックに駆られた市民たちは、とにかく町を脱出しようと、車で郊外に向かい始め、高速道路に渋滞を作ったが、世界が終わろうとするなか、一体どこに行こうというのか。
そもそもの発端となった柏木麻衣を探し出して公式に訂正と謝罪をさせろという命令が下った。麻衣の家の前にもパトカーが列をなした。麻衣はそこには居ないと分かっていても、戻ってくる可能性があるからと警官が配備されていた。
秩序が乱れれば乱れるほど、麻衣が「神」であると考える人たちが増えていった。彼らからすると、麻衣を捕えようとする警察は法の枠組みを超えた敵と判断された。しかも、そもそも法の秩序は失われてしまっているのだ。神を捕えようとする警察を襲うことは正義だった。パトカーに火炎瓶が投げつけられ、警官と揉み合いになった。
「誠也?」
麻衣から電話が入った。
「麻衣、どこに居る?」
「場所を知っちゃうと、誠也も困るでしょう。教えない」
「みんな麻衣を探してるよ」
「そうみたいね」
「麻衣が何か言わないと、収まらないんじゃないか?」
「うーん、考えとく」
麻衣は自分で決めたいタイプだ。人から命令されるのが嫌いなので、それ以上言うのは控えた。麻衣はまた連絡すると言って電話を切った。
暴動は国境を跨いだ。国境の壁は壊され、遠慮なく暴徒が侵入した。それを抑えるために軍隊も出動したが、それを契機に国境線を引きなおそうという動きも出て、各地で戦闘が始まった。
そんな中だった。実況中継で麻衣がテレビに映された。麻衣は通りを一人歩いていた。徐々に取り巻きが増えていく。ビルに向かって行き、その中に入った。その様子をテレビで観た人たちが、麻衣を追った。
そのビルには記者クラブがある。麻衣は空いていたホールの雛壇に立った。それは予告されたものでは全くなかったが、各社の記者、それから一般の人たちも詰め掛けてホールはあっという間に人で溢れた。
誰が発したか特定できないが、麻衣を激しく中傷する声。それを発した男の方向に向かって、更に強い言葉が返される。それはSNSで炎上しているようなやり取りだった。そしてあちこちで殴り合いが始まった。
怒号が飛び交うなか、麻衣がマイクに向かって話し始めた。
「皆さん、静かにしてください」
そんなことで静まるわけもなく、その時、ホールに入ってきた一団が雛壇に向かっていき、麻衣を取り囲んで、部屋から連れ出した。ビルを出たところで、また違う集団が襲い掛かり麻衣を奪い去ろうとした。激しい乱闘状態のなか、麻衣は、彼らの目を盗んでその場から離れた。麻衣が公に言葉を発する機会は奪われてしまった。
麻衣から電話があったのは、世界が終わる日とされた七日目だった。
麻衣の希望で、誠也は浜辺で落ち合った。そして、繋がれたボートのロープを解いて、二人でボートを漕ぎだした。
風も波もなく静かな日だった。ボートを漕ぐには最上の日だ。
随分と沖まで漕いだ。オールをボートの内側に仕舞い、あとは流れに任せた。二人ともボートに横になって空を眺めた。青い空。雲が形を変えながら動いていく。静かだった。街で起こっていた狂騒が、風邪をひいて熱が出たときに見る悪い夢のように思われた。汗をびっしょりかけば熱も冷めてしまうだろうか。
海の上は時間が止まっているかのような静けさだった。
「昔、麻衣が見た空もこんなだった?」
麻衣は笑った。確かに、みんなが何故大騒ぎしているのだろうと思ったのは分かる気がした。
「もしかして、世界が終わるって本当なの?」
麻衣は答えなかった。
閃光と爆音を伴って、上空をミサイルが飛んで行った。それが着弾して大きな爆発音が聞こえてくる。それを皮切りに、かなりの数のミサイルが行き来し始めた。
「花火みたい」
麻衣の感性は誠也の理解を超えるときがある。ミサイルの飛来は続いた。
「花火ってさあ。終わると、普段以上にそこがしーんと静かになるよね」
「うん……、そう言えば、そうだな」
「明日もそうなるかしら?」
昔から麻衣は少し人とは違うところがあった。それは誠也が他のどんな人からも感じない何かだった。彼女は何かが違う。まさか本当に月から来たんじゃあ……
頭上をまたミサイルが飛び超えていった。ミサイルが通過した空の向こう側に銀色に光る機体が見えた。宇宙船じゃないだろうか。その物体がすごい勢いで僕らの方に近づいてくる。誠也は驚愕に身体をこわばらせたが、麻衣は何故か笑っていた。
(了)
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