大江文学の愛読者 市川沙央

文字数 984文字

 大江健三郎の講演動画を検索していたせいか、その中に、市川沙央が世田谷文学館のインタビューを受ける動画がふと目に留まった。「大江健三郎を語り継ぐ」という講演会の関連企画としてインタビューが行われたそうだ。

 純文学の内容ということもあり、予想通り、人気 YouTuber が提供する動画に比べると圧倒的に再生回数は低い。自分にとっておもしろいと思える動画が、世間からは無視されている。まあ、世間の関心とのズレを感じることはよくあることだ。メディアは毎日のように大谷翔平のニュースを報道しているけれど、みんながみんなそれを聞きたがっているわけじゃない。


 大江はある講演¹ の中で、日本文学を三つのラインに分けている。第一のラインは、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫といった作家の文学。第二のラインは、大岡昇平、安部公房、大江健三郎といった世界の文学から学んだひとたちの文学。第三のラインは、村上春樹、吉本ばななといった、世界全体のサブカルチャーがひとつとなった時代の、典型的な作家たちの文学。

 大江は、第三のラインの作家は二人だけで、第二のラインの二百倍の売れ行きがあるといっているのだけれど、これがほんとだとすると、世間の関心は第三のラインの作品に集中しているんだと思う。


 インタビューの中で、自立というのは障害学では依存先を増やすことと考えられているというのを聞いてはっとしたが、それはともかく、市川は『燃えあがる緑の木』を最初に読んでから、どんどん大江の作品を読んでいったそうだ。なかでも「泳ぐ男」という作品に最も影響を受けたらしい。

 そういえば、ぼくが最初に呼んだのは『われらの時代』という小説で、たまたま家にあった有名な作家の本ということで読んだことを記憶しているけれど、不評だったといわれるこの作品は、自分にとっては読みやすく、しっかりとした構成で描かれていて、なぜか内容もおもしろく読めてしまった気がする。いや、別に作者と政治思想が同じなわけじゃないけれど・・・。まあ、自分の感覚が世間とズレているのはもはや(あきら)めるより仕方がないのかもしれない。何から何まで多数派の考えや感性にコンフォームさせようと自分を偽るのも、それはそれで生きづらい。




₁ 「世界文学は日本文学たりうるか?」と題する講演で、『あいまいな日本の私』という岩波の新書に収録されている。

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