第6話 世襲

文字数 1,761文字

選挙が近くなってくるといつも家の中が騒々しくなった。父は爺さんの地盤を継いだ県議会議員。そのせいで僕は子供の頃、随分と迷惑した。町中に父親の顔写真が並び、母親も選挙カーに乗ってウグイス嬢と化して、普段は聞くことのない高音を奏でた。同級生たちは「清き一票を」と僕をからかい、気に入らないことがあると、「お前のところには投票しないぞ」と。お前まだ投票権無いだろうと思ったが口にはできなかった。。
僕は絵を描くのが好きで画家になりたいと思っていたが、それはきっと代議士にはなりなくなかったということだったに違いない。高校の美術部で絵を描いていたが、同級生の畠山の絵を見るにつけ、自分の才能の無さを感じていた。畠山は父親が外科医をやっていて、医学部に行くことを宿命づけられていたが、彼は全く医者には向いていないような奴だった。そもそも血を見るのが嫌い。動物も触りたくない。数学もさっぱりダメで傍目で見ていても、医学部に進学しなければいけない運命が可哀そうになるくらいだった。そんな畠山だったが絵は本当に上手かった。僕だってコンクールで賞を取ったり、親の反対を押し切って芸大に入学できるほどの腕前ではあったが、畠山の絵を見ると到底かなわないと心底感じた。
高校を卒業してからは、畠山とはぷっつりと音信が途絶えた。医学部を何度受けても受からないという話を伝え聞いたことはあったが、心の中にあった嫉妬心から彼を僕の意識から遠ざけてしまったのかも知れない。彼こそが画家になるべきだった。少なくとも医者だけは止めておいた方が良い。
僕の父は寛容だった。僕に跡を継げとは一度も言わなかった。大学を卒業して、さすがに仕送りは止まったが、プロの画家を気取って定職につかずに居ても文句を言うことはなかった。
僕の絵が売れることはなかった。でもアルバイトで生活はなんとかやっていけた。ご飯とモヤシだけという日が続いたりもしたが、今から思えば楽しい毎日だった。人間は幸せに生きるために、つらいことは忘れて、良い部分だけを思い出すようにできているのかも知れない。
そんな日々も終わりを迎えることになった。父が急逝したのだ。後援会の人達に説得され、父を継いで立候補することになった。
地盤は引き継いだが向いていないものは向いていない。じゃあ他に何が向いているのかと聞かれると困ってしまうが、議員に向いていないことだけは分かる。選挙に落ちればこの呪縛から逃れられると思ったが、何故か選挙には落ちず、当選してしまい、苦痛な毎日が続くことになった。
議員数名で隣県に視察旅行に行くことになった。行政の実態視察ということだったが、何のことはない、ただの温泉旅行だ。風呂に入って広間で議員連中と面白くもない話をしながら食事をしていた際に、僕は猛烈な腹痛に見舞われた。下腹部に刺すような痛み。生暖かい汗も噴き出てきて、僕は救急車で病院に運ばれた。
夜間受付の病院。ただでさえ大きくはない病院に緊急患者が重なったらしく、病院は騒然としていた。慌ただしく検査をされたが、急性虫垂炎だと言うことが分かってからは優先順位を下げられたようで、手術の順番も後回しにされ、病室に放置された。大した病気ではないと言っても当人の痛みはどんどん増していく。とにかく早く手術して欲しかったが、点滴を打ちながら、痛みに悶えていた。
ようやく手術の順番が回ってきて看護士が入ってきた。それまで横を向いて目を瞑っていたので病室内を見る余裕も無かったのだが、看護士に促されて上向きになったとき、病室内に飾られた絵が目に入った。素晴らしい絵だった。僕はこんな絵を描きたかったんだ。どうもこのタッチ見覚えがある。
手術室に入った。ガチャガチャと聞こえてくる手術器具の音。部屋の中はひんやりしていた。
執刀医が入ってきて、目を合わせないまま事務的に話しかけてきた。
「麻酔かけていきます」
疲れているのか知らないけどちゃんと真面目にやって欲しい。
「今晩、患者多いね。あと何人?」
「今のところ三人です」
「ちっ……」
ひどい医者に当たってしまった。どんな奴だと、医者の顔を見上げた。マスク越しではあるが、その目に記憶が蘇ってきた。
「畠山」
そう呼び掛けようとしたとき、麻酔が効いてきて僕は唇を動かせなくなってしまった。
       (了)
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